3.6/5 出会いの物語は無茶苦茶だった
「でもこのまま終わりっていうのもなんだかなあ。そう言えばこの間また新しい女の子と会ったんでしょ?」
「新しい女の子って……神様さんから聞いたんですか」
僕がそう呟くと、彼女は笑いながら僕に軽い口づけをしてきた。
「ねえ、何があったか、せっかくだから教えてよ。どうせ今日は私に絶対に手出ししないんでしょ?」
「今日はって……ずっとですよ。じゃあ、ちょっとだけこの間あったこと話します。まだみんなにしてない昔話を」
「私に最初に教えてくれるんだ。嬉しいな、どんな話だろう」
まるで恋人に甘えるようなとろけた声で人葉さんは僕に強く抱きつく。神様さんより一回り大きい胸が当たり、僕の下腹部に彼女は自分の体をこすりつけた。
僕は襲い来る生理現象を必死にこらえながら、平静を装った顔で彼女に話し出した。
「以前の高校で一緒だった子がこの間、僕の高校の校門前に来たんです。近くの大学に推薦で合格したから、この街に下見に来て、それでついでに僕に会いに」
「ふふ、それ完全に話の都合合わせてるだけだよね。本当は一宏君に会いたかっただけなのよく分かる」
「それはどうか分からないんですけど……前の学校でちょっとしたことがあったんですよね」
と、僕の目がふいに過去を映した。
「僕、そいつと高校で一緒のクラスになって。でも最初全然接点なかったんです」
「きみ友達作らないもんね」
「そうかもしれません。で、そいつ、今もなんですけど吃音持ちで。それで……周りの男子とか女子のグループに馬鹿にされてました」
僕は思い出した。毎日吃音を馬鹿にされ、泣きそうな目で俯きなるべく喋らないようにしていた白詰のことを。
あの時の白詰に自分の未来なんてなかった。ともすれば高校を去りそうな空気を醸し出していた。
それをあいつらはずっと馬鹿にしていた。白詰よりずっとバカな奴らがだ。
「それで、入って一ヶ月くらいした時かな。休み時間にそいつらがバカにしてた時、僕宿題やってたんですよね」
「そう言えば、前の家で家事全部やってたんだっけ」
「そうです。だから宿題はなるべく早めにって感じで。でも、そいつらがいつもみたいに大声で馬鹿にしててうるさくて。その時ふっと立ち上がったんです。何か自分の中で引っ掛かって」
と、僕はくすりと笑った。あの時の、大変なことが思い出されるというのに。
「何があったの?」
「馬鹿にしてたリーダー格の男子の頬を不意打ちで思いっきり殴りました。そいつ調子乗ってたのに凄く弱くてばたんって地面に倒れて。で、周りで馬鹿にしてた女子も同じように殴りかかりそうな勢いで睨んだら全員逃げちゃったんです」
僕の懐かしい話に、人葉さんもおかしげに笑った。野ノ崎は僕がキレたら何をやらかすか分からない奴というけど、実際にそうだった過去は白詰と会うまで忘れていた。
「でもそんなのやったら教師に呼び出されるんじゃないの?」
「ええ、呼び出されました。相手は全治二週間とか診断書持ってきて。で、僕も停学二週間を食らう羽目になって、父親も来ることになったんですよ。でもその時父親が言ったんです。うちのバカが悪いのは分かります。でもあなた方はその子に何かしてあげてましたかって」
「きみ、お父さん酷い人っていっつも言ってたけど、いい人じゃない」
「そうですね。あの時だけは父に強く感謝しましたし、父が輝いて見えました。で、復学してからどうなるかなって思ったんですけど、その吃音の子に関わると僕が飛んでくるって分かって誰も絡まなくなってました」
と、僕が話すと、人葉さんは胸をこすりつけて、僕の胴体に回した腕をしっかり結び直した。
「でも、よく停学二週間で済んだね。退学とかもあり得るのに」
「あとで聞いたら僕の成績が良かったから、学校が手放すのはまずいって判断だったらしいです。それで僕は気にしてなかったんですけど、その吃音の子が僕に謝ってきました。気にしてないよって言ったんだけど何度もありがとうって言ってくる内に二人で過ごすことが増えたんです」
なるほどなあ、と人葉さんはため息をこぼした。これが僕と彼女の間にあった、たった一つだけのまずい出来事の全貌だ。
「でもその子、一宏君のこと凄く信頼してたの分かる。あーあ、悔しいけどやっぱりきみ、双葉に渡したくない位いい人だわ」
「まあ、それはそれですよ」
「今ね、こんなに世界で一番側にいるのに何の手出しも出来ないなんて、ますます人葉さん欲求不満になりそう」
「欲求不満なんですか?」
「そりゃ好きな人とチャンスが何回もあるのに何にもないってなったらそうなるよ。その解消法がどんなことか、双葉をよく見てるきみなら分かってると思うけど」
と、彼女は甘く囁きながら僕の耳元に息を吹きかけた。背中が少し震える。こんな状況で手出し出来ないのは男としては情けないところもあるけど、それは神様さんを捨てるというのと同義だ。出来るわけもない。
「でも今日は、一緒のベッドで寝てそれで満足する。ねえ、眠くなるまで雑談しててもいいかな」
「まあ、そこそこの睡眠取れればいいですけど……」
「明日のバイトに響かない程度には抑えるよ。それじゃあね――」
と、人葉さんは眠りに落ちきっている右左に、もしも気付かれたりしないようにと、声を潜めながら最近の出来事を話し出した。
友達の少ない人葉さんの話を聞いて、寂しさを埋めるのも感謝の一つの形だ。
彼女は彼女で、色々あるんだなと他愛のない話が僕に教えてくれる。
もっとも、こうして半裸になってる人葉さんに体を撫でられたりしながら何も手出ししないとは言え同じベッドで眠るのは、神様さんへの裏切りになるのか悩む。
僕達は、一線を越えてしまったのだろうか。まだ僕は大丈夫だと自分に言い聞かせていた。その一方で、ここまで思いを募らせてしまった人葉さんに、申し訳なさも覚えてしまう。
でも何かを得れば、何かを手放さなければならないという時もある。それが僕と神様さん、そして人葉さんの関係だと頭では理解出来るのだ。
それにまだ感情が付いてこないのが、僕の人生の浅さを痛撃してくるようでもあった。
近々、白詰にまた会えればいいけど。話している内に僕の腕の中で眠りこけてしまった人葉さんの愛い寝顔を見つめながら、僕も静かに眠りに落ちた。




