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リトルフォーチューン―あるいは引きこもりの妹の話であって―  作者: やまみひなた@不定期更新
3.6/特別という言葉の意味
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3.6/3 再会と現状の思い

 電車に乗り込み、バイト先のある駅へ向かう。

 勤め先はメイドカフェ。そこで執事として働くのが僕の仕事だ。

 裏口を通って、更衣室で仕事着に着替える。ちょっと今日は遅くなりかけてる。ぎりぎりだ。

 急いで着替え終わって客席に向かうと、店長である執事長、そしてメイドさんが二人働いていた。

 その内の一人、眩しい程の明るい笑顔で接客している元気な少女が、僕の思い人で、僕が無謀な理系転向を選んだ理由の人だ。

「神様さん、こんにちは」

「あ、一宏君、遅かったね」

「ちょっと色々あって」

 と、僕が返すと、彼女はくすりと笑って僕の頬を人差し指で突いた。

「いいことがあったって顔してる」

 僕は普段通りの顔をしているつもりだった。でもこの人は僕のそれをすぐに見破った。

 この人に嘘をつくことは出来ないな。僕は苦笑しつつ、うん、と頭を下げた。

「何かあった?」

「前の街に住んでた時の同級生がわざわざ会いにきてくれて」

「おーい塚田君、コーヒー運んでくれるかなー」

「この話、また帰りにでもするよ」

「あ、うん。今仕事中だしね。私も接客に戻らなきゃ」

 と、彼女は長いスカートを揺らめかせ、お客さん達の空になったグラスへ水を注ぎに戻っていった。

 僕もカウンターへ走っていき、コーヒーをトレイに載せ、お帰りになったお嬢様方にそれを差し出す。

 そんな接客が八時まで続くと、僕と双葉さん、つまり神様さんが仕事を上がる時間になった。

 僕達が恋人であるというのは、店長や一緒に働く先輩メイドさんであるきみかさん、それだけでなく一部のお客さんも知っている。だからこそ店長は神様さんを夜遅くになる時間帯、無事に家に送り届けるため仕事に使ってくれているという節がある。

 ただでさえ二重のくりっとした目の美人な上、細身の体なのに胸はかなり大きいというスタイルの良さだ。こんな子が一人で家に行き帰りするのはやはり不安が残るものだろう。だからこその執事長の親心である。

 僕達は着替えを終えると、裏口で落ち合った。

 店を少し抜けた街並みに行くと、彼女はいつものように僕の腕にしがみついてきた。

 そんないつものことが、僕はいつも嬉しくなる。彼女と恋人になれてよかったと思う瞬間の一つだ。

 彼女はしなだれかかりながら、暗い道の中僕に今日あったことを訊ねてきた。

「今日何があったの?」

「僕もよくは分からないんだけどね」

「何それ」

「前の街で同じ高校だった奴が、推薦でここらの大学に合格して。それで下見に来てるんだけど、その時に担任に僕が引っ越しした街はこの辺って教えられたらしいんだ」

 と、聞くと彼女は少し頬を膨らませて、僕の目を斜め下からじとっと見つめてきた。

「それ女の子でしょ」

「分かる?」

「一宏君にわざわざ会いに来る男の子って想像しにくいし」

 言われてみればそうだ。そもそも以前の高校で付き合いがあったのは、今日会いにきた白詰美津香くらいだ。

 それも、不思議な出来事があって知り合ったとしか言いようがない。今思えば、「あんなこと」があったのに僕はよくあの高校で平然と学生生活を送れていたものだと思う。

「でも一宏君がそんな顔するなんて、特別な子だったのは分かるよ」

「……ごめん、神様さん」

「私だって、出来たらきみと一番最初に出会って、本当に何にもないままきみの心を掴めたらって思うけど、そうなってたら多分すれ違ってたから。運命的な出会いってよく言うけど、それ、タイミングも含めるんだって最近分かった」

 そして彼女は僕の腕に頬をこすりつけて、嬉しそうに相好を崩す。

「僕もあの時の出会いが最高のタイミングだったんだと思う」

「……本当、そうだね。それにしても受験勉強がなかったら週一ペースで一緒にいられるのにね」

「半年だけ我慢して。その半年が終わったら、いつでも会いに行ける環境になるから」

 僕がなだめると、彼女は一切の不満を漏らさず「分かった」と返答した。

「でも一宏君と仲良くなるきっかけかあ。私も驚くような感じだったけど、その子もきっと不思議な出会い方したんだろうな」

「……同じクラスだったんだけどね。色々あって、そいつ、周りからバカにされてた。そういうの嫌いだったから」

「一宏君らしいな、そういう正義感強いとこ」

「気付いたら二人でいることが多くなった。ていうか、一人にさせられない危うさがあったんだよね」

 僕は懐かしい思い出に胸を馳せる。

 でも、そんな危ういと思っていた彼女に何も告げず、僕は静かに以前の街を去った。その時の僕の心にあったのは、一人にさせていた妹、右左のことだけだった。白詰を心配する思いなんか欠片すらなかっただろう。

 考えてみれば酷い奴だった。白詰なら何とかなる、そんな思いすら抱えず去った。そして白詰の心配もしたことはない。全て捨ててきたと言って。

 そんな白詰が僕に会いにきてくれた。僕に罰を下すためか、贖罪の機会を与えてくれるためか。まったく分からないけど、僕はこの再会が、きっと大事なものなのだと思えた。

「一宏君」

 白詰に思いを馳せていた僕の虚を突くように、神様さんが突然声を掛けてきた。僕が驚いていると、彼女は下からじっと僕の目を覗きながら、強い口調で言い切った。

「その人を大切にするのは大事だけど、浮気は許さないからね」

「それはないよ……」

「どうかなあ。お姉ちゃんと受験勉強って名で何してるか分からないし」

「いや、何もしてないよ」

「お姉ちゃん時々キスねだってるって言ってるよ。一宏君がどう答えたかまでは知らないけど」

 と、彼女は僕の聞かれたくない現状に関して色々とツッコミを入れてきた。

 僕は無視するのだが、不意打ち的な一撃の場合、そのまま唇を奪われることがある。自分の時間を削ってでも勉強を教えてくれているという彼女に僕は文句を言えるわけもなく、僕は彼女の悪戯を静かに受け止めていた。

 しかし姉のそれは妹公認である。彼女はにこりと笑って僕にささやきかけてきた。

「私が一番ならそれでいいから」

「……ごめん」

「今は受験のこと、しっかり考えて。でもたまには……その、恋人らしいこともしたいっていうのは覚えててほしいかな」

「分かってる。何とか休み作って、その……色々出来る日作るようにしてみる」

「うん、期待してる」

 僕の言葉に、彼女は微笑を浮かべた。暗がりが明るくなっていく。駅が近づいてきた。

 僕の腕から彼女は離れる。そして僕の頭を背伸びして撫でて、改札を潜っていく。僕も同じように改札を潜った。今日はここでお別れだ。

 僕は神様さんに手を振る。彼女も同じように手を振り返してくれた。

 彼女がいることで生まれる幸せ。そこにふと映った、過去の自分。

 白詰は何を言いたくて僕の前に現れたんだろう。何気ない日常に差した不思議な感情が、暗闇の中に広がる雨雲のように、僕の心の中に去来していた。


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