3.5/27 最後の葉は自分で見つけよう
まだ深瀬さんが執事長と付き合えると決まったわけじゃない。でも、深瀬さんの気持ちを示さないまま、このまま終わるのは僕も神様さんも、そしてきっときみかさんも嫌だったに違いない。
「深瀬、お前、本気なのか。相手は五十のおっさん、あと十年もすりゃおっさんとも言いにくくなる年齢なんだぞ」
「……オジキ、私の覚えてるオジキは、仕事の出来ない私を何回も怒鳴って、とっても怖かった人です。でも、仕事が遅くなった時に、ご飯に連れていってくれたり、コンビニで食べ物買ってきてくれたり、凄く優しいこともいっぱいありました。苦しい時は、オジキに情けないところを見せられないって思って頑張ってきました! だから、私と付き合って下さい!」
静かな店に、一際大きな声がこだまする。その言葉に、僕や神様さんは優しく笑い、執事長の方を見た。
その強い言葉に、執事長は大きなため息をこぼし、首を少し回して深瀬さんをじっと見た。
「仕事も出来ない、飯も作れない、センスも悪い。あの頃とお前何も変わってないな」
「……オジキ」
「あの時お前をクビにしてりゃ、今頃お前もまともな男と結婚して、絵も描かずに生活してたんだろう。そうさせられなかったのは俺のせいだ」
執事長はエスプレッソマシンに近づいていく。そして鼻息を大きく漏らして、深瀬さんにゆっくりと語りかけた。
「深瀬、お前確か三十六か」
「……はい、そうですけど」
「四十まで待ってやる。四十越えても結婚出来なきゃ俺のところに来い。お前が売れ残った責任を取ってやる」
執事長は、無愛想な声で馬鹿らしそうに告げた。だがその裏にある、本音の部分の優しさが僕や神様さんの心を高揚させていた。
その執事長の照れた言葉を聞いた深瀬さんは、机に突っ伏しながら大きく泣き出した。そして、涙声と机にくぐもった不明瞭な声で、執事長に強く叫んでいた。
「そんなこと言われたら、四十まで待っちゃうじゃないですか……!」
「お前の好きにしろ。四十までに俺よりもいい男を捕まえるかもしれないだろ」
「そんなことないです。四十になるの、楽しみになりました! これからも、私、いいイラストいっぱい描いて、オジキに認められるようになります!」
彼女は最後の最後に顔を上げ、涙を浮かべながらも満面の笑顔の姿を見せていた。
一方のきみかさんは、仕方ないと言わんばかりにうっすらと口元を緩め、ため息をこぼしていた。
「私の恋愛も、この辺で終了かな」
「きみかさん、僕が言えることじゃないですけど、自然に新しい恋愛に移ればいいと思います。無理して探したって悪い男に引っ掛かるだけですよ」
僕が人葉さんに告げたことと同じことを言うと、きみかさんはおかしげに笑って、僕に返した。
「それ、体験談? 他の子にも言ってない?」
「え、それはその……」
「一宏君、どういうことか後で聞かせてもらえるかな……?」
神様さんが怖い目で見てくる。人葉さんのことなら何でも許されると思っている僕の甘さを突かれたようだった。
と、僕達が騒いでいると、執事長が一つのマグカップを片手に、きみかさんに近づいた。
「きみかくん、これを」
と、彼は彼女に差し出すように、マグカップを手近なテーブルに置いた。
「あれ……これって」
マグカップに乗ったカフェラテには、白色で出来た模様が浮かぶ。僕は横から覗き込んだ。それにはラテアートがゆらりと浮かぶ。描かれていたのは三つ葉のクローバー。四つ葉でないことに不思議な感覚を覚えさせる。
「三つ葉の……」
「最後のもう一枚、四枚目の葉を見つけるのは君自身だよ。僕はいつしか、君の優しさに甘えていたのかもしれないね。これからは気を引き締めるよ」
「……はい、色々辛いですけど、頑張って自分で四つ葉のクローバーを探します」
彼女は涙を浮かべながら、カップに浮かぶラテアートをじっと見つめていた。
これで全部終わったのかな。そんな思いを朧気に浮かべていると、神様さんが突然店の外に飛び出した。
どうしたんだろう。そう思っていると、彼女はすぐに帰ってきた。
「これ、深瀬さんときみかさんに!」
と、彼女が手渡したのは、いくつかのタンポポだった。この時期に咲くはずのないタンポポを見て、二人は不思議そうにきょとんとしていた。
それを見て僕はすぐに気付いた。そう、彼女の持つ神としての力で、この時期に咲くはずのないタンポポを咲かせたのだ。そこらに生えている野草で見栄えがするものと言えば、タンポポくらいしかない。
それでも今この瞬間の深瀬さんときみかさんのこれからを祝福する花としては充分だった。
「あの、花束買いに行ったら時間かかっちゃうから今店先にあるの摘んできました!」
「ありがとう……でもよく見つけたね。季節外れのタンポポとかあるんだ」
「適齢期逃しても結婚出来そうな人間もいるんだから、そういうのもあるんじゃないかな。ありがとう、双葉ちゃん。家でしばらく飾っとくね」
深瀬さんの優しい言葉に、僕達の心もほぐされていく。
執事長はくすりと笑いながら、食器の片付けに戻っていく。
「塚田君、僕の方はありがとうって言っておくけど、家に戻らなくていいのかい?」
「あ、あ……夕食まだ作ってなかった!」
「か、一宏君! 急いで家に帰ろう!」
神様さんに服の端を引っ張られる。僕はみんなに頭を下げ、更衣室に向かった。
が、神様さんはその服を掴む手を離さなかった。
「双葉さん?」
「私も一緒に帰るよ。それくらい、恋人同士なんだから当然だよね?」
「……そうだね。急いでるけど、一緒に帰ろう」
と、僕達が互いに微笑み合うと、周囲からも笑顔が漏れた。
こうして、イベントの発起から始まった深瀬さんのずっと叶わなかった恋に、終止符が打たれることになった。
執事長と深瀬さんがいつまでも幸せでいられますように。そして、きみかさんもいつかいい人を見つけられますように。
僕と神様さんは、同じ願いを抱えながら、共に星がいくつも輝く夜空を、少し涼しげに感じられる風を感じながら同じように見上げていた。