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リトルフォーチューン―あるいは引きこもりの妹の話であって―  作者: やまみひなた@不定期更新
3.5/ そして始まった夏のバイト生活
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3.5/25 無理に忘れることは意味のないことだと知った

 学業の半日が終わると、バイトに勤しむ残りの時間が始まる。誰にも声をかけず学校を抜けて駅へと向かう。

「あれ……? もしかして……」

 静かに行き過ぎようとした僕の目に、見慣れた姿が映った。

「……人葉さん」

 僕が常に利用する駅の階段で待っていたのは、神様さんの双子のお姉さん、人葉さんだった。

 制服姿のままで来て、一体どうしたんだろうと思って近づくと、彼女はぱっと明るい顔で僕を見てきた。

「待ってたぞー少年」

「何してたんですか」

「ちょっと君と雑談したくてさ」

「でも今から僕はバイトですし……」

「バイト先に行くまでにさっさと終わらせる話ってことだよ。店には入らないけど、ついていっていい?」

 そう言われて、嫌ですとは言いにくい。僕が頷くと彼女は嬉しそうに僕の腕に飛びついた。

 何か言いたい、そう言ったのに何も言わず歩んでいく。不思議だなと思いながら、僕は歩き続けた。

「この間妹さん店に遊びに行ったんだってね」

「まあ。神様さんから聞いたんですか?」

「うん。店員より可愛い子が来たら大変だって言ってた。でもま、みんな壁にかかってたイラストに目をやってたから妹さんのこと気にする人はいなかったって言ってたけどね」

 事実は事実である。僕はくすりと笑いながら、「そうです」と答えた。

 絡みつく人葉さんの声は明るい。なのに、少し顔を覗き込むと、僕の方を全く見ずに、足下ばかり見つめている。まるで、今迫ってきている秋の気配のように。

 僕は人葉さんと共に電車を待った。人葉さんは言い出すのが辛そうに、黙り続けていた。

「人葉さん、僕に何か言いたいんですよね。率直に言ってくれていいんですよ」

 僕は耐えられなくなり、彼女に言葉を促す。しばらくして、彼女はそっと口を開いた。

「……君のこと諦めようってずっと夏中考えてたのに、考えたら考えただけ、忘れられなくなってさ。この恋いつ終わるんだろうって悩んでたら寝られなくなった、それだけ」

 彼女は自嘲する。それでもその悩みが深いのは充分に伝わってきて、僕の心にいびつなくさびを深く突き刺してきた。

「諦めきれないんだ、初恋だし」

「……それは僕にはどうこう出来ない問題です。双葉さんもいますし」

「うん、双葉がいるから譲ることだって出来るし、諦められないところもある。だから、一宏君に私のこと嫌いって言ってもらおうって思って、今日来たわけ」

 彼女はくすりと笑って顔を上げた。その特徴的な大きな目に涙がにじんでいた。

 ああ、そうか。そういうことだったのか。

 僕はようやく分かった。きみかさんが抱えていた思い、そして深瀬さんが募らせていた思いに。

 諦めさせることは正しいことだと思う。でも心を壊すほど諦めさせることに何の意味もないということを、僕は失念していた。

 僕は人葉さんの肩を少し叩いた。彼女はきょとんとした顔で僕を見つめる。

「諦めなくていいと思います」

「でも……それじゃ双葉が……」

「僕が見てることと、人葉さんが思い続けることは完全に別問題だと思います。恋愛なんて心の問題ですから、無理に忘れようとしたって余計に難しくなるだけですよ」

「……一宏君は優しいな。本当、双葉より先に出会いたかった」

「双葉さんと一緒になったら、人葉さんとも関係が深くなるわけですから、あんまり悲観的にならないようにしましょう。……僕だって、人葉さんのことは結構好きですし」

 と、僕が照れくさくぽそりと呟くと、人葉さんは目を皿のように丸くして、僕に訊ねてきた。

「一宏君、それ浮気宣言だよ? 浮気と取っていいのかね!」

「浮気とはちょっと違いますけど……別に僕は人葉さんに思ってもらえることを嫌だとは思いませんし、人葉さんが幸せになれるまで、少しくらいは責任あると思ってますから」

 僕は小さな声で呟く。人葉さんはいつものようにからかってくるのかな……と思ってその肩口にかかる顔を覗き込んだ。

 彼女は僕の腕元に顔を押しつけ、嗚咽を我慢するように小さく肩を揺らしていた。

「一宏君、ありがとう。出来るだけ忘れるようにする。でも、忘れられなくても許してね」

「自然の流れに身を任せた方がいいこともあります。その内、僕より好きになる人が出てくることの方が確率高いわけですし」

 僕は肩口で泣く人葉さんの頭をぽんぽんとはたいた。彼女にこんなことをされるのは何回もあったが、僕がこうするのは初めてかもしれない。

 僕の笑顔を見て、人葉さんはようやく泣き止んだ。ちょうど同じように、電車が止まる。

「店まで見送り、いい?」

「どうぞ。あの、双葉さんの許可が出たら店に遊びに来てくれてもいいんですよ?」

「ふふ、あの子が嫉妬するから遠慮しておく。……まあこんな関係になっちゃったら、双葉も文句付けづらいと思うけど」

 と、彼女の言葉に僕は背を押された感じがした。

 自然に付き合い、自然に忘れる。僕は今まで、引っ越しや家事の名の下に強制的に人の縁を切ってきた。その中で、自然に付き合っていくという感情を教えてくれた人葉さんは、僕の人生における教師みたいなものかもしれない。

「そうだ、一宏君、受験勉強悩んでるんだったら教えてあげてもいいけど」

「ありがとうございます。でも、ここを一人で乗り越えないと親も妹も納得しないと思うんです。本当は人葉さんに教えてもらえた方が実力がつくとは思うんですけど」

 僕の苦笑気味の言葉に、人葉さんも失笑する。受験のことなんて全然考えていなかったのが神様さんと出会ったことで進路先さえ変えることになった。

 正しいか正しくないかは別として、それが親と約束した神様さんと付き合うための試練だ。

 そうこうしている内に、僕達は店に着いた。人葉さんは僕の背を少しだけさすって、静かに間を取った。

「自分の恋愛のこともそうだけど、双葉を幸せに出来る君も応援してるから。受験、落とすなよ!」

「はい!」

 そして人葉さんはふらりとまた軽い足取りで駅の方へ戻っていった。

 そして、僕はこの店でやることがある。今日になるか、違う日になるか、それは分からないけど首を突っ込み過ぎない程度にやらなければならないこともある。

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