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リトルフォーチューン―あるいは引きこもりの妹の話であって―  作者: やまみひなた@不定期更新
3.5/ そして始まった夏のバイト生活
114/163

3.5/23 さよなら

 右左は一時間して昼の世界の中で帰っていった。

 それからもお客さんがたくさん来て、日曜しか無理なお客さんが、深瀬香織の書き下ろしイラスト争奪戦に参戦していった。

 店は常に満席で、働く僕達もさすがに疲れが見えた。執事長の額にも汗がにじんでいたが、それをタオルで拭き取りながら休むことなくひたすら料理作りに精を出していた。

 それから夕暮れ時の赤色が消え、空が暗闇に包まれて、とうとうイベントが終了した。

「みんな、本当にお疲れ様!」

 店のシャッターを閉じた執事長から放たれた最初の言葉はそれだった。

 僕達がふうとため息をつくと、執事長がそれぞれに先日と同じようにアイスココアを配っていった。

「みんなのおかげで無事にイベントを終わらせることが出来ました。きみかくんや双葉君は立ち仕事に慣れてるかもしれないけど、塚田君は大丈夫かい?」

 執事長が僕に心配の言葉をかけていく。僕は苦笑しながら頭を下げた。

「正直限界です。働いてる途中は気にならなかったんですけど、イベントが終わったって自覚したらもう足がへろへろで」

 僕の苦笑に執事長は「そうだろうね」と笑いながら肯定してくれた。

「明日は臨時休業。僕は店に来て抽選と片付けをやってるよ」

「執事長、私それくらい手伝いに来ますよ。きみかさんもそうですよね?」

「え? え? 私? 執事長が一人でやるって言うんだったら一人でやってもらった方がいいんじゃないかな……」

 と、きみかさんから困ったような声が漏れた。一方、その様子を地味に見ていた深瀬さんは小さくため息をこぼしながら、店をぐるりと一通り見るように眺めていた。

「……皆さん、私のわがままに付き合ってもらってありがとうございました。もちろん、この企画に乗ってくれたオジキには感謝してもし足りません」

 執事長は氷の入った水をグラスに注ぎ、それを手に深瀬さんの着いている席に持っていく。

 深瀬さんが顔を上げると、執事長はいつも通りの優しい笑顔で彼女を迎え入れていた。

「深瀬、お前は自分のやりたいことをやれたって思ってるんだろうが、それは俺も同じだ。お前が提案してくれたことで、俺の本当にやりたかったことの一つが見えた気がした。こんな風に出来たのは、お前のおかげだ、ありがとう」

 執事長にそんな言葉をかけられ、今日はそんなに言葉を発していなかった深瀬さんは、目元を思い切り腕で隠した。

 そして、隠した後、大きな嗚咽を上げ、机に突っ伏した。その光景に、二人が離れていた時間、そして長い時間を経て再会しても離れていなかった心の距離を、その場にいた僕達全員が感じ取っていた。

「深瀬、お前はやるべきことをやった。泣かずに胸を張ってりゃいいんだ」

「でも、会社にいた時、聞きたかったのに一回も聞けなかった言葉だったから……。ずっと心のどこかで引っ掛かってた言葉、ようやく言ってもらえて……」

 そして、彼女はまた嗚咽を上げる。このまま、涙が止まるのは時間がかかるだろうな。僕達は静かに、更衣室の方へ歩き出した。

「……オジキ」

 去ろうとする僕達を背に、深瀬さんが声を出す。彼は「どうした?」と言わんばかりに顔を上げた。振り向くと、涙で顔をぐしゃぐしゃにした深瀬さんが、笑顔で彼を見つめていた。

「今日で目的も達成出来ました。今度、双葉ちゃんに約束したイラスト持ってきたら、この店に来るのも終わりにします。流石にみんなに迷惑ですから」

「深瀬、そんなこと気にしなくていいぞ。まともに飯食えてないんだし、ここに来て栄養補給していけ」

 執事長の言葉に、彼女は否定も肯定もしない。彼女は鞄を手にすると、ゆっくり立ち上がり頭を下げた。

「オジキ、本当にありがとうございました。今回のことは、凄く思い出に残りました。ありがとうなんて言葉じゃ足りないです」

「……深瀬!」

「それじゃ。あ、双葉ちゃん、塚田君と仲良くするんだぞ。きみかくんも頑張ってね」

 そして、彼女は執事長を振り切るように、裏口から店の外へと走り出した。

 あれはもしかすると、自分の中の決別だったのかもしれない。長い間募らせた執事長への思いを振り切って、これからは自分の仕事にのみ勤しむ。それが彼女の決めた道で、そんな思いを伝えるために別れの一言を告げたのかもしれない。

 きみかさんの恋愛は続くかもしれない。でも、僕と神様さんはこの恋愛を祝福することが出来るだろうか。

 思わず難しい顔になる。ただここで待ってじろじろ見つめるのも執事長に失礼だ。

 僕は神様さんの肩を一度叩いて、更衣室に向かった。

 きみかさんは立ち止まり、その輪に入れないまま、執事長の後ろ姿を見つめ続けている。

 たった一つの恋愛がこんなに苦しいなんて。僕が神様さんと続けていた恋って、恵まれたものだったんだなと痛感させられる。

 今日はもう、三人のことは考えないようにしよう。僕は更衣室に入り、この三日間世話になった服を持ち帰り用に置かれた紙袋に突っ込み、手にした

 出来れば、みんな幸せでいられますように。

 叶うはずのない無力な願いを、僕は何処か分からない空へ向かって祈り続けた。

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