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リトルフォーチューン―あるいは引きこもりの妹の話であって―  作者: やまみひなた@不定期更新
3.5/ そして始まった夏のバイト生活
113/163

3.5/22 思いがけない客と、イベントの終わり

 イベント最終日。

 僕はいつものように更衣室で体を伸ばしていた。

 慣れない立ち仕事で体の一部の筋肉が疲れてくる。ただそれも段々と慣れてきて、数時間立ちっぱなし程度なら何も思わないようになってきた。

 今日、どんなお客さんが来るんだろうか。来たお客さんに、深瀬香織の描いたイラストは当たるのだろうか。

 色んなことが頭を駆け巡る。

 ――深瀬香織が、イベント終了後にこの店に来る確率。

 考えない方がいいか。僕は黙って更衣室の扉を開けた。

「一宏君、おはよう。今日が最後だけど、大丈夫?」

 更衣室を出て早速話しかけてきたのは、神様さんだった。僕は笑顔を見せ、大丈夫、と答えた。

「夏の終わりがバイトの一番忙しい日ってのも、何か感慨深いなって思ってる」

「夏休みあと何日あるんだっけ?」

「今日終わって三日」

「じゃ、新学期始まってから二人でどっか行こう」

「休み中じゃなくていいの?」

「慣れないのにこんなに働いて、思ってるより体は限界だと思うよ。だから、少しでも休んで新学期に備えることは重要だよ」

 なるほどな、と僕は頷いた。思えばアドレナリンが毎日大量放出されている状態だから、体の疲労に気付かないだけで、このアドレナリンが一度切れたら一気に疲れが体を飲み込んでいくだろう。

 神様さんとすぐにデートに行けないのは残念だが、少し体を休めることも必要だ。それに今神様さんや右左を巻き込んだ受験の話もある。ここで快楽に身をやつしている場合でもないとそれも頭に叩き込まなければいけない。

「一宏君、今日もバイト、頑張ろうね」

「うん、今日で一山越える気で頑張る」

 そして僕達は客席の方へ向かっていった。

 最終日の日曜ということもあり、昨日よりも人が多数いる。これをさばいていくのか。若干の緊張が走るが、僕は神様さんが側にいるならなんでもこなせる気がする。

 気合いを少し入れ、店の扉を開けた。

「お帰りなさいませですワン、さ、お席にどうぞ」

 入ってきた方には、神様さんの人なつっこい接客で。席に着いた人には場合によって僕の無愛想な接客で。そんなローテーションがうまい具合に出来上がっている。

 最終日、初めて来るお客さんばかりかと思えば、先日も来たお客さんもいる。さすが深瀬さんだ。その深瀬さんは最終日を楽しむように、端の席でじっとその様子を見ていた。

 色んなお客さんの、色んな笑顔が見られる……そんな風にお客さんを入れていると、眼鏡をかけた、妙に見知った少女が立っていた。

「……う、右左?」

 そう、眼鏡をかけているが明らかに右左でしかない少女が立っていた。右左のこれは間違いなく伊達眼鏡だ。右左の視力は二を越えるほどとてつもなくいい。当たり前だが眼鏡姿など見たことがない。

 右左はにっこりしながら、僕を見た。

「どうかされたんですか? 私、ここへ料理食べに来たんですけど……」

「右左……」

「私、双子の妹なんです。あなたとは初めてお目にかかりますよね?」

 右左は笑みを浮かべたまま、伊達眼鏡を直した。

「もしかしたらあなたの知ってる人って私の双子の姉かもしれません。長い間会ってないんで分からないですけど」

 わざとらしい台詞が飛ぶ。右左が人葉さんのようなことを言い出したことに、僕は一抹の不安を覚えた。

 ともかく、客は客である。僕は接客態度をイベントモードに切り替え、店に遊びに来た右左を席に通した。

「何か食いたいものはあるか」

「私、ここのお店は初めてで。何かおすすめとかあります?」

「人間に俺が教えるだと? ……仕方ない、初めてならこのソーセージとポテトの盛り合わせがおすすめだ。ナポリタンはうまいがお前みたいに線の細い奴なら持て余すだろうからな」

「ありがとうございます! じゃあそれで。あ、あと青が綺麗なクリームソーダもお願いしますね」

 と、右左はうきうきした声で僕に注文していく。コンセプトにある「狼の格好をした悪辣な店員」というスタイルは完全に崩れ去っている。

 それでも僕はキャラを変えず、右左に静かに訊ねた。

「別にここにいるのは構わないが、今日は混んでいるから一時間で退席だぞ」

「知ってます。ただお店の雰囲気をどうしても味わいたくて。あ、向こうにいる犬の人、可愛らしいですね」

「……注文を通してきてやる、しばらく待ってろ」

 このままでは右左と僕の雑談タイムになってしまう。いや、雑談は他のお客様ともしているから構わないのだが、右左とするというところに問題があるのだ。

 僕は右左から離れ、執事長にオーダーを通していった。すると横から、他の席のオーダーを取ってきた神様さんがやってきた。

 彼女は執事長に注文を言うと、僕の方をちらりと見た。言いたいことは分かる。僕も同じようにため息をこぼした。

「まさか右左ちゃんが遊びに来るなんてね……」

「家で僕がウィッグと伊達眼鏡付けて接客するの見てみたいってずっと言ってたから……でもまさか本当に来るなんて思ってなかった」

 僕の呟きに彼女は空笑いを浮かべた。言わんとするところも右左の機微も分かるのだが、こうして来られることに嫌気ではなく失笑が漏れるのだろう。

「右左ちゃんのテーブル、私が行くよ」

「え? 本当に?」

「一宏君だとたどたどしくなりそうだから。私だったら軽く話しても大丈夫って思ってるし」

 何ともありがたい申し出に、僕は頭を下げた。

 そうしていると、執事長が出来たてのパフェをぽんと目の前に差し出してきた。

「三番テーブルのお嬢様に」

「分かりました。僕が行きます」

 僕が頭を下げ、パフェを運んでいく。

 その行く途中、右左の視線が目に飛び込んだ。こちらをちらちら見ながら、僕のたどたどしい接客を見ておかしそうにしている。

 右左も、僕がバイトもすぐにうまくいくとは思っていなかったのだろう。それでも僕は、自分の出来るだけはやっているつもりだ。

 パフェを運んだ後に、神様さんが行くと言ったのに、一人掛けの右左の席にふらりと立ち寄る。何か言いたそうなので、それを一応聞いてみようと思った。

「さっきからじろじろ見て、どうかしたか」

「いえ、私が想像したより、凄く狼さんで、怖いけど暖かみがあって、立派だなって思ったんです」

「……ありがとう」

「悪戯が過ぎると怒られますね。でも、この席からお店の皆さんを見つめて楽しみます。あと料理も」

 と、右左はあくまで他人行儀というシチュエーションを崩すことなく、僕に微笑んで料理を待つ体勢に入った。

 右左は僕を認めてくれた。それがちょっとばかり嬉しい。神様さんのことにかまけて、右左のことをないがしろにしていた部分があったような気がするが、こうして励まされて勇気が出るところを見ると、僕は楠木右左という人間に強く影響されているのがよく分かる。

 僕と入れ替わりで神様さんが右左の席に行く。通り過ぎる際、彼女はくすりと笑っていた。

 右左と神様さんは、料理がまだ出来ていないのを見て、何か雑談している。普通の喫茶店とは違う、この雑談が出来るというのがメイドカフェのいい所だ。

 二人は話している最中、僕を何度も見てきた。きっと何か言われているに違いない。ただそれが嫌なことでないのも、すぐ見て取れた。

 僕がくすりと笑っていると、執事長がカウンター越しに話しかけてきた。

「塚田君、いいことがあったって顔だね」

「ええ、まあ」

 僕が静かに返答すると、執事長はまた相好を崩したまま僕に他のテーブルに差し出す料理を手渡してきた。

「君の幸せはこの店にあるわけじゃない。この店でステップアップしてくれれば、僕はそれで充分幸せだ」

「……ありがとうございます。期待を裏切らないように頑張ります」

「よし。それじゃ、この料理を運んでくれ」

「はい」

「……塚田君、僕は君に、自分の見られなかった夢を見ているのかもしれない。人を裏切ることしかしなかった自分と違う生き方はこの年になっても憧れるよ」

「そんないいものじゃないですよ」

「ゲーム会社で何も残せなかった僕が言うのも何だが、君の努力する姿は見ていて眩しく見える。そのまま、輝き続けるんだよ」

 僕は一つ首を縦に振って、そのまま料理を運んでいった。

 その合間に、深瀬香織の姿を見る。彼女は店があと少しの時間もすれば終わることを痛感しているのか、ぼんやりと天井を見つめていた。きみかさんは接客で手一杯で、執事長が云々ということに気を回していない。

 みんな、色んな道を行く。当たり前のことが頭の中から抜け落ちていた。そんなことを店に来た右左、働く神様さんやきみかさん、執事長、そして店を眺める深瀬さんから僕は学んでいった。

 いつか、僕も僕らしく。僕は執事長に指示された接客スタイルで客席に着く人達に話しかけていく。

 このイベントももうすぐ終わる――だから後悔しないように頑張ろう。

 僕はそのまま、筋肉痛も忘れるようにひたすら動き回っていた。

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