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リトルフォーチューン―あるいは引きこもりの妹の話であって―  作者: やまみひなた@不定期更新
3.5/ そして始まった夏のバイト生活
111/163

3.5/20 イベント中でもいつも通りのこともある

 イベント開始から二日目。

 昨日は金曜だったがそれでも人が多数押し寄せた。今日は、悪夢のような土曜である。

 シャッターを開け、開店準備をしているだけでどんよりとした気分が押し寄せてきた。

 深瀬香織のイラスト目当てで来たお客さんが長蛇の列を作っている。これ、一組一時間限定でも相当待つんじゃないか? というより、閉店の八時頃になれば入れずに帰らなければならないお客さんも出てきそうな気がする。

 僕は神様さんを見た。相当不安な顔をしている……と思ったが、その予想はいい意味で裏切られた。

 彼女はたくさんのお客さんを前に、引いた感情を見せてはいけないと思ったのだろう、一生懸命笑顔を作る練習をして、扉が開く瞬間を待っていた。

 きみかさんは至って平常心を映すような、いつもの落ち着いたお姉さんの顔をしている。そしてそれを眺めているのは、端の席で座る深瀬さんだ。

「塚田君」

 僕がぼおっとしていると、執事長が声をかけてきた。僕ははっとしながら振り向いた。

「嫌味とかじゃなくてね、君がもし本当に大変なら早上がりしても構わないんだよ。ここは店員に強制するような店じゃないからね」

 そう言われると、僕は口を思わず噤んでしまう。どうやら、僕の不安は他の人から見ればバレバレだったらしい。

「大丈夫です。双葉さんだってここを乗り越えようとしてるわけだし」

「なるほど、彼女が頑張ってるのに彼氏が音を上げるわけにもいかないというわけか。それじゃ、昨日以上に頑張ってもらうよ。今日はお客さんが普段の土曜よりも相当多い感じだからね」

 執事長に微笑まれ、気合いが入る。確かに今日のお客さんの数をさばくのは大変だ。でも僕一人が働いているわけではない。神様さんもいればきみかさんもいて、休憩も取らずずっと料理を作り続ける執事長もいる。

 何より、この程度で音を上げていれば、神様さんと作る未来なんて手に入れることなんて出来ない。僕はよし、と自分に頷き掛け、入り口の鍵を開けた。

「いらっしゃいませ!」

 神様さんが眩しいほどの笑顔で入ってくるお客さんを招いていく。僕はキャラクターを作るように、何も言わずお客さんを席に導く。

 皆、僕達の格好を見てうわあ、と呟くが、その次の瞬間には壁にかかった多くの深瀬香織のイラストを眺めていく。深瀬さんもその光景が微笑ましいのか、先に出ていたパフェを食べながらその様子を遠目に見つめていた。

「ここへ迷い込んできたということは、腹が減っているんだろう。注文を聞こうか」

 男性客にも変わらない接客を。深瀬さんから与えられた接客術を一番に来たお客さんに披露する。彼らは失笑しながら、いつもと違う特製メニューを指してこれ、と告げてきた。

「血の滴るレッドソーダと、肉の饗宴、あとここ、ナポリタンが美味しいんですよね?」

「……まあ、そうとは聞いている。深瀬香織のSNSでも見たのか?」

「あ、はい。深瀬さんも美味しいって書いてたから気になるんですよねー。どうでしょう?」

「まあ、うまいと思う。気になるなら注文してみるといい」

「じゃあ、特製ナポリタン二つで」

 その言葉が漏れ、僕は僅かに微笑んだ。この僅かというところが難しい。いつもなら満面の笑顔で「ありがとうございます」と言うところなのだが、今回のイベントでは大きく笑うことを禁止されている。だから、まるでうまく罠にはめたような顔をしなければならないというややこしさがあるのだ。

 ともかく、僕は注文を取り、執事長の元へ行く。オーダー票を渡すと執事長は早速料理に勤しみ出す。この人、本当に昔はゲーム業界で働いていたんだろうか? そう思うくらい、彼の手際の良さは際立っていて、僕に疑問ばかりを与えてくる。何でも昔親戚の経営していた喫茶店で料理のイロハを学んだとか言っていたがそれでもここまでうまくなるものなのだろうか。

 聞けば聞くほど謎が深まる人物で、その謎の一端に深瀬さんがいるというのもまた不思議でならなかった。

 僕が次の席に行こうとしていると、神様さんがお客さんに声をかけていた。

「お客様、何かお気に入りのイラスト、見つかりましたかワン?」

「あの十三番のイラスト好きですね」

 十三番のイラスト。それは深瀬さんのメッセージがこもったイラストだった。不吉とされる数字の十三番にあえて合わせた、廃墟のような建物の前に佇む、ぼろきれを着た澄んだ目をした少女。愛らしいのに、背景の不気味さと相まって、ホラーテイストの一枚になっている。

 ただ、そのイラストを欲しがるお客さんが意外と多く、全イラストの中でも三番目ほどのプレゼントリクエストが成されていた。

 あれ、もらって部屋に飾るんだろうか。いや、飾るから欲しがるんだろうが……僕ならもっと可愛らしいほのぼのとしたテイストのものを選ぶだろう。

 神様さんはお客さんと軽く談笑し、注文を取るとすぐさま執事長の元へ走っていった。

 早速パフェが完成し、きみかさんが運んでいく。確かに僕達も大変だが、執事長の素早く料理を作る腕がなければ、この店は回らないだろう。このイベントで一番僕の中で見方が変わったのは、執事長だ。愚痴も言わず、笑顔でお客さんのために料理を飄々と作る。こういう男になれたら、ちょっとは格好も付くだろう。

 周りは目まぐるしく動いていく。僕もそれに負けじと席から席へ移り、注文と接客をこなす。ただあまりの忙しさに自分がさっきの席でオーダー以外の何を言ったか覚えておらず、深瀬香織という希代のイラストレーターが放ったプロデュースの重さを身にしみて感じていた。

 と、僕が次の席へ行こうとすると、猫の格好をしたきみかさんに一人来た男が声を掛けているのが見えた。あの客、見覚えがある。確か普段も来ている客だ。お世辞にも格好いいとは言えないその男は、きみかさんににへらにへらとした顔で迫っていた。

「今日の格好可愛いね」

「そう言われると嬉しいですにゃん」

 きみかさんは不快感を少しも出さず、その男に接客をしていく。だが男は元からナンパ目的なのだろう、きみかさんの肩をぽんと叩こうとしていた。

「ねえ、彼氏いるの?」

「それはちょっと、今のこのお屋敷の中では関係のないことかと思いますにゃん」

「だったらさ、今度二人で写真でも撮ろうよ。カメラの腕には自信があるんだけど」

 男の誘いにきみかさんの顔もだんだんと苛立ったものになってきた。

 僕が行くべきか。脚が動きそうになった時、僕より早く動く影が見えた。料理作りで忙しいはずの執事長が飛び込んできた。きみかさんはその執事長の料理すら捨てた足の速さに驚きの色を隠せていなかった。

「執事長……」

「ご主人様、今日できみかくんを口説くのは三回目ですね。残念ながら当屋敷の主であるべき資格を、この瞬間失われました。お代は結構です。今すぐここから立ち去って下さい」

 執事長はいつもの笑顔を浮かべながら、残酷な言葉を淡々と告げる。男は何か反論したいような顔をしているが、執事長の顔が変わることはない。

 結局男は諦めたのか、一つ舌打ちして店から出ていった。

 男が去った後、きみかさんは執事長に何度も頭を下げた。それを執事長は軽く手で制するとふうと息をついて彼女に笑顔を向けた。

「ああいう客がストーカーになる危険性はあるからね。しばらくの間、行き帰りは気を付けるんだよ」

「は、はい。あの、執事長、私のせいで売上……」

「これだけのお客さんが来てるんだ、売上は君に心配されることはないよ。深瀬に責められると辛いけどね」

 と、彼が冗談めかして笑うと、きみかさんは少し目に涙を滲ませながら、何度も何度も頭を下げていた。

 執事長は何度か首を縦に振った後、また調理場に戻り大量に入っているオーダーをこなしていた。

 その光景を見ていた僕に、神様さんがそっと近づき耳打ちをしてきた。。

「凄かったね、今の」

「神様さんも見てたんだ」

「見てたって言うか……お客さんもちょっと見てたよ。でも執事長があそこまで怒った感じで説教するのって初めて見た気がする」

 確かに、普段永久出禁にする時でさえ、もう少し物越し穏やかに告げる執事長が、あんな風に怒るのは珍しい。

 考えられることは二つ。一つ目はこの忙しさで苛立っていた。二つ目はきみかさんへ接するあの男の馴れ馴れしい態度に以前から苛立ちを覚えていたかのどちらかだ。

 どちらかは分からないが、こうしてみると、三回というのは随分と猶予を与えている感じもする。あんな風に誘われたら、仕事とは言えきみかさんも怖い思いをするだろう。

 神様さんも、そしてきみかさんも、僕が出来るだけ守れるようになれれば。少し静まりかえった店内は、地球の中心に立っているのではないかという錯覚を与えた。

 僕達が少し静止していると、呼び鈴が鳴らされた。神様さんがそちらの方へ走っていく。一方、僕を呼ぶかのように、お嬢様方の席からも呼び鈴が鳴らされた。

 ちょっとしたハプニングはあったものの、それでも店は動き続ける。執事長もきみかさんも無理してなきゃいいけど。

 僕はちらりと深瀬香織の座る席を見た。彼女は苦笑しながら、スケッチブックに鉛筆を走らせていた。

 何を描いているのかは知らない。でも、それが嫌な思い出ではないことは、彼女の表情からすぐ見て取れた。

 深瀬さんは、きみかさんを応援するのだろうか。それとも自分の恋愛を押し通すのだろうか。

 それはあまりにも難しい問題で、すぐに答えが出るわけはなかった。

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