3.5/18 一日目、終了
イベント一日目は目まぐるしく動きながらも何とか無事に終了した。
最初はたどたどしかったコスプレ接客も、慣れてくればそのキャラクターになりきれるもので、僕は最後の方、ナチュラルに暴言を吐いていた気がする。
それにしても、神様さんのコスプレ姿だ。尻尾が上向きになっていて、スカートも短いので普通に考えれば下着が見えそうなのだが、その上にふわふわしたドロワーズを履いているせいで性的な嫌らしさは全くなかった。むしろ深瀬さんの作った服が、神様さんの清楚な雰囲気にぴったり合っていて、僕の胸の鼓動を高鳴らせてくれた。
「みんなお疲れ。何か飲む?」
店をいつも通り八時に閉め、執事長がみんなに告げる。その脇の席には、今日の観察をずっと続けていた深瀬さんもいた。
「執事長、私コーラください。頭くらくらしてます……」
神様さんが音を上げるように声を発した。執事長は笑いながら、グラスに氷を入れ、そこにコーラを注ぎ込んだ。
僕はアイスティーをお願いするとすぐさまそれも差し出されてきた。
きみかさんは何か選ぶだろうか……そう思いながら悟られないように注視していたが、彼女は「別に私はいいです」と笑って躱した。
「深瀬、お前何かあるか」
「今日一日中飲んで食ってでしたから。私も特に何にもなくていいですよ」
深瀬さんの言葉に執事長は失笑していた。考えてみれば、深瀬さんはこの店にいるためにずっと食事や飲み物に手を付けていた。オムライス、特製焼きおにぎり、ピザトースト……頼んだものを思い出せば枚挙に暇がない。
「それにしても、深瀬さんのデザインしてくれた服、動きやすくて楽でした」
「じゃあこれからこの店はこのコスプレで接客する方向でどう?」
「……深瀬、お前何言ってるのか分かってるんだろうな」
深瀬さんの軽口に、執事長がむっとした脅しをかける。確かにこのコスプレは素晴らしいのだが、これでずっと接客を続けていれば僕達の疲労はとんでもないことになる。
「深瀬さん」
神様さんが深瀬さんに声をかける。深瀬さんは小首を傾げて彼女を見た。
「あの、イベント終わったらこの服どうするんですか?」
「あー考えてなかった。オジキ、どうするつもりです?」
深瀬さんの言葉に執事長も腕を組む。これは考えていなかったという顔だ。
「うちに置いてても仕方ないしな。欲しかったら持って帰ってくれていいよ」
「ほ、本当ですか?」
「本当」
と、執事長が笑うと神様さんは目を丸くして飛び跳ねた。確かに深瀬香織のデザインした服が手に入るとなると嬉しくもなるだろう。
「塚田君、二宮さん、この服着て頑張ったら一層情熱の炎が燃え上がるね」
「も、も、燃え上がるって……どういうことですか!」
神様さんは顔を真っ赤にしながら彼女の意図する言葉に気付き体を震わせていた。僕と神様さんの関係はもうオープンとしか言いようがないが、どこまで進んでいるかまで見切られているのは、さすがに恥ずかしくもあった。
「燃え上がり方がマッチみたいに小さな火かキャンプファイヤーレベルの燃え方か、お姉さんとしては楽しみにしてるよー」
「そ、そういうの楽しみにしないで下さい! 私と一宏君のことですから!」
神様さんは必死になって反論する。そんな様子を執事長はおかしげに見つめていた。
僕はきみかさんを見た。会話の輪に入らず、静かに笑みをたたえ見つめ続けるだけだ。
深瀬さんと執事長が笑い合っている度に、彼女は目を逸らす。こんなの、針のむしろに座っているようなものじゃないか。でも、執事長は気付かない。昔の仕事仲間が店を盛り上げてくれたことに、素直に感謝している形だ。
この空気が苦しい。僕は話を変えるように執事長に話を振った。
「執事長、今日の売上どのくらいだったんですか?」
「ほとんどフル回転だったからね。細かく計算してないけど普段の二、三倍は行ったんじゃないかな」
その言葉を聞き、神様さんと深瀬さんが同時におおと言う。だが、と執事長は深瀬さんを見てぎろりと目を光らせた。
「深瀬、オムライス、焼きおにぎり、ナポリタン、パフェ、アイス……どんだけ食えば気が済むんだ。お前一人で抽選券二枚出るようなレベルだったぞ」
執事長に指摘され、深瀬さんは苦笑を浮かべる。この細身の体によくそれだけ詰め込めるものだ。いくら昼からずっといるからとはいえ、なかなか食べきるには勇気がいる。
「あの、深瀬さん」
黙っていたきみかさんが、声を上げた。深瀬さんは笑顔を崩さず、彼女を見据えた。
「ずっとお店で見てて下さってありがとうございます。おかげでお客さんも喜んでくれて、私もすごく嬉しかったです」
「……ありがと。でも私のおかげじゃないと思うな。服を着こなしてくれるみんな、オジキの料理、楽しいって言ってくれるお客さん、他にも色々あるけど、どれか一つでも欠けてたら駄目だったと思う」
深瀬さんは微笑をたたえたまま、きみかさんに説く。きみかさんはそうですね、と笑い返し、カウンターに向かった。
「執事長、後二日ですけど、頑張りましょう」
「……もちろんだよ。でもこんなにずっと料理作りっぱなしってのは僕も初めてだったなあ」
執事長が深々とため息をこぼすと、神様さんが疑問を含んだような顔ですぐさま質問していった。
「執事長、前にやってたメイドカフェでもコスプレイベントやってたんですよね? そこには何かなかったんですか?」
「以前のとこはカラオケとか置いててね。どちらかと言うとメイドさん任せだったから、こういう大規模なイベントはしたことがなかったんだ。料理はたくさん作ったけどね」
「そう言えばオジキの作るフライドポテト美味しかったですよ。ここがあったらファミレス要らないですね」
「……お前、普段どう食生活送ってるんだ。少し心配になるぞ」
執事長の呆れた言葉に、深瀬さんは笑って誤魔化す。料理が作れないからファミレス、コンビニ弁当、そんな光景が容易に推測出来る。そう言えば、僕が帰ってくる前の右左もそんな生活を送っていたなと、僕は遠い目をした。
「オジキ、そうは言いますけど最近の冷凍食品とか凄いんですよ。あっためるだけで本格的な味なんですから」
「……その割にうちに来て食いまくってるな、お前」
「そ、それは……まあ、美味しいものは美味しいと思う気持ちは大事だと思うんです!」
深瀬さんの誤魔化しはいよいよ誤魔化しきれない領分に入ってきた。
ただ執事長はそれも織り込み済みなのか、軽く笑って深瀬さんに一声掛けた。
「人気イラストレーターが貧乏飯じゃ寂しいだろ」
「……それは」
「たまにはうちに来い。ちょっとはましなもん食わせてやる」
執事長が優しい声色で語りかけると、深瀬さんは申し訳なさそうに体を縮こまらせた。
「それにしてもみんなお疲れ様。みんなが頑張ってくれたおかげで今日店が上手く回ったって言っても過言じゃない。きみかくん、やっぱりリーダーとしての君の資質のおかげで随分助けられた、ありがとう」
執事長がきみかさんに礼を言うと、彼女は少しだけ笑って頭を下げた。
きっと、その裏にある感情を、執事長は気付かないんだろう。それを思うと、僕はほんの少し寂しくなった。
「私、服着替えてきますね。そろそろ帰らなきゃ」
「うん。ああそうだ、きみかくん、ここでのバイトもいいけど、大学の方もあと一月くらいしたら始まるんだから、頑張るんだよ」
執事長の励ましに、彼女は苦笑しながら「はい」と答えた。でも、その優しさが今の彼女を苦しめていることに執事長は気付いていない。ここに執事長がいなければ、きっときみかさんは今頃就活もして、大学生活を謳歌しているに違いない。それを思うと、執事長の気付かない部分に、かつての自分を重ね合わせていた。
「深瀬、お前はどうするんだ。今から掃除なんだけど」
「食事は充分に取りましたからね。ゆっくり帰ろうかなあって」
「そうか」
「ってオジキ、こんな可憐なアラフォーが一人帰るの寂しいなあって言ってるんですよ。車で送るとか言わないんですか!」
深瀬さんがむっとした口調で食いかかる。執事長はそういうことだったのかと困ったように笑いながら、ため息をこぼした。
「分かった分かった。ただ、今から一時間くらいはかかるぞ」
「いいですよ。そのくらい待ちます」
「……電車乗って帰った方が早いと思うけどなあ」
執事長のぼやきも何のその、深瀬さんは満面の笑顔で頬杖を突いた。
僕の服の背が少し引っ張られる。振り向くと、先ほど深瀬さんにさんざんにからかわれた神様さんが僕の目を見てきた。
「私たちも帰ろう。ここで邪魔になっても仕方ないし」
「執事長、掃除の手伝いとかいいですか?」
「君達はまだ学生でしょ。遅くさせるわけにはいかないよ。早く帰りなさい」
執事長に促され、僕達は店を発つことにした。
ただ、神様さんの視線も、僕の視線も、同じように深瀬さんに注がれているのは間違いなくて、どうしたものか、少し悩んでいた。
「一宏君、ここは信じよう」
「……そうだね。それじゃ執事長、お先に失礼します」
「ああ、明日からまた頼むよ」
そして、執事長の手を振るのに合わせて僕達は更衣室に向かった。
男性用更衣室で僕は今日の特別な衣装を脱いだ。この煌びやかな服を身に纏って、僕は今日一日接客をしていた。そのことが、遠い昔のようでもあり、また自分のことではないような非現実感を与えていた。
でも、今日一日動き回っていたのは間違いなく僕だ。その実感がわかない。ただ神様さんがいつも以上に愛想良く振る舞いながら、僕と何度もアイコンタクトを取っていたことだけはしっかり分かる。
お客さんも深瀬香織のファンが多かったためか、普段ならナンパでもされそうな感じなのに、そんなことは一切なく、壁に掛けられた絵や深瀬香織にサインを求める人達ばかりだった。
深瀬さんの人気は凄い。彼女は僕達が主役と言っていたが、実質的には僕達は添え物で、執事長の料理と深瀬さんと深瀬さんの絵が主役だった。
でも、それでも構わなかった。ここへ来たお客さんに、満足出来る空間が与えられるのなら何の問題もない。
僕はコスプレ衣装をハンガーに掛け、私服に着替えて裏口から外へ出た。
「一宏君、遅かったね」
裏口の扉のすぐ側で、神様さんが微笑みながら僕を待っていた。僕はくすりと微笑みながら彼女のすべすべした手を引いた。
店はすでにシャッターがかかっている。車で送ると言った執事長と深瀬さんがどんなことになるのか、少し心配ではあった。ただ僕に出来ることは一つ以外ない。何もせず見守ることが、今の自分に出来る唯一のことだ。




