3.5/11 一体僕は誰の味方なんだろう?
定休日の翌日、店はとんでもないことになっていた。
「はい! 少々お待ち下さい! すぐにお伺いいたしますので!」
店の中で、僕や神様さん、きみかさんがひっきりなしに走っている。普段なら多くても八割の入りの客席はあっという間に満席になっていた。
「執事長、ふわりと柔らかいクレープ包みのバニラアイスお願いします!」
「分かった。ちょっと待って頂いて」
何故こんなことになっているのだろう。それもこれも、客席の端で料理を食べながらひっそりお客さんの動きを観察している彼女にあった。
そう、深瀬香織である。
彼女が写真とコメントを載せられる類のSNSで、店のことを紹介したのだ。
『今回ご縁があってメイドカフェのコンセプトデザインをさせていただきました! 料理もとても美味しいので、イベントの日以外来ても楽しいですよ!』
と。アップした写真は、僕達も見せられたコンセプトアートと、いくつかの料理の写真。深瀬香織のファンがどんな店だろうと思ってたくさん来た結果がこれである。
中には店の端で食べているのが深瀬香織だと気付いた人間もいて、持ち込んでいたライトノベルにサインをもらったりもしていた。
でも彼女は嫌な顔一つせず、お客さんと談笑したり、また店に来て欲しいと言ったり、この店の賑わいに彩りを添えていた。
お店のお客さんが増えるのは執事長は織り込み済みだったのか、慌てる素振りはみせないものの、バイト集団である僕と神様さんときみかさんは息つく暇もなく動き回っていた。
しかしここはメイドカフェ、少しはお客さんに声をかけることも必要だ。
「お嬢様方、この屋敷、お楽しみ頂けていますか?」
僕は二人組の女性客に話しかけた。すると二人は笑顔で僕に言葉を返した。
「料理とっても美味しいです。接客も丁寧だしね」
「そうそう。さっきからあそこでサインとかしてる人って、深瀬香織さんですよね。私とっても好きなんですよ」
と、深瀬さんのことを出され、僕は苦笑した。彼女は彼女で、ノートを広げ仕事用のイラストを色々描いている。手が空いた時に彼女に訊ねたのだが、今請けている仕事のキャラクターデザインを行っているらしい。少し見たが、ラフ絵なのに見入らせるだけの可愛さ、そしてそれを引き出す上手さがあった。
そんな仕事が重なっている中だというのに、お客さんに愛想を振りまきつつ、サインもする深瀬さんを見ていると、イラストレーター業界で天下を取るのは当然に思えた。
「深瀬さん、凄いですよね。僕もコンセプトイラストを見せてもらった時に凄いなって思いましたから」
「イベントの日に執事さんがあの服着るんですよね? また来ます」
彼女達はくすりと笑いながら僕にそう告げる。何というか、恥ずかしくなるが誇らしくもある言葉である。
僕は頭を下げてカウンターの方へ移動した。
執事長は料理を作り終えたと思うと、ラテアート入りのカフェラテを作っている。ラテアートは当たり前だが泡立っている間に絵を独自のかき混ぜるような方法で一発で描ききらねばならない。失敗したらやり直しは効かない。
あんなプレッシャーばかりかかる品を、こんな時に作れるなんて、さすが深瀬さんが尊敬する相手だけはある。
「塚田君、これを五番テーブルの旦那様に。それが終わったら休憩ね」
「分かりました。あの、執事長は休まなくていいんですか?」
「僕が休んでたら料理出せないからね。それに深瀬もあれだけファンサービスしてる。負けるわけにはいかないんだよ」
と、彼は本気か冗談か分からない言葉を告げ、また料理を作り出した。
深瀬さんのSNSで登場したナポリタンをお客さんも次々と頼んでいて、改めて深瀬香織というイラストレーターの力を思い知る。確か深瀬さんのSNSを登録してる人は何万ではなく何十万だったか。確かに行ける距離なら行くというお客さんがたくさんいてもおかしくない。
僕はラテアートで彩られたカフェラテを言われたテーブルに運んだ。ようやく休憩だ。
僕がバックヤードに入ると、先に休憩に入っていた神様さんが息を吐いていた。
「神様さん、お疲れ様」
「はあ、一宏君、忙しいね。というか深瀬さんのファンを侮ってた……やっぱりあんなイラストまで載ってたら来てみたいってなるよね」
彼女はため息をこぼすと体をほぐすように腕を伸ばした。
「そう言えば深瀬さんからもらったイラスト入りの色紙どうしたの?」
「ああ、あれね。凄く嬉しくて、額縁買って部屋に飾ってるよ。ああいうのもらえるなんて思ってなかったからびっくりしてる」
神様さんの声のトーンが上がる。大ファンの作家が一点ものの色紙を描いてくれたとなれば誰でも嬉しくなるだろう。
しかし、深瀬さんのあの小柄な体のどこにあの無尽蔵のタフネスが隠されているんだろうと思ってしまう。自分の仕事をこなしながら、食事を取りつつお客さんとのコミュニケーションを図る。僕が同じ立場ならどれか一つしかこなせない。
「深瀬さん、執事長の前だから情けないところ見せたくないのかな」
「それもあるけど、きっとあの人の普通があれなんだよ思うよ。私達には想像つかない世界だけど」
そう言えば、深瀬さんはフリーのイラストレーターだった。様々な仕事を請けて、それを納期までに仕上げるのは当たり前の生活をしている。だからあんな忙しいことを平然とやってのけるのかもしれない。
やっぱり、執事長や深瀬さんの域に達するのはまだまだ難しそうだ。神様さんと共にいられる人になりたいと色々願うけど、あの二人を見ているとああ、大変だなと思ってしまう。
「この間さ、少し気になって深瀬さんの経歴ネットで調べたんだ」
「あ、私知ってるよ。三年間会社にいてそこから後はフリーになったんだよね」
「そう。もっと会社勤めが長かったのかなって思ったけど、意外と短かったんだよね」
僕は深瀬香織の経歴を調べた。専門学校を出てすぐに会社に入って、メインのイラストレーターとして起用されたのが一年半のことだった。そして勢いがあったのに、会社を辞めてフリーのイラストレーターに転身。でもそこでゲームの絵を描くのを止めたわけではなく、フリーに転向しながらも色んな会社の色んなゲームの絵を描いていた。
むしろライトノベルなどで知られるようになったのは、ここ十年ほどの話で、彼女が勢いを増したいという言葉は、その経歴を見るとなるほどと思えるものだった。
「凄いよね。執事長も深瀬さんも」
「僕は執事長のすごさに驚くかな。深瀬さんに才能があったのは確かだけど、怒鳴ってまで使いたくないって言った深瀬さんを我慢して指導したわけだよね。そこで結果を出させるまで深瀬さんを見守ったところなんて、今の執事長と変わらないと思ったよ」
僕の言葉に神様さんはふむふむと頷く。
こうなってくると、やはり気になるのが執事長が悪人だったという話だ。
「執事長が悪人って話、あれ周りに厳しいから嫌われてただけじゃないかなって私は思うんだけど、一宏君はどう思う?」
「なんていうか、深瀬さんの話とか執事長の話を聞いてるとそれだけじゃなくて、理不尽なことを言って周りを疲弊させる暴君タイプだったんじゃないかって思う」
「暴君かあ……それなら恨まれてても仕方ないかも」
推測の話。なのに僕達は疲れ切ったため息を漏らした。深瀬さんや元仲間の人達みたいに執事長を慕う人達もいる。一方で今も許せないと言う人もいる。
僕は敵も味方も作らない方だ。それでももしかすると、何かしらの恨みを買ってずっと憎まれていることもあるかもしれない。神様さんだって委員長や僕の友人の野ノ崎から長い間ずっと悪人のような扱いを受けていた。
人の感性なんていい加減だ。僕は今の執事長を信じることにした。少なくとも、悪人なら僕みたいな人間を自分の店で働いていいよと誘ってくれるわけがない。
体の筋肉が張ってる。ストレッチをするように僕が体を伸ばしていると、神様さんからふいに質問が飛んできた。
「一宏君、バイトの方もいいけど、受験勉強しっかり出来てる?」
「出来てる……って言いたいところだけど、実のところあんまり進んでない」
「それは駄目だよ……しっかりしなきゃ」
「うん。体がこの生活に慣れてきたらギアを上げるつもりではあるんだけどね」
と、僕がこぼすと、神様さんは立ち上がって僕の額を軽く小突いてきた。
「何言ってるの。確かに働かなきゃいけない状態にはなったけど、きみは受験勉強をこなして妹ちゃんの世話をしなきゃ駄目でしょ? バイト頑張りました、受験落ちましたじゃ妹ちゃんがっくりくるよ」
忘れていたが、確かにそれはある。たとえ普通の兄と妹の関係に戻ったとしても、僕は右左の憧れる兄の姿を見せ続けなければならない。しかも三年の今頃の季節になって理系への転向だ。気合いを入れなきゃ簡単に受験に落ちる。
神様さんの願いである花屋を一緒に営むために、僕はもう少し頑張らなきゃいけないな、と自省した。
脇に置いてあるペットボトルのスポーツドリンクに口を付けていると、神様さんが天井を見てぽつりと呟いた。
「でも深瀬さんの恋も応援したいけど、きみかさんの恋も応援したいんだよね」
そのことか。どちらが結ばれても僕は構わないと思っているが、執事長の分かっていそうで避けるやり方は、包み込むような優しさのあるあの人らしくないと思っている。それほどまでに二人からかけられる愛のプレッシャーが重いのだろうか。分からない。どういう結末を迎え、どう終わるのか。
ただそれも、イベントまでのことだろう。イベントが終われば深瀬さんが店に来ることも減る。そこで執事長も何かしらの結論を出すと信じたい。
と、僕達の休憩時間が終わろうかという頃に、入れ替わりできみかさんがバックヤードにやってきた。さすがのお客さんの多さに、普段無類の気力を誇るきみかさんも少しお疲れ気味の顔をしていた。
「あ、きみかさん、私達そろそろ戻るんでゆっくりしてください」
「うん、そうする」
と、彼女は椅子に腰掛け、小型の冷蔵庫に入れていた栄養ドリンクに手を伸ばしていた。
「執事長元気だなあ。あれで五十代だよ? 若い私は何やってるんだって思う」
きみかさんは自分が不甲斐ないと言わんばかりのことを口にする。そんなことないですよと言うのは簡単だが、今の彼女の心に響きそうもなかった。
「深瀬さんも凄いね。SNSで宣伝しただけであんなにたくさんのお客さん呼び込むんだもん。メイドカフェやってなかったら、執事長はともかく深瀬さんと知り合うこともなかったね」
きみかさんは少しだけ笑って、栄養ドリンクを少しずつ飲んでいく。
彼女の寂しげな顔は、客席では見られないものだった。こんなところでしか弱音を吐けないなんて、辛すぎる。僕も神様さんも、かける言葉を失っていた。
「あの、きみかさん」
「何?」
「明日とかでもいいんで、たまには帰りに喫茶店でも寄りませんか?」
「飲み物ならここでいいと思うんだけど……」
「そ、そうじゃなくて、店でしにくい話とか、きみかさんとしたいんです! 一宏君もいいよね?」
神様さんの鋭い言葉が僕に向く。いや、それはと否定が許されるわけもなく、僕は静かに「そうだね、いいよ」と答えた。
「双葉ちゃんと一宏君とお話か。確かに今の暗い自分を払拭するにはいいタイミングかもしれない。じゃあ、明日のバイト終わりに。喫茶店開いてなかったらハンバーガーショップでもいいよ」
「ありがとうございます! 私、きみかさんから学ぶことたくさんあるんです。そこら辺も聞けたら嬉しいなあって思ってます」
「双葉さん、休憩時間」
僕が促すと、彼女は顔を赤くしながら、きみかさんに頭を下げた。そして特にそれ以上の言葉をかけることもなく、走って客席の方へ戻った。僕も同じように、きみかさんに一礼して客席の方へと戻った。
イベントの日まで、それほど時間はない。でも、深瀬さんがこのコンセプトカフェのことをきっかけに、執事長にアプローチをかける可能性はある。
僕はそれが嫌なのだろうか? そんなこともないだろうと思っている。なら、どうして僕は迷っているのだろう。人葉さんに言われた、誰の味方でもないポジションのはずなのに、迷いばかりが心に過ぎる。
この気持ち悪い感情も、きみかさんとの会話で晴れればいいのだが。僕は緩んでいたネクタイを少しきつく締めた。