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リトルフォーチューン―あるいは引きこもりの妹の話であって―  作者: やまみひなた@不定期更新
3.5/ そして始まった夏のバイト生活
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3.5/10 初めてきちんと向かい合う大切な二人

 今日は店の定休日だ。夏だからといって開店している日が多いわけでもなく、少ないわけでもなく、いつも通りなのが学園生活と一般の店の違いを感じさせていた。

 僕は駅前にいた。ここであの人を待っている手はずになっている。

 時間まであと二十分……ちょっと早いかなと思いながら改札口の辺りを見た。

「あ」

 向こうから口をぽかんと開けた少女の姿が見えた。僕も思わず同じように口を開けた。

 僕が待っていた神様さんが改札口の向こうにいた。繰り返しになるが約束の時間まで二十分ある。それなのに僕達は同じように早めに来て合流してしまった。

 待たせちゃいけない。そう思っていただけなのだが、こんなこともあるものだ。

 それが一回二回なら笑えるのだが、会う約束をする時はいつもこんな感じだ。僕は家で待てない性分になってしまった。時間なんていつかは過ぎるんだからちょうどに行けばいいと思うかもしれない。だが、家にいるとそわそわしてきて、気持ちが落ち着かない。だから早めに来て心を整えるのだが、その度に神様さんと早めに出会ってしまう。

「一宏君、おはよう」

「おはよう。早いね」

「一宏君も早いよ。腕組んでいい?」

 と、彼女は僕に柔らかく訊ねてくる。僕は左腕を差し出した。すると彼女は嬉しそうに飛びつき、共に歩き出した。

 普段神様さんの家に遊びに行く時はコンビニに寄ったりするのだが、今日は用意を全て調えている。真っ直ぐ家に行ける状態だ。

 神様さんもかなりこの街に慣れてきたのか、にこやかな顔で辺りを見回す。

「ちょっとだけだったけど、私この街で学園生活送ってたんだなあ……」

 懐かしげに、そして少し寂しげに呟く。その度に僕は、その時彼女の側にいてあげられたらどれだけよかっただろうと感じてしまう。

 でもそんな僕の心をすぐに汲むのか、彼女は僕の頭を撫でてくる。

「でも、一緒の学園生活送ってたら、きっとお互いに興味なんて持たないまま過ごした気もするし、今が幸せだからそれはそれでいいかなって思ってるよ」

「……神様さんは強いな。多分、その予想は合ってるとは思うけど神様さんと一緒にいる学園生活はちょっと送ってみたかったかな」

「面白いことなんて何もないよ。君は成績上位者で私はみんなから遠巻きにされてる人。だから多分、話なんてかみ合わなかったと思うし」

 その言葉にお互い笑い合う。もしもの世界。でもそんな世界も容易に想像出来る。

「今日は妹ちゃん家にいるの?」

「うん。どうかした?」

「ちょっと話してみたくて。ほら、あんまりじっくり話したことないじゃない」

 彼女は少しもじもじしながら呟く。

 僕はその意見がいいものだと思った。神様さんと未来を迎えたいと思うけど、それ以前に右左とどんな関係を築けるのか、それはまた別の話だ。だからこそ話しておくことは大事だと思える。

 僕が笑顔を見せると、彼女はほっとした顔でため息をこぼした。

 しばらくすると、家に着いた。学園までは歩いて十五分程度の距離だが、その十五分の距離も時々面倒に思える時がある。

 家に着いて鍵を開ける。右左の靴は綺麗に並べられていた。どうやら気を遣って出ていったということはないらしい。

「さ、どうぞ」

 と、僕が言うと彼女は絡んでいた腕を解いて、「お邪魔します」と告げてから丁寧に家に上がっていった。

 彼女を部屋に通したその脚で、僕は右左の部屋の前に立った。何回かノックすると、部屋の扉がそっと開いた。

「兄さん、どうかしたんですか?」

「右左、今日双葉さん来てるんだけど、右左と話したいって言って。大丈夫かな」

 僕が説明すると、右左は少し考えたあと、相好を崩してはい、と答えた。

「じゃ、僕の部屋に行こうか」

「分かりました」

 右左は僕の後ろに付いていく。神様さんは僕と右左で何の話をしたいのだろう。きっと、何でも無い雑談をしたいんだろうな。僕はそんなことを思った。

 僕の自室の扉を開けると神様さんはすっと立ち上がって右左に頭を下げてきた。右左は恐縮しきっているのか、顔を紅潮させながら手を震えさせていた。

「右左ちゃん、その、今日は一日おうちでお邪魔します! よろしくお願いいたします!」

「あ、あ、あのそういうの、大丈夫ですから!」

 二人ともどこか緊張している。僕は少しため息をこぼしながら、右左の肩を叩いて神様さんのいるテーブルの横に着いた。

 右左も緊張をほぐすように息をつきながら、僕と神様さんの向かいに座る。僕は用意していた紙コップにそれぞれの分ペットボトルの緑茶を注いだ。

 右左は神様さんと目が合うと、少し縮こまってしまう。別れの原因を作りかけたのだ、それくらいの気持ちになるのは分かる。

 ただ神様さんは優しくて、右左を見て微笑んでいた。

「話は聞いてたし、うちに上がった時にちょっと会ったことはあるけど、じっくり話すの今日が初めてだよね、右左ちゃん」

「……そうですね。その、色々ご迷惑をおかけしました」

 右左が頭を下げると、神様さんはすぐに手を振って制した。

「気にしてないよ。こんな格好いいお兄さんいたら、私だって独占したくなるし」

「それは……その」

「それとね、右左ちゃんのおかげで、私、どうしようもないくらい一宏君の事が好きなのに気付かされた。今の私が幸せに思えてるの、右左ちゃんがいてくれたからだよ」

 神様さんの言葉で、右左は俯きながら、必死に涙をこらえていた。もっとどうでもよくて、お互いの印象がそんなに変わらない話になると思っていたのだろう。それがこんな風にお互いの心を交わらせる事になるなんて、想像が付かなかったに違いない。

 僕は二人を見て、必ずうまくいくと思えた。

 しばらく言葉が途絶えたあと、右左は真っ直ぐ前を向いて笑った。そして訊ねた。

「あの、双葉さんは学校中退したんですよね。兄さんとどこで知り合ったんですか?」

 ああ、懐かしい話で情けない話だ。神様さんは苦笑しながら、右左に説明した。

「夕方の街をぶらぶらしてた時があってね。いつも家で引きこもってたのに、その日は何となく外に出たくなったんだ。それで嫌な思い出しかないのにこの街に来て。そしたら一宏君がいたの」

「……何だか不思議な話ですね」

「私も不思議だと思うよ。でも磁石が鉄を引っ張るみたいに一宏君の後ろ姿見たら、何となく声をかけたくなって。って、これじゃ逆ナンだね」

 神様さんは道化のように振る舞う。右左はぽかんとしたまま神様さんを見つめていた。

「最初は連絡先も名前も知らない友達だったんだけど、色々あって仲良くなってね。少し離れてた時期もあったんだけど、その時に一宏君のことを好きだって気付いた。で、一宏君に見合う自分になれるようにバイト始めたの」

「兄さんに見合う自分……ですか」

「そう。あのまま無様に逃げてる自分じゃ一宏君に告白することなんて一生出来ないって思ったから。それで今のバイト先に来て……でも一宏君が同じ場所で働くとは思ってなかったよ」

 と、神様さんは失笑をこぼす。それにつられて、右左も笑った。

「右左ちゃん成績いいんだよね。いつも一宏君が言ってるよ」

「ほ、本当ですか? その……ただ真面目にやってるだけで、私は頭いいとかじゃないです」

「私の知ってる人に頭良くても性格がちょっとアレな人がいるから、真面目な右左ちゃんはいい子だと思うよ。そもそも私、中卒だしね」

 右左は神様さんから褒められて、もじもじしている。僕は神様さんの言う「アレな人」を知っているだけに口を挟みづらい。

「あの、少しいいですか」

「何?」

「私、双葉さんに嫉妬してました。太ってるわけでもないのに胸も大きくて、顔も可愛いというのと美人っていうのの間で凄く綺麗だし、うちに来られた時私がぞんざいな態度を取っても笑って受け止めるくらいの性格をしてて。……兄さんを取られると思って必死になってました」

 右左は頭を下げる。神様さんは口元だけ緩めて、右左の言葉を静かに聴き入っていた。

「失恋は辛いと思うよ。私も君達が引っ越しするって言った時、この恋は終わっちゃうんだって思って塞ぎ込んだ。でも今もこうして関係は続いてる。その時初めて思った。自分の気持ちだけじゃどうにもならないことがあるって」

 神様さんはお茶に少し口を付け、右左の目をしっかり捉えた。

「でも、そこで私の一宏君の事を絶対に忘れられないっていうくよくよした気持ちが一宏君に伝わった。それで一宏君が一生懸命動いてくれた。諦めるのは簡単だしどうにもならないことだってたくさんあるけど、どうにもならなくたって自分の気持ちも大切だって教えられた。諦めてたら別れてたと思う。だから、右左ちゃんに一宏君を譲ることは出来ないけど、自分の人生を一生懸命頑張ってほしいのは本当の気持ちだよ」

 右左は神様さんの言葉を聞いて、涙を流すわけでもなく、しっかり頷いた。僕のことは吹っ切った。これから先、右左のモチベーションになるものはきっと学園での勉強だろう。それを神様さんも僕も分かっているから、こんなにも温かな空気になれる。

「ところで右左ちゃん、少し聞いてみたいことがあるんだけど」

「何ですか?」

「五十代の人と二十代の人が結婚するって言ったらやっぱりきつい?」

 突然の質問に右左は悩み出した。それ、執事長ときみかさんのことじゃないか。僕は視線を逸らしながら右左の答えを待った。

「親子位年齢が違いますからね……愛があっても難しいと思います」

「だよねえ。……やっぱりきついかなあ」

 神様さんは天を仰いだ。仮にきみかさんが今すぐ執事長と結婚して子供が出来たって、子供が二十歳の頃には執事長は七十代だ。三十になったら八十代。執事長が自分から身を引くのも何となく理解出来る。

「それじゃ、五十代の上司と三十六の元部下は?」

 今度は執事長と深瀬さんのことを訊ねてきた。右左は今度は小首を傾げながらも、すぐに答えた。

「年齢が近いし、その辺りだったら大丈夫と思います。子供は難しいかもしれないですけど今の不妊治療って凄いって学校で習いましたし意外と大丈夫かな……」

 右左がこういう相談事にのるのは初めて見るが、意外と家庭面の方を気にする側面があることに驚かされた。ただ執事長の五十代というのは、恋愛対象として見るには難しい側面が強いのは分かる。たとえ好きであっても家族の同意を得られるかは難しい。

 執事長が今更結婚を考えているのかどうかは知らないが、周りが押しつけてもきっとあの人は何もアクションを起こすことはないだろう。だからメイドカフェをしっかり経営出来ているのだ。そこを僕と神様さんはもう一度強く認識する必要があった。

「じゃあ最後に。右左ちゃんはどんな人と付き合いたい?」

 神様さんは頬杖を突きながら笑って訊ねる。右左はくすりと笑って、すぐに答えた。

「私、一度心が壊れました。でもそんな心を兄さんは時間をかけて治してくれました。だからそういう、私の心を包んでくれる優しい人と付き合いたいです」

「なるほどなあ。でも右左ちゃんならきっといい人と出会えるよ。もし彼氏が出来たら教えてね」

「はい」

 右左は笑顔を浮かべ、正座から立ち上がった。そして神様さんに一礼をし、部屋の扉まで向かった。

「あの、今日はお休みですよね。その、私部屋に籠もってますから、気にしないで二人の時間を作って下さい」

 右左の他愛のない言葉。だが他愛のない言葉の裏にある意味を僕も神様さんも気付き、赤面した。

 先日の右左の言葉は「ちょっとだけ聞こえたのかもしれない」とあえて気にしない方向を貫こうと思っていた。だがこうして二人して並んでいる場所で、ああ言われると「何をしているか知ってるけど知らない振りを続けてあげます」と言われているようで、とんでもなく恥ずかしい思いが過ぎる。

 右左の去った部屋で、僕は縮こまる神様さんを励ますようにぽんと肩を叩いた。

「右左ちゃんにバレバレだったの……恥ずかしいね」

「僕もそう思う。見られたらもっと恥ずかしいけど、声だけでも充分きつい」

 と、僕がベッドに腰掛けると、神様さんも同じように僕の隣に座ってきた。

「今日は久々のイチャイチャ出来る日だから楽しみにしてたんだよ?」

 と、彼女は腕ではなく体に抱きついてくる。口先では右左に聞かれて恥ずかしかったと言いつつ何だかんだで、結局こういう展開になるのだ。

 神様さんは抱きついたまま僕の胸に自分の顔を押し当てる。そんなに甘えたいのだろうか。僕は気になってたことを訊ねた。

「神様さん甘えるの好きだよね。お父さんがいなかった影響?」

「……それもあるかな。私とお姉ちゃんが二歳の頃にお父さん亡くなって。それと友達も彼氏もいなかったから、甘えるって感覚分からなかった。お姉ちゃんは甘える対象じゃないし」

 と、彼女は僕に顔を押し当て胸の中で呟いた。僕は彼女の髪を撫でながら、続きを静かに訊ねた。

「お母さんとかは?」

「お母さんには甘えられたかな。でも、やっぱり何か違うんだよね。きみに甘えるのって凄く特別な感じがする」

 彼女は抱きついたまま、言葉を発さなくなった。その間何度も僕の胸板を確認するように顔をこすりつけてくる。

 そう言えば、今度の店のイベント、神様さんは犬っぽい役回りなんだっけ。

 こんな姿を見られる僕は、幸せだ。他の人に同じ事をされても、絶対に嬉しいと思わないし甘えられるのがそもそも苦手だ。それなのに彼女にだけはこうされるのが嬉しい。

 こうして、僕と神様さんの長くて短い夜七時までの時間が始まった。右左は本当に閉じこもっていたのかは分からないが、僕と神様さんにとって幸せな時間を紡げたのは確かだった。

 しかし、執事長ときみかさん、そして深瀬さんの難しい関係はどうやればうまく解けるのか、夏の眩しい日差しを避けるのが難しいように、正直分かりかねた。

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