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リトルフォーチューン―あるいは引きこもりの妹の話であって―  作者: やまみひなた@不定期更新
3.5/ そして始まった夏のバイト生活
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3.5/9 平穏な店の中で絡まり合う複雑な感情

 冷房、少し効きすぎだな。僕はエアコンのコントローラーに近づき温度を少しだけ上げた。

「君と双葉さん、うまく行くよ。こういう直感、私結構当たる方だから」

 彼女がかけてくれた励まし。誰に言われても同じようにしか反応しないのに、何故か彼女に言われた一言は不思議と、嬉しさとそうなるのではないかと思える二つの感情を与えてきた。

 と、執事長が出来たてのオムライスを運んでくる。スケッチブックを汚さないように、繋がっている隣のテーブルにオムライスを置いた。

「オジキのオムライス、心していただきます」

「……そう言いながらイベント終わるまでうちの飯全部タダなんだからな。これギャラの方が良かったかな」

「大丈夫ですって。オジキと私のSNSでイベントの宣伝したらお客さんいっぱい来ますし。そのためにもオジキの料理の味を知っておくのは大事なんです!」

 彼女は力強く拳を握って力説する。執事長はそんなわけはないだろうと苦笑気味にカウンターへ帰っていった。

 彼女はスケッチブックを大事に脇に置いて、隣の席に移動してオムライスに口を付けた。見ただけで分かる、卵のふわりとした具合。これだけ見ていると、執事長はどこかのレストランで修行していた人に見える。この人がゲーム作りの会社に勤めていて、悪人と呼ばれていたことが全く信じられない。

 ここは少し自分の中に孕んでいる疑問も解消してみるか。僕は思いきって深瀬さんに訊ねていた。

「深瀬さん、執事長いつも自分のことを昔悪人って言われてたって言うんですよ。それって本当ですか? 全然信じられないんですけど」

 僕の質問に、深瀬さんは口元を押さえて失笑をこらえていた。執事長もカウンター越しに苦笑いしていた。

「割とそこら辺は本当だよ。私は半年しか一緒にやれなかったけど、ずっと前から一緒だった先輩とかは飲み会でオジキの愚痴を話し合うのがお決まりだったって言ってたし」

「この人の愚痴が飲み会の定番……」

「今も恨んでる人はそこそこいるっていうのも聞くけど、一番因縁のあった別の派閥の人達とは和解して、時々飲みに行く関係になったって聞いてる。私には声のかからないところだけどね」

 と、彼女が言って、僕は執事長の過去の言葉を思い出した。勇気を持って相手に謝罪し許された時涙がこぼれたと。やっぱり、執事長はいい人なのではないのだろうか。僕は笑顔の彼女を見つめながら、執事長の今を見た。

 執事長の今。きみかさんの数度に渡る告白を断って、店のお客さんのために働く。打算無しの仕事ぶりに悪意はない。好意のみがある。僕達の知らない過去の執事長。そして僕達が今見ている執事長。その両方の時間を知っている深瀬さんは、執事長のためにその身を捧げているきみかさんからすればコンプレックスを刺激されて仕方ないだろう。

「塚田君、僕が悪人だったのは事実だよ。出来が悪いって言って会社から追い出した奴もいるし、精神的に追い込んできつい思いをさせた奴もいる。……今更そんなのが許されるわけもない。だから僕に取れるせめてもの責任として、業界から離れたんだよ」

「……執事長はそれでよかったんですか?」

「ああ。そのおかげで今はメイドカフェを経営出来ている。案外、こういう仕事の方が好きなのかもしれないって思ってるくらいだよ。働く時間はゲーム会社時代よりもきついけど、お客さんの笑顔を見てるとやっててよかったと思うんだ」

 彼の顔に迷いはない。今のこの仕事に思いを一生懸命募らせている。だから僕は、この人のことを尊敬出来る。

 これできみかさんのことがうまくいけば、本当に言うことなんてないのに。僕は自分の中で逡巡する思いにむずむずしながら、深瀬さんの席の前に座った。

「オジキのオムライス本当に美味しいです! ふわふわ卵にくどくないケチャップライス! 私こんなの作れませんよ!」

「……お前、まだ料理作れないんだろ」

「あ、分かりますか?」

「お前なあ、俺がお前に指導してた時、料理作れないからって散々夕食連れていってやっただろ。少しは成長したかと思ったんだが……成長したのは絵描きの腕だけか」

 執事長はため息をこぼした。そして続けざまに、笑顔で一声掛けた。

「ただ、お前の食い扶持になる絵描きのスキルを上げたのは素直に褒められる。深瀬、凄く苦労したと思うが、俺もお前の活躍を見て、あの時我慢して良かったっていつも思ってる」

 執事長が優しい声をかけると、オムライスを食べて笑顔だった深瀬さんが急に俯いた。

 どうしたんだろう。無言でその様子を窺う。すると彼女は瞼からぽそぽそと涙を数滴こぼし始めた。

「深瀬さん?」

「オジキにそう言ってもらえるの、本当に嬉しいです。一番認めてもらいたかった人ですから。でも、私、まだまだこんなもんじゃないっす。努力して努力して、誰も見たことのない所に行きたいです」

「それは難しい道だな。でも、お前がやるって決めたからには、きっとやれる。俺は信じているぞ、深瀬」

「はい!」

 深瀬さんが強く返事をした頃、ちょうど十二時のチャイムが鳴った。バックヤードに下がっていた二人も戻ってきた。

「さあみんな、今日も一生懸命、ご主人様、お嬢様方に素敵な時間を捧げましょう!」

 執事長のかけ声と共に、店は動いていく。深瀬さんは涙を拭って、オムライスを完食するとまたスケッチブックに向かい合った。

 知らない過去なんていくらでもある。僕だって神様さんが本当に辛かった頃のことなんて知らない。でももしかしたら、過去より大切なことは未来に向かう今なのかもしれない。色んな人が言ってた陳腐な言葉が、心の奥にすとんとはまった。

 僕は今を大事にして、これからも大事にしよう。それが神様さんの側で出来る唯一のことだ。

 早速お嬢様方が来た。僕は笑顔で彼女達を席へ連れていく。

 無理に首を突っ込む必要はない。出来ることは探してやればいい。人葉さんに言われたことが脳内に蘇った。

 今日も忙しくなりそうだ。僕は明るい日差しを見て、強い気持ちを持てた。

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