凶の星、流れ落ちる黒
土煙は立たなかった。空気は揺れなかった。音は震えなかった。気配は刹那失せていた。
瞬とした時間に一人の女性が今、この場に現れた。
。―――と、現れた女性にはっと気が目を覚まし、すぐさま黒太刀と黒百合の瞳孔はその女性に焦点を合わせた。
「『現れろ』」
女性はただ一言、合図によく似た号令を口遊んだ。
すると、女性の右手に瞬として拳銃が握られた。銃身の長い、6Unicaと呼ばれる回転式拳銃。その銃のセーフティを親指ではじき、容赦や躊躇という存在を片端から潰すように人差指を動かし、弾倉に込められた弾丸を全弾発射した。
銃口が睨みつけていたのは黒百合の胸。刹那的短さの時間で撃ち込まれた6発の弾丸は、寸分違わず黒百合の心臓に向かい、空を貫く。
女性と黒百合の距離は2m、構えられた6Unicaの銃口からの距離はおよそ1mほど。弾丸の速度は442m/sであり、1mの距離など刹那で到達してしまう。
目標は絶命する。女性はそんなことを思っていた。黒百合の意識の外から奇襲をかけ、そして瞬発的に命を削ぐ6発もの凶弾を放ったのだ。防御や回避が間に合うはずもなかろう。
黒百合の瞳が光る。彼女は反射的に、自分の意思とは関係なく自らの影を操った。上方に巻き付いていた影撫が瞬時に霧散し、形状を再び成し、黒いカーテンのように薄く、構えられた盾のようになって黒百合を銃弾から阻んだ。
銃弾は弾かれることなく、影撫に溶け入るように入り込んでそのまま消え失せた。その行方を一言で言い表すならば、吸収。
「良太!」
「―――ゎかってる!」
黒百合の呼びかけに半ば反射で答えた黒太刀も、無意識のうちに自らの黒裂を太刀の形に変え、現れた女性に向かってその刃を振り下ろした。
女性は振り下ろされた刀を前にしても、冷静な表情のまま倒れていた上方の腕を持った。
「『向かえ』」
黒裂が振り下ろされるが、その刃は女性を斬ることなく地面を大きく引き裂いただけだった。
「!? ―――消えた?」
先ほどまでそこにいた上方と女性が、その場から忽然と消えていた。
「……この程度カ」
消えた女性の行方を目で探していた黒百合は、また聞こえてきた言葉に反応した。声のした方向を向き直り、そして後を追うように目視で女性の姿をとらえた。
女性は先ほどいた場所からかなり離れた場所へと移動していた。公園の出入り口付近まで一気に移動したのか、すでに黒百合たちとの間合いは10m以上となっていた。
「―――上方、情情情。私来なかったらどうなってたことカ」
「……一応、感謝はしとくよ」
上方もいつの間にか女性と同じで公園の出入り口の方まで移動しており、ゆっくりと立ち上がった。
「いつの間にあんなところに移動をっ……、一体何なんだアイツは!」
黒太刀は先ほど現れた女性を見て、苛立ちを見せる。得体のしれない相手が一人増えたのだから、頭が混乱する気持ちもあるだろう。しかし黒百合は違った。
「……貴女ですか、上方慚愧に何か吹き込んだ張本人さんは」
女性は握った拳銃を黒百合たちに向けたまま、少しの間のあと返事をした。
「正正正、とでも言った方がいいだろうナ」
「……名を聞こう、名乗れ!」
黒太刀は刀の切っ先を刃向わせ、威圧するように言い張る。
「名乗る必要あるカ? その必要性があるように感じなイ」
「まぁまぁ、名乗るくらいいいじゃないの? その方が雰囲気出ていいし」
上方は女性の肩に手を乗せて言う。自分の肩に乗せられた上方の手を大きく振り払い、眉間に皺をよせながら女性は渋々そうにこう名乗った。
「リャオだ、方斬様の直属の部下としてここに馳せ参じタ。要件もついでに言っておク、お前たちと戦うことは無無無から戦わなイ。私来た理由、これの回収」
そう言って、リャオは上方の髪の毛を手で思い切り引っ張る。
「いだだだだだ! やめてくれよ!」
「所詮駒の分際、主役になったつもりで気取るナ」
呑気にしゃべるリャオ。今なら隙がある、そう感じて黒百合は即座に弓を構え影の矢を放つ。
「向かえ」
しかしリャオはまたも一瞬にして姿をその場から消した。矢は何も貫かずにどこかへ飛んでいく。
「また消えたっ、どうなってるんだ黝!?」
「慌てないでください良太、きっとどこかに―――」
「私攻撃すること、駄駄駄」
全く気配が無かったにも関わらず、リャオは既に黒百合の背後にぴったりとくっついていた。声が聞こえてから1秒後、ようやく黒百合の身体は反応を示す。振り返ると同時に腕を大きく振ってリャオに拳を叩き込もうとする、がそれも軽く避けられてしまった。
「貴様の動き、随分ゆっくりネ。遅遅遅」
そう言ってリャオは黒百合の腕を掴む。攻撃を加えられると身構えた黒百合だったが、リャオは彼女の手から上方の持っていた包丁、焉を奪った。
「なっ!」
「言った筈、私の目的コレの回収だト―――向かえ」
そして瞬きの間に、リャオとその仲間上方慚愧は公園から姿を忽然と消した。残ったのは黒太刀たちと、形容しがたい虚脱だけだった。
「……今度こそ、本当にここから消えたみたいですね」
「くそっ! 次から次へと、一体何なんだ!?」
「……まぁいいでしょう、けがはありませんか良太」
「あぁ、怪我はどこも無い。あるのは疑問と苛立ちだけだ……あの女、リャオとか言ったか? アイツは妖異だと思うか?」
「どうでしょう。妖異かもしれませんし、上方と同じ『力を得た者』かもしれません……まぁ、本人の口から連翹の名が出てきましたし、確実に彼の差し金でしょうね」
「……連翹。連翹か、連翹、久しぶりに聞いたぞその名前。連翹、連翹方斬。奴か、奴なのか。ついに奴がまた活動し始めたか、連翹が」
黒太刀と黒百合は、静かな怒りの表情を浮かべながら、自らの影らをぞわぞわと蠢かした。
「……2年。長い沈黙でしたね。でもその沈黙も遂に終わりのようです。現れだした妖異共、妖異の力を得た人間、そして連翹。連翹方斬。2年前に果たせなかったことを果たすときです、そうですよね良太」
「もちろんだ。勿論だとも、あぁ勿論だ。明確な目的が、目敵ができた。必ず殺す、諸悪の根源め」
「―――天樛恵裏数には、話しておきますか?」
「腹の底から不服極まりない気分だが―――まぁ仕方ないだろう。正直言って、僕ら警察だけでは巨大な眼に対等に戦える気がしない……戦えるモノは全て活用しよう、そして潰す。巨大な眼を必ず潰す」
ぞわめき蠢く二人の影。その影はあまりにも黒く、歪んでいた。七と六は二人の影を見て、それをとても怖がった。いまはあの二人に近づいてはいけない、自然とそう思えたのだ。黒太刀と黒百合は、影の中に影よりも黒い憎しみを潜めていた。
―――2年前、全ての歯車を狂わした男。連翹方斬。2年もの間、姿を消し沈黙し続けてきた連翹が、いままた動き始めた。ズレたままの歯車も、その活動を再開し始めた。人の世の理からズレた者たちも、状況を開始しはじめる。狂った歯車たちは、元に戻ろうと収束するがためその身を軋ませて廻る。歯車の動きを元に戻すためには、いくつかの歯車を取り除かなければならない。
歯車が、軋む。




