白昼の血
「お久しぶりです、情報屋さん」
「久々のご来訪歓迎したいんだがね、まずは俺の背中を踏んでるその綺麗な右足をどかせてくれないかい」
恵裏数が訪れたのは情報屋、鷺宮空十の家。家と言ってもまともな家の形をしているわけではなく、彼が住処としているのは廃工場の一角にある小さめの倉庫である。扉はドアノブを回して入るといったごく一般的な扉なはずもなく、倉庫として使われていた当時のまま、灰色のところどころ薄汚れたシャッターが上へ開いていくのだが、それがこの「家」の扉となっている。
「いま踏んでるのは左足です、アスファルトにキスしてる状態じゃ見えないでしょうけど」
いま鷺宮はうつ伏せのような形で地面に突っ伏しており、その背中を恵裏数が左足で踏みつけていた。なぜこのような状態になったかというと単純な話、恵裏数が部屋に入った時すでに鷺宮は床に突っ伏していた。何の気もなしに部屋に入り込んだ恵裏数の足がたまたま彼の背中に乗っかったのだ。
軽い冗談を言ったあと、恵裏数は足をどけた。
「あーくそ、アスファルトちゃんとのキスは『熱烈』とは言えないな。唇が冷たすぎる」
服の袖で唇をぬぐって、鷺宮は頭をぼりぼりと掻いた。
「あらためて久しぶりだな、恵裏数」
鷺宮は自分のぼさぼさの頭を掻きむしった手でそのまま恵裏数に握手を求めた。もちろんそれに応えられるはずもなく、彼の差し出した手はおとなしく引っ込まれた。
「あーその……なんだ、面と向かって会うのは1年半ぶりくらいか」
「正確に言うと、1年と11ヶ月24日ぶりです」
「……よく覚えてるな、そんなの」
若干引きながら、鷺宮は部屋の真ん中にぽつんと置かれていたソファに腰を下ろし、長机の上に置いてあったパックの野菜ジュースのストローにかぶりついた。ヂュウヂュウとわざとらしく音を出しながら中身を吸い上げる。
「ッブア……それで? 久々の来訪いったい何を尋ねに来たんだ?」
「まずは、情報屋の貴方から見てのこの町の感想を聞いてみたいですね」
恵裏数はソファに座ることなく、テーブルを挟んで鷺宮の前に立ったまま質問をする。
「はっきり言って、奇怪面妖奇想天外奇天烈奇奇怪怪って感じだな」
「もう少しわかりやすく」
「……一言でいうなら異常、としか言いようがない」
鷺宮は野菜ジュースを飲みきり、パックをゴミ箱に投げ捨てた。
「2年前、連翹方斬によってこの町は造り変えられてしまった。秘密結社【巨大な眼】が人間の常識そのものをひっくり返しちまった……当時その現場に居合わせてたお前さんには言うまでもないだろ」
「……えぇ」
眉間にしわをよせ、服の袖を強く握りながら短くそう言った恵裏数は、心の中で歯ぎしりをした。
「あの事件を皮切りに、この町にもともと存在していた『妖異』どもも随分、様変わりしちまった。おたまじゃくしみたいな形した妖異とか、昔は可愛らしいビジュアルだったのに最近出てきてるやつらは人型だ」
「この間も、一人妖異が事務所に訪ねてきましたよ。幸い敵意のある方じゃありませんでしたけど」
鷺宮は懐からスマートフォンを取り出し、両手でそれを操作して言った。
「なんにせよ、2年越しに奴らが本格的に動き出したってのは確実だ。見ろよこれ」
そう言ってスマートフォンの画面を恵裏数に見せる。画面にはインターネットの掲示板が表示されており、多種多様な「噂」についての書き込みが大量にされていた。
「これは……」
「ま、情報操作ってやつだな。見事に民衆の意見を動かしてやがる。ここまで徹底して情報を操作されちゃ、町中に妖異が現れるのもしゃあねぇ話だ」
「……鷺宮さん、頼みたいことがあります」
「ほいほい、やっとこさ本題かい。お前さんが俺のところを一人で訪ねてくるなんてよほどのことがなけりゃ有りえないもんな……何を頼みたいんだ?」
恵裏数はポケットから一枚の折りたたまれた紙を取り出すと、テーブルの上にそれをそっと置いた。その何の変哲もない紙を見て、鷺宮は訝しげに恵裏数を見つめる。
「おいおい……どういうことだ?」
「詳しいことはその紙に書いておきました、読んだら燃やしてください」
それだけ言うと恵裏数は踵を返し、鷺宮の家から出て行ってしまった。部屋に残されたのは二つに折られた手のひらサイズの紙一枚。恵裏数の後姿をしばらくしかめ面で見送ったあと、鷺宮は残された紙に手を伸ばし、書かれている内容に目を通して驚いた。
「……こんな事、随分軽々と頼んでくれるじゃねぇの」
「……いいだろう、この仕事、鷺宮空十が引き受けた。」
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「どうして、君たちが僕についてくるんだ」
人気のなくなってくる町の外れ付近、もう誰も使っていないような古びた公園があった。もう何年も人が立ち入っていないようで、地面からは雑草が生え、数少ない遊具たちも錆が目立っている。その公園の中のこれまた錆びれたベンチに座りながら、黒太刀は言った。
「すみません……六がどうしても恵裏数さんに会いたいって言って……」
黒太刀の隣にには真っ赤な髪の色をした少女、番七が申し訳なさそうに縮こまって座っていた。
「全く、たしかに僕は今からあのクソ探偵の所に行くが、何もついてこなくてもいいんじゃあないか?」
「く、黒太刀さんについて行けば、確実に恵裏数さんの所に行けるでしょーって、六が……」
錆びだらけの塗装が剥げたジャングルジムに登ってはしゃいでいる六を見て、黒太刀は大きくため息を吐いた。
「全く……いいか、くれぐれもお前の妹を僕に近づけるなよ。吐きそうになるから」
「わ、わかりました……」
相変わらず黒太刀は妖異を毛嫌いする。彼の辛辣すぎる態度に七はいつも以上にオドオドとしてしまうが、その様子がさらに黒太刀の神経を逆なでしてしまう。あからさまにピリピリとしている黒太刀の隣で、七はなんとか場の雰囲気を良くしようと話をふる。
「あ、あの……黒太刀さんは、どうしてそこまで妖異のことが嫌いなんですか?」
「……そんなに気になるか? 妖異の妹を持つ身として。」
『どうしてそんなに自分の妹を嫌うんだ?』、彼には七の言葉がこう聴こえたらしい。言葉の一つ一つが薔薇のように刺々しく、七はますます委縮してしまう。
「は、話したくないなら……無理には聞きませんけど……」
「……僕の祖父はな、妖異のせいで死んだんだ」
「え……?」
「『ある事件』に祖父は巻き込まれて、そして命を失くした。そのことを知ってから、妖異の存在を知ってからというもの、僕のプロフィールの嫌いなモノ欄に妖異が追加されたのさ……お前に話しても意味がないことだ」
「……そう、ですか」
意味がないなんてことはない。七はそう思ったが、黒太刀に面と向かってそうは言えなかった。七も六という妖異の妹をもっている。妹が引き起こした事件で、何人かの命を奪ってしまった経験のある彼女には、黒太刀の話を深く聞く資格がないと自分の中で思ってしまったのだ。場の雰囲気を良くしようと話をふったはいいが、結局その場はより一層おかしな緊張感と重い空気に包まれてしまった。
二人がおかしな雰囲気の中で黙って座っている一方、ジャングルジムから降りた六の近くに、公園の外から一人の少年が姿を現した。カッターシャツを着てスラックスを履いた少年は、微笑を浮かべながら六に話しかけた。
「こんにちはお嬢さん、今日はこんなところに遊びに来たのかな?」
「……おにーさん誰?」
六はロクに警戒もせず少年に接近を許す。
「俺かい? 俺はね―――」
少年は後ろ手に組んでいた両手をほどいて手に持っていたモノを六に見せつける。その手に握られていたのは刃渡りおよそ20センチほどの血にまみれた包丁だった。六がぼんやりと包丁をながめていると少年は右手を振りかざし、包丁を六の首筋めがけて振り下ろした。
「殺人鬼さ」
キン。と短い金属音が響いた。
「……何者か知らんが、幼い子供に向かって凶器を振り下ろすとはな」
銀の食器をこすり合わせるような音を出しながら、少年の振り下ろした包丁は黒太刀の持つ『刀』に受け止められていた。一瞬の間に、黒太刀はベンチから六のいるところまで移動し、少年の攻撃を防いだのだ。
「何だアンタ、この子の保護者か?」
「断じて違う。断じて違うが……」
刀を横なぎに振り払い、少年の包丁を弾いた。少年は後ろにのけ反り、黒太刀と距離を取るように後ずさった。
「目の前で子供が襲われているのに何もしない他人でもない」
少年は包丁を黒太刀の方へ向け、殺意に満ちた瞳で黒太刀を睨んだ。
「一般人が刀を持ち歩いてるなんて、結構珍しいと思うんだが……アンタ、一体何者だ?」
黒太刀は刀を構え、顎をくいと動かして六に逃げるように合図した。六は急いで七がいる公園のベンチまで走って行った。
六が安全なところまで避難したことを確認すると、黒太刀はすかさず少年との距離を詰めようと一歩、大きく跳んだ。少年が刀の届く距離に入ると、また大きく横なぎに刀を振り払う。しかし少年は片手で握った包丁で刀を受け止め、余裕のある声でこう言った。
「動きも明らかに良い。久しぶりに面白い殺し合いができそうだな……なぁ教えてくれよ、アンタ名前はなんていうんだ?」
「……黒太刀」
「黒太刀良太……警察だ」