過去の取引相手
四良津町郊外―――同じような白い建造物が立ち並んでいる集団住宅地。それぞれにアルファベットのPを頭文字に一から数字が割り振られた建物が全体でおよそ二十棟建てられたこの地区は、数年前に立案された新町づくりの一環として作られた居住区であった。町のシンボルとなる巨大なビルと近未来的に整地された道路、観光客も多く抱え込むことができるよう宿泊施設や娯楽施設を建てるという町づくりの計画は、以前の市長が精力的に取り組んでいた一大事業だったのだが、資金的な問題と、市長の汚職が世間に知れ渡ってしまいこの計画は途中で頓死することとなってしまった。
それからというものの、計画の途中で建築が唯一完成していたこの集合住宅のみがその機能を果たしていたのだが、付近には娯楽施設など何もなく、町はずれにひっそりと仰々しく建てられたこのマンションに住む人などほとんど居なかった。そう、一般人に限っては。
この辺りに好き好んで住む人間たちも居ることは居るのだが、それはこの人気の無い場所という特徴を望んでいるものたちばかり。人とあまり関わろうとしない心を閉ざした者や、人目につくと困るようなことをする者たちである。麻薬取引、銃刀取引、密輸・密売に関する商談……この住宅地で行われているありとあらゆる違法行為は、たくみに日の光から逃れ続け、今では知る人ぞ知るイリーガルタウンと化していた。
「なんか、えらく辛気臭いところね」
重たげに口を開いたのは凛音だった。空を覆うように建てられたマンションを見渡しながら、眉をはの字にしながらため息を吐く。
「たしか……町づくり計画の一環で建てられた団地ですよね、ここ」
「一般には住んでる人がほとんど居ない廃墟みたいな団地……なんて言われているけれど、ここはこの町でも一番危険な無法地帯かもしれないよ」
二人の少女を連れた笠木蛇囃子は、二人とは違う視線で辺りを見回して言った。周囲を警戒し目を光らせるカメラのように鋭い瞳で、周辺に自らの気配を飛ばす。自分たちがここにいるというアピール、そして同時にある程度の殺気めいた気配も発しながら、住宅街に棲んでいる者達にけん制を行っていた。
「なによ無法地帯って……まさか、人気の無いこの辺りはスラム街みたいな状態になってるとでも言うわけ?」
「あながち間違いじゃあないよ、私もこの辺りには何回か来たことがあるからね。住んでいる奴らはみんな眼の色を赤くしたハイエナ達ばかりだから、二人も気を付けるように」
普段の優しげな雰囲気の笠木蛇から、殺気だった感覚が伝わり獏は表情を引き締める。笠木蛇が語勢を少し強める時は大抵本当に危険な時だと知っている獏は素直に彼の言葉を受け、緊張気味に身体を強張らせた。
「わっ、わかりました……!」
「それで笠木蛇さん、こんなところまで来たはいいけど……どうするの? あの依頼者の東って人から、旦那さんの顔写真は貰ってきたけど」
そう言って凛音は右手でポケットから一枚の写真を取り出す。写真には優し気な笑みを浮かべた男性が依頼人の東みのりと仲良く肩を組んでいる姿が写っていた。
「鷺宮くんのくれた情報によると、この団地のどこかで麻薬密売が行われているらしい」
「どこかって……結構広いわよ? この辺り」
「そこは、『噂』の出番さ」
笠木蛇はポケットからスマートフォンを取り出し、なにやら操作をしている。
慣れた手つきで操作するその姿は、年齢の割には最新機器の取り扱いに慣れたものだなと感心する凛音であった。
「この町には色んな噂が溢れかえってる。誰が作ったのか知らないが、この町に関しての噂をまとめるサイトが幾つもネットには転がっているのさ」
「おーなるほど……この町では噂は現実のものになりますからね……麻薬取引が行われている場所の噂を調べればいいってことですか」
「そういうこと」
数分のあいだ、笠木蛇はスマホで噂を検索した。
どうやら目当ての噂を調べることに成功したようで、ポケットにしまいこんで団地の奥の方を指差す。
「どうやら団地の住人が供用で使っている倉庫があるようだ……そこが取引現場らしいね」
「取引が行われているという噂があれば、それが現実のものになる……噂から生まれた私が言う事じゃないけど、随分おかしな話よね」
「噂で人が死んだり生まれたりしますからね……それが操作出来たら、大変なことになります」
獏がそう言うと、彼女と笠木蛇は少し暗い表情を浮かべた。なにか思うところがあるのか、二人のその雰囲気の変化を感じた凛音だったが、それを追求しようとはしなかった。
「さぁ行くよ二人とも」
「はい!」
「麻薬取引の現場に私たちみたいな一般人が行くなんてね……どうするのよ、危ないメにあったら」
少し不安がるような素振りを見せた凛音に、笠木蛇は優し気な微笑みを向けた。
「心配しなくていいよ凛音ちゃん、もしヤバい奴らに襲われたら躊躇せず水にしちゃってくれればいい」
「なに笑顔で怖いこと言ってんのよ……まぁ、最悪それでどうとでもなるけどさ」
凛音の左手は触れるものすべてを水のように溶かす力を持っている。実際、この三人の中で一番頼りになるのはその力を持っている凛音だろう。人間すらも溶かすことが出来るのだから。
三人は急ぐこともなく、かと言ってゆったりともしない足取りで団地奥の倉庫の近くまでやってきた。
倉庫は木々に囲まれてぽつんと建っているような雰囲気で、三人はその『いかにも』な空気を感じ取った。
学校の体育館倉庫くらいの大きさの倉庫には、大きな扉が一つ、壁には小さな窓がいくつかついている。
「で、どうするのよ」
「さて、どうしようね」
「なにも考えてなかったんですか!?」
「いやぁ、いま取引が行われているなんてそんな都合のいいこともないだろうし……なにか手がかりでもあればいいかと思っていたからね。とりあえず中を覗いてみるかい?」
笠木蛇が先導し、三人は倉庫へと近づいていく。
窓の近くまで忍び寄ってから、そっと窓の中を覗いてみる。
「おっと……」
窓から見えたのは倉庫の内部。そこに居た数人の男たちの姿だった。
男たちは全員黒いスーツを着ており、もれなくカタギとは思えない強面揃い。
「うわ……あれヤバいですよね、絶対ヤバめなヤツですよね」
「間違いなくヤのつくヤバいやつね……」
「中に入るのは無理そうだね……」
すると、ガタン。と音が鳴ってしまった。
どうしてこんなところに置いてあったのか。普通は倉庫の中にしまっておくであろうバケツとほうきが獏の足に当たってしまった。
それらは倒れて派手な音を立ててしまい、倉庫の中に居た男たちは一斉に音のした窓の方を向いた。その男たちと目が合ってしまった三人は、しまったという表情を浮かべることしかできなかった。
◆
「何者だ? お前たち」
倉庫の外であっと言う前に男たちに取り囲まれてしまった三人は、尋問のようなものを受けていた。
強面の男たちは全員、手に物騒な拳銃を持っており、大声を出したり逃げ出そうとしたら即撃ち殺されてしまう状況。
「うぇぇぇ……囃子さん……私たちここで死ぬんでしょうか……」
すっかり涙目で怯えてしまっている獏。上げた両手が小刻みに震えてしまっている。
凛音は男たちに向けて反抗的な目つきを送っているが、実際ここまで取り囲まれてしまうと彼女でもどうしようもない。動いたとたんに蜂の巣にされて終わりだ。
すると拳銃を構えていた男の一人が、笠木蛇の顔をまじまじと眺めた後なにかに気付いたように声を上げた。
「おい、てめぇ笠木蛇じゃあねぇか」
笠木蛇のことを知っているような男の台詞に、獏と凛音は二人とも意外だという表情を浮かべた。
「えっ、お知り合いなんですか囃子さん……?」
すると笠木蛇はバツが悪そうに答える。
「もう二度と会うことは無いと思っていたけどね」
「何言ってやがるんだ笠木蛇ァ、昔は大事なお客さんだったろぉ?」
笠木蛇はその男にたしかに見覚えがあった。
もう何年前の話になるだろうか。彼が喫茶店を開く前の話だ。
笠木蛇の人となりを知っている人には信じられないだろうが、彼は以前、麻薬常習者であった。
「今の私は、もう人間だ。薬に頼るような獣じゃあない」
「よく言うぜ、まぁクスリから逃げ出せれたのは素直に褒めてやるけどよ」
男と笠木蛇のやり取りを聞いて、彼女たちも事情を察した。笠木蛇の過去は獏でさえもあまりよく知らなかったが、まさか麻薬を使っていた前科があろうとは思いもしていなかった。
男はさらに鋭い剣幕でまくしたてる。
「んでなんだ、そっちの嬢ちゃんたちも含めてまたクスリが欲しくなったってか?」
「断じて違う! お前たちの顧客に少し用があるだけだ!」
「客にぃ? どういうこった」
「……お前たちが薬を売りさばいてる人たちの中に、東という男性はいないか?」
東という名前を聞かれて、男たちは少し思案する。
すると男たちの一人がなにやらファイルを取り出し、その中身を調べ始めた。彼らの顧客リストだろう。
「東、東……あぁ、いますね。残念ですが『捨』のマークがついてますけど」
「なんだ、その『捨』のマークって言うのは」
「残念だなぁ笠木蛇、そのマークがついてる客ってのはよ、クスリをやりすぎてもう死んじまったってマークさ」
「なっ!?」
三人は驚きを隠せなかった。
今回の依頼人である東という女性の夫、彼を麻薬から救い出すために依頼を受けたというのに、その彼はもう既に死んでしまっているという。
「そ、そんな……嘘ですよねっ!?」
「嘘ついてどうなるってんだよ嬢ちゃん……これから死ぬ奴に嘘ついて何が楽しいんだ?」
物騒な音を立てながら、男たちは全員拳銃を三人に向かって構えた。
銃口は雁首を揃え、三人の身体を狙っている。
「おいやめてくれ! なぜそんなものを向けるんだ!」
「しょうがねぇだろうが、お前と取引してた頃とは俺たちも変わったんだ……今は、カタギの人間に素性を知られちまうとヤバい立場にいるんでね」
笠木蛇は庇うように二人を自分の後ろへと追いやるが、それでも取り囲んだ銃口は彼女らをもとらえ続けている。男たちの指先は少しでも動けば引き金を引いてしまいそうだ。
笠木蛇はこの状況をどう打開するか、冷たい汗を垂らしながら必死に考えていた。




