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理想は自傷者〈カノジョ〉に殺される  作者: 天樛 真
笠木蛇囃子の長い一日
15/17

蛇と枕と瑠璃色の一日 ー始まりー

 カランカラン、と扉に取り付けられた鈴が小気味よい音を立てた。扉が開かれ、外から客が来たのだとすぐ察知し、喫茶店のマスター笠木蛇(かさきだ)はカウンターから低く聞き取りやすい声であいさつの言葉を口にした。


「いらっしゃい――――――おや、鷺宮くんじゃないか」


「よっ、マスター」


 店に入ってきたのは鷺宮(さぎみや)空十(くうそ)ともう一人、鷺宮の頭一つ分身長の低い少女だった。


「おや鷺宮くん、隣の彼女は?」


「ちょっと訳ありでな、まぁ俺様の妹分みたなもんだ」


囲炉裏(いろり)麻霞(あさか)です……どうぞよろしく」


 囲炉裏は少し怯えるような素振りを見せつつも、優しく微笑んだ。囲炉裏にとってはこの店に今いる笠木蛇、獏、凛音はみな初対面の相手だ。過去の記憶を失ってしまった彼女はこれから会う人すべてが初対面ということになるから、少しばかり戸惑うのもうなずける話だ。


「ちょっと獏、誰よあの偉そうな男」


 カウンターの奥で皿を洗っていた獏に、凛音が近づいて耳打つ。


「鷺宮さんですよ、前にちょっと話してた情報屋の人です」


「へぇ……髪も茶色に染めて、耳にピアスまで開けてるじゃない……なーんかチャラくて嫌ね」


 カウンターでこそこそと話していた二人だったが、その会話はとうの本人にも聞こえていたらしい。


「おい聞こえてるぜ獏ちゃん、それと新人の凛音ちゃん?」


「なっ! どうして私の名前知ってるのよ!」


 鷺宮はひょうひょうとした態度で手を振りながら答える。


「俺様、情報屋。お前の名前くらい五秒で調べられるっつーの……マスター、俺コーヒーね。こっちの子には砂糖多めで頼むわ」


「かしこまりました、ではお待ちくださいね」


 笠木蛇は囲炉裏を怖がらせないようにと、にんまりと微笑んで対応を行う。彼の優し気な笑顔を見た囲炉裏も、少しばかり緊張がほぐれていくのを感じた。

 笠木蛇はカウンターへと入っていき、コーヒー豆を戸棚から取り出して早速作りはじめる。凛音は片手だけで器用に皿洗いを続けて、残った獏が水の入ったコップを鷺宮たちのテーブルに運んでいく。皿洗いをしていたのは獏だったのだが、あきらかに鷺宮と凛音との相性が悪いとみて、自ら水を運んでいくと申し出たのだ。案の定、凛音は皿を洗いながら鷺宮の方を睨みつけている。


「お水です、どうぞ」


「おう、あんがとさん」


 囲炉裏も小さくありがとう、と呟いてコップに口をつける。どうやら喉が渇いていたらしく、一口でコップの水は半分以下まで減っていた。


「……美味しいですね、この水」


「ほんとですか? 嬉しいなぁ。この水、実はこのお店で二番目に人気なんですよ。タダの水なのにやけに美味しいって評判で」


「もちろん、一番のおススメは私のコーヒーだけどね」


 コーヒーを作りながら、笠木蛇も会話に参加する。


「ミネラルウォーターか何かですか?」


「いえ、ただのお水ですよ。うちのお店の冷蔵庫にペットボトル入りで入ってるやつです。笠木蛇さん、これって何かのお水なんですか?」


「ただの水だよ、ろ過とかそういう処理をしただけのね」


「……それでこんなに美味しいなんて……私、こんなに美味しいお水初めて飲みました」


 この店に来てから初めて囲炉裏は微笑んだ。彼女がすっかり警戒心をほどいてくれたことを確認すると、獏も笑顔のままカウンターの方へと戻っていく。


「そんなに美味いかねぇこの水。俺にはただの水にしか感じねぇけど」


「それは鷺宮さんが普段野菜ジュースばっかり飲んでるからですよ、きっと舌がおかしくなってるんです」


「なんで野菜ジュース飲んでて舌がおかしくなんだよ……健康でいいじゃねぇか別に」


「一日に『一日これ一本!野菜たっぷりジュース』を何十本も飲んでたら舌と胃がおかしくなると思います」


「へーへー。これからは一日十本に抑えますよ……ん?」


 鷺宮はふと、店のドアの前の人影を見た。この店を通り過ぎて、上へと向かう階段を上っていく人影だ。


「なぁマスター、今日って何曜だっけ」


「今日は金曜日だよ、それがどうかしたのかい?」


 笠木蛇に今日の曜日を確認した鷺宮は、少し考えた様子を見せてからぽつりとつぶやいた。


「ってことは相楽さがらの店は休みのはずだな……マスター、今日あの探偵は上に居るのか?」


「恵裏数ちゃんかい? ……彼女ならここ最近出かけたまま帰ってきてないみたいだね。部屋の扉にも休業中の看板が貼ってあったし」


「そうか……喜べマスター、客がもう一人増えるぜ」


 鷺宮の言葉に疑問をおぼえ、笠木蛇が不思議そうな表情を浮かべたその時だった。店の扉が音を立てて開かれる。店に入ってきたのは女性だった。


「すみません……上の探偵事務所を訪ねてきた者なんですけど……」


 入ってきた女性は、顔に薄く刻まれた皺から見て三十代ほどの年齢に見える。長い髪を後ろでまとめて上げている髪型は、彼女の年齢を少し若く見せるような効果がうかがえる。


「申し訳ありません……いま上の探偵は外出中でして……お話だけなら、私共が伺いますよ」


 笠木蛇はカウンターから出て女性にカウンター席を勧める。天樛恵裏数が探偵事務所を開けて出ていったのは二日前の出来事だ。少し調べたいことがあるからと言って出ていく際、彼女は笠木蛇に「もし事務所を訪ねてくる人がいたら適当に対応しといてほしい」と一方的に仕事を押し付けていったのだ。


「なにか飲みますか?」


 笠木蛇に勧められるがままにカウンター席に腰を下ろした女性に、注文を聞いたのは獏だった。


「あ……じゃあ、コーヒーを……」


 幸い、コーヒーは先ほどから鷺宮たちの分を作っていたのですぐ用意が出来た。女性が注文してから一分と経たないうちにコーヒーは出来上がり、三つのカップに注がれたコーヒーを獏がそれぞれのテーブルへと運んでいく。


「はい、鷺宮さんたちの分です。こちらはお客様の分」


「あ、ありがとうございます……」


 女性は運ばれてきたコーヒーに角砂糖を二つほど入れてから口をつけた。


「それじゃあ、探偵代理として私がお話を伺いましょうか」


「はい……私は、あずまみのりと言います。今回探偵さんに依頼したかったのは……夫のことについてなんです」


 女性が東と名乗った時、コーヒーを飲んでいた鷺宮がふと訝し気な表情を浮かべたが、我関せずといった風に何も言うことは無かった。代わりに東が話す内容に真剣に耳を貸すのは笠木蛇と獏、そして皿洗いを続けている凛音の三人だ。


「旦那さんのことですか。それで一体どういったご依頼ですか? もしかして行方不明とか」


「いえ、毎晩家には帰ってくるんです……けど、その……」


「なんか歯切れ悪いわね、何か言いにくいことがあるのか知らないけど、話してもらわないとこっちも何もできないわよ」


 女性の言いなずむ態度に苛立ちを覚えた凛音は、きつい口調でまくしたてる。そんな彼女を笠木蛇は少し声色を低くしてなだめるように言う。


「こら凛音ちゃん……相手はお客さんなんだ、あんまり強く言うんじゃないよ……東さん、話してもらえませんか? 大丈夫、他言したりしませんから」


 そう言われ東は少しの間押し黙り、ようやく口を開いた。


「うちの夫、実は……麻薬をやってるみたいで」


「麻薬!?」


 突如として出てきた麻薬と言う単語に反応を示したのは獏と凛音の二人だった。二人が大きな声で驚いたことを笠木蛇は口に人差指を当てるジェスチャーを行う。麻薬と言えば立派な犯罪因子、もし他の誰かに聞かれていると不味い内容だ。大きな声で店の外に話している内容が漏れないように、少し小声になりながら話を続ける。


「夫が麻薬をやっていることは、以前から知っていたんです……けど、私が言っても止められるようなことじゃなさそうで……あの人、普段は気が弱い性格だから、他の誰かに言ってもらえれば麻薬を使うのをやめてくれるかと思って……それで、探偵さんに依頼を」


「なるほど……確かに、探偵くらいにしか相談できそうにない話ではあるね……」


 笠木蛇も流石に考える素振りを見せる。顎に指を当てて、依頼人の顔をじっと見つめる。東の表情には影が落ちており、不安と焦燥に悩まされているのが手に取るようにわかる。この依頼、天樛に報告していいものだろうかどうかと彼が悩んでいると、凛音と獏がすぐ傍まで近づいてきて笠木蛇に訴えた。


「笠木蛇さん! この依頼受けてあげましょうよ!」


「そうよ! ここまで苦しんでいるこの人も放っておくわけにはいかないわ! はやく旦那さんに止めるように言いに行かなくっちゃ!」


「そ、そうは言ってもね……恵裏数ちゃんがいつ戻るかもわからないし……」


 するとコーヒーを飲み終えた鷺宮が鶴の一声を上げる。


「んじゃあマスター達でこの依頼を受けたらいいんじゃねぇか?」


「え!?」


 驚いた様子で笠木蛇は鷺宮を見つめる。


「どうせあの探偵から事務所を任せるように言われてるんだろ? だったら依頼の一つでも自分らで解決して、かしの一つでも作ってやりゃいいじゃねぇか、なぁ」


 鷺宮の言葉に冗長されるように、獏と凛音は盛り上がりを見せる。


「そうですよ! いつもいつも恵裏数さんのモーニングコールをやらされてるんですから、ここらで一発! おっきな貸を作っちゃいましょうよ!」


「あのいけ好かない探偵をぎゃふんと言わせるチャンスよ!」


「ん、んん……」


 二人の猛烈なアタックと、目の前にいる依頼人のすがるような視線を受けて、笠木蛇の心もすっかり打たれてしまっていた。


「……わかった。東さんの依頼は、私たちが引き受けよう」


「本当ですか? ……ありがとうございます」


 東は深々と頭を下げて感謝の言葉を述べた。笠木蛇も内心不安が満ちていたが、ここまできて引き下がるわけにはいかないと妙な責任感が生まれてしまったのだ。


「それじゃあ、アンタたちも協力してくれんの?」


 凛音はテーブル席に座る二人に向かって笑顔で問いかける。しかし鷺宮はまた手をひらひらと振りながらこの誘いを断った。


「なんで俺様が探偵ごっこしなきゃいけねぇんだよ。恵裏数に任されたのはお前らだろ、お前らだけでなんとかしろよな」


「……ヤな奴」



 数分後、笠木蛇は店の前にCLOSEDの看板をぶら下げて出発の準備を整えた。凛音と獏もすっかりやる気になっており、その眼はまるで親と遊んでいる子供のようなきらめきを宿していた。これから行くのは東の夫がよく立ち寄っているという町はずれの住宅街だ。もしかするとそこで麻薬を買っているのかもしれない、だからその場に行って夫と話をつける気でいるのだ。

 こうして喫茶店で働く三人が受けてしまった依頼だが、この依頼がきっかけで今日一日が今までで一番長く濃密な一日になることは、三人の誰もが想像していなかった。

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