女子高生と情報屋⑤
お久しぶりです、まだまだ続きます。
「鷺宮さん、部屋の掃除終わりましたよ」
「おう、ご苦労さんアサカちゃん」
囲炉裏麻霞が鷺宮空十の住処に襲撃をかけた日から、約一週間が過ぎていた。
囲炉裏に破壊された部屋の床はすでに修繕されており、そして叩き壊されたパソコンも新しいものに買い替えて、襲撃前の状態に戻っていた。部屋も以前の状態に戻り、鷺宮も以前と同じようにパソコンに向き合い、いつものように情報を漁っていた。しかし、以前と違う点が一つ。
一週間前、正確には六日前。目を覚ました囲炉裏は、記憶を失っていた。
自分が何者であるか、ということを全て忘れていたのだ。自分がどこで生まれ、何処で育ち、そしていま何歳なのか、そもそも名前は。自らに関する記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっていた。(記憶障害の中の全般性健忘という)
生活をするために必要な知識や、一般常識、そして学校で教わっていたことなどはしっかり覚えているのだが、自分がどこの学校に通っていたのかということは思い出すことが出来なかった。
「けど鷺宮さん、やっぱりこの家ちょっと辛気臭いんじゃないですかぁ?」
「なんだよ、ダークでモダンチックでアーティスティックな空間だと言ってくれよな」
「意味わかんないんですけど……もうちょっと明るい感じにしましょうよぉ」
記憶を失った囲炉裏は、もうすっかりと毒気が抜けて、少女らしい少女になった。よく笑うし、よくしゃべる。洗脳される前の性格がこうだったのか、それとも記憶喪失に伴い性格も大幅に変わってしまったのか、それはわからなかったが、鷺宮に対する敵対心などは消え失せている。
鷺宮によって二つの薬を投与されたのち、目を覚ました囲炉裏は鷺宮のことも憶えていなかった。一目見た時に、「あなたは誰ですか?」と言ったのだ。その一言には、鷺宮も少し面を喰らった。彼女の記憶障害がバジリスク……回顧剤による副作用だとすぐに合点がいった鷺宮は、そのまま囲炉裏を自分で面倒見ることに決めた。
「あそうだ! ピンク色のスタンドランプとか置きませんか? きっと部屋がファンシーになりますよ!」
「怪しいお店みたいな雰囲気になっちまうだろ、もちっとマシなもんねぇのかよ」
「えぇ~……じゃあピンク色の絨毯とか」
「ピンクから離れろ!」
囲炉裏についての情報は、調べたらすぐにわかった。自らの情報網を駆使して、囲炉裏麻霞という少女についてのあれやこれといった事は、一日もかからない内にすべて判明したのだ。
囲炉裏麻霞、両親は自分が生まれて間もなく事故で他界。姉弟もおらず、親戚も他県に住んでいるので身寄りがなかった彼女は、幼少期を孤児院で過ごして育った。小学校、中学校と孤児院から通い、そして高校に通い始めるころには、孤児院で育った者たちが暮らす施設で暮らしながら、高校に通っていたらしい。
しかし高校生になって間もなく、彼女はクラスメイトからいじめを受け始めた。内容まではさすがにわからなかったが、そのいじめが原因で彼女は不登校になっていたという。そしてある日、施設から突然姿をくらまし、そのまま行方不明となっていたのだ。
(……ま、ほっとけはおけねぇよな。知っちまったらよ)
囲炉裏の屈託のない表情を見つめて、鷺宮は思う。自分が引き起こした、少女の記憶を奪ってしまうという事実が、結果的に囲炉裏にとっては良かったのかもしれない。これからは、彼女に少しでも幸せになっていってほしい。そんなことを心の隅で、鷺宮は思っていた。
悲しい人生を歩んできて、そしてある日、一人の悪党に目をつけられてさらにその人生を狂わされた憐れな女子高生。鷺宮は胸に妙なひっかかりを覚え、この少女の面倒を見ることを決めたのだった。
「そんなことよりアサカちゃん、俺が収集した人物データ、わかりやすく整頓しといてくれ」
「あっ、わかりました! 任せてください!」
鷺宮の座っているソファの真後ろ、ソファに背中を合わせるように置かれたパイプ椅子に囲炉裏は座り、そして前に置いてある小さめの木製のテーブルの上に置かれた桃色のノートパソコンに向き合った。
「えー……っと、とりあえず年齢で整列させた方がいいですかね?」
「あぁ、あとデータに関連付けも設定しといてくれ」
「了解です!」
囲炉裏は中学から高校の間(高校は一年も通っていなかったが)、システム系の学科に属していたようで、IT関係の作業をこなすことができた。鷺宮は囲炉裏をお手伝いとして雇うことにし、自分の情報屋としての仕事を手伝わせながら、一緒に暮らしている。
「ふんふーん」
囲炉裏は鼻歌を小気味よく口ずさみながらキーボードを叩いている。その気分の良さそうな声を後ろで聴きながら、鷺宮は小さめの声でこう尋ねた。
「……なぁアサカちゃん、記憶を失くして、怒ってるか?」
「えっ?」
キーボードを叩く手を止めて、囲炉裏は後ろを振り向いた。しかし鷺宮はずっと正面のパソコンの画面を見つめており、その表情は囲炉裏からはうかがえない。
「…………」
少しのあいだ静寂が続き、そして囲炉裏はこう答えた。
「んっと……記憶を失くしたのはなんでかわからないし、少し困ってはいますけど……鷺宮さんはこうして私の面倒を見てくれてますし……それに、私そんなに悲しくもないですよ、お父さんとかお母さんとか、あともしかしたらお兄ちゃんやお姉ちゃん、弟とか妹が居たかもしれなくて、それが思い出せないのはちょっと残念ですけど……鷺宮さんが言ってくれたじゃないですか、『俺様がいつかお前さんの記憶を思い出させてやるー』って。私、嬉しかったんですよ? 目が覚めて自分が何者かわからないときに、手を差し伸べてくれた鷺宮さんが」
記憶を失った事情を何一つ説明していなかった鷺宮にとっては、囲炉裏の屈託のない言葉一つ一つが胸に突き刺さるようだった。
「むしろ、鷺宮さんには感謝してます……それに、なんとなく、なんとなくですけど……思い出したくないことも、思い出さなくて済むような気がするんです」
「……そっか」
「そうです」
囲炉裏は鷺宮の後ろ頭に向けて、とても明るい、純粋な微笑みを浮かべた。何も知らない、何も覚えていない囲炉裏にとっては、鷺宮は恩人に見えるのだ。そう、見せているだけだ。そう感じさせるようにしているだけだ。
鷺宮は、胸が締め付けられるような気持になりながらも、表情を崩すことは無かった。囲炉裏からは見えていないのだから、表情を崩したところで見えはしないのだが、そういった弱さを出してはいけない、と思った。
(……俺は今まで、何人もの悪党を地の底に叩き落としてきた。その中には、善人に限りなく近い奴だっていた。けど、それに責任を感じることなんてなかったのにな……ったく、女子高生ってのは文化だねぇ)
鷺宮はすくっ、とソファから立ち上がり囲炉裏の方を向いていつもの悪党のような微笑を浮かべながら彼女の顔を見た。とても無邪気な、微笑む少女がそこには居た。
「よっし! 今日は俺様のおススメの喫茶店にでも出かけるか」
「えっ! ほんとですか!」
「おうよ、デートだデート。さっさと行くぞ」
「わーい! その喫茶店、有名なんですか?」
「んー……有名ってわけじゃねぇけど、マスターの淹れるコーヒーは中々いけるぜ?」
「楽しみです! すっごく!」
鷺宮と囲炉裏は身支度を済ませ、家を出て喫茶店「今人」へと向けて出発した。二人肩を並べて歩いていくその姿は、まるで仲の良い兄妹のようであった。




