剣士打倒
自転車で走り抜けると、また森から急に荒野に出た。この急激な景色の変化は何べん経験しても直らないな。
にしても地図の剣士の位置を見ると意外と遠くにいるようだ。思ったよりアルトは逃げたなぁ。さて、剣士は追い詰められたかな。
その場に着いた時、目に映ったのは首に剣を突きつけられたアルトだった。
「アルトー!」
くそっ、虎人とはいえ、まだ子供のアルトにやっぱりやらせるんじゃなかった。俺自身中堅クラス、このダンジョンのモンスターにビビる程度だっていう先入観で甘く見ていたのかもしれない。やっぱりアルトに囮なんてやらせるんじゃなかった!
「サ、サトル様」
恐怖に震えたアルトが俺の名前を呼んだ。耳がしゅんとしてるとか、尻尾がくたっとしているとか、いつもなら可愛いなと愛でるところだが、今はそんなことをしている場合ではない。
自転車の前の籠に入っているお手製の刃を握りしめる。構えて相手に警戒させるようなことはしない。相手は二度目とは言え見慣れない自転車に目がいって気付いていないようだし。
「今、助けてやるから、待っていろよ。アルト」
「お前か。この虎奴隷の首輪を外したり、俺らに反抗させたりしたのは」
剣士の奴が、俺の言葉に反応した。なんかこいつは生理的に気に食わないな。そういえば、この世界に来てから会うやつで気に食わなくなかった奴がいないな。そう思うとアルトはマジ天使。
「おい、聞いてんのか。雑魚が」
とりあえず、アルトを助けるために隙を作るか。
『剣聖アルゴウスの大冒険〈中〉』を出現させる。
頭の中の本を出現させられる範囲は、何度か試してみたところ、俺を中心にして高さ2メートル、縦横10メートル程の直方体の内部ということだった。俺と剣士との間には10メートルぐらいあるから、本自体はその半ばまでしか届かない。だけど……。
ずしんっ!
とんでもない音と共に、大地が揺れる。上空から落ちた超重量の本による攻撃は潰すだけではない。その音と揺れで隙を作る事にも使えるのだ。捕まった場合のことも考えて、もしそうなったらこうやって隙を作ることまで想定していたのです。
と、ちょっと説明口調で解説してみた。
「なんだ、この揺れは。魔法か」
案の定初めての音と揺れに動揺する剣士。魔法と勘違いしたようで、俺以外に仲間がいるのではないかとあたりを見渡す。
剣士さんよ、アルトを捕まえている手が緩んでるぜ。
「アルト、今だ、来い」
「はい」
急の地響きに剣士の剣先も鈍っていた。その一瞬の隙でアルトは逃げ出す。虎人たるアルトだけに身のこなしが軽い。
「くそが。待ちやがれ」
剣士が立ち直る前に逃げるぞ。アルトの足なら自転車の俺と互角以上だ。
しかし、それに追いついた剣士はもっと早いということか。それでもどうにか目的の場所まで連れて行かなくちゃいけない。
あの剣士、本当に中堅なのか。比べられないから何とも言えないが、これで中堅の身体能力だというなら、一流どころはどんだけなのだろう。逆に言えば獣人であるとは言え、そんな奴とずっと追いかけっこできていたアルトのポテンシャルもすごい。
こん中でダメなのは俺だけか。やっぱり肉体強化系のチート能力が欲しかったよ。魔法でも可。
全速力で自転車のペダルをこいでいると、並走するアルトが声をかけてくる。
「サトル様。ごめんなさい。あの剣士をちゃんと目的地まで連れていけなくて……」
アルトは走りながら器用に落ち込んでみせる。
俺は一瞬だけ片手運転にして、アルトのちょっと強めに頭をなでてやる。
「いいよ、いいよ。俺が無理を言ったんだ。二人には護符を張れたからな。あと一人は俺ががんばるさ」
罠を張った荒野の地点はもうすぐだ。とりあえずそこまではもってくれよ、俺の足。
俺は自転車から降りた。アルトも隣で立ち止まる。
正直ギリギリだった。自転車での全力疾走で足はガクガク、息もゼエゼエと荒い。アルトと剣士は俺以上に走っているはずなのに、息切れもしてないとかどんだけだよ。
追ってきていた剣士も訝しげに立ち止まっている。剣の構えは解いていない。
「おい、もう諦めたのか。やっぱり雑魚だな」
俺のこと雑魚とか言っているけど、あんたのしゃべり方の方が雑魚っぽいよ。
俺は心の中でだけツッコミを入れる。
「もういいだろが、いい加減その奴隷返せよ。そうしたらお前みたいな貧相なモンスター、見逃してやるぞ。死にたくないなら、俺の要求に従え」
はあー。そうだよなー。俺は自分でも思うが弱い。服はうちの高校のジャージで、センスも悪ければ防御力も剣の前では紙も同然。唯一の攻撃方法である『剣聖アルゴウスの大冒険〈中〉』も、回収できてないからさっきので地面にめり込んだままだ。
手にはお手製の刃があるが、敵の剣と比べて貧弱この上ない。一度でも攻撃を受けたら使えなくなるだろう。
こんな状態完全に詰んでいる。
やっぱり人間死にたくはないよなー。
ちらりと隣のアルトの赤毛と虎耳を見下ろす。
助かるためにはアルトを見捨てればいいのか。それは簡単だ。そうか……
「だが、断る」
そう言ってお手製の刃を顔面目がけて投げつける。
「馬鹿が、そんなものが当たるか」
すっと顔を横にずらすだけで剣士は刃を避ける。
そうなることは分かっていた。本命はこっちだ。
俺は腰に下げた袋を投げつけた。中にはある花の花弁と、投げやすくするための重りとして手ごろな石が入っている。お手製刃を避けてバランスを崩している剣士には避けられないだろう。
「何だそれは。攻撃しているつもりか」
しかし鼻で笑いながら、剣士は袋を斬りおとした。
完全に俺を雑魚として油断しているこの男なら、袋を斬り払ってくれるだろうと確信していた。特にお手製刃という一番武器らしいものを投げつけた後なら、ただの悪あがきとしか思わないはずだ。
その予想はぴたりと当たり、全て思惑通りになった。やっておきながら自分でも怖いくらい上手くいった。
「アルト、伏せろ」
袋が斬られ中の花が飛び出したのを見て、俺はアルトを抱えながら地面に倒れ伏す。そして衝撃に備える。
「何を……」
剣士の声をかき消すように、袋に入っていた火花草が燃え上がって、俺達が埋めておいたボムマッシュに引火する。一つに引火すればここら辺一帯に埋めた全てが爆発する。
一つ爆発させてその爆発距離を測っておき、ちょうど爆風がほとんど当たらないところで俺たちは待ったのだ。剣士が爆弾地帯に入るのを。
火花草もボムマッシュも特殊な採取方法を用いれば、燃えたり爆発したりはしないで採取が可能だ。それでも強い衝撃や火を与えるとダメだが。しかし、今回はそれによって上手くいった。荒野まで森に生えているボムマッシュを持って来て埋め直すのは苦労したけどな。
ぐっ、しかし計算違いだ。思ったより爆発が大きくて爆風がここまで届くのか。はじけ飛んだ石が背中に当たって、痛ぇ。
だけど、これでやれた。爆発と言ってもキノコはキノコ。死ぬほどではない……はず。意識を失っていてくれれば御の字。そうじゃなくても動けなくなっていれば俺の勝ちだ。
まあ、相手が死ぬかもとか気にしてたら、何もできないか。特にこの世界はそうだと思う。まだ多くのことを経験したわけではないけれど、それでも死の危険はいくらか通ってきたのだから。
「立てるかアルト」
「はい、大丈夫です。でも完全に決まりましたね。さすが知恵の勇者様」
「ま……まあね……」
すごい尊敬の目で見られている。これは……恥ずかしいな。やっていることは罠に引っ掛けるという卑怯な手なわけだけど、勝利に貴賤はない。あいつらがアルトにしたことへの俺なりの復讐も出来た。
とりあえず、無事を確認しつつ護符を張りますか。いい加減、土煙も収まってきたし。
しかし、土煙に視線を向けると未だ立つ男の影が見えた。それも剣を杖代わりにして何とか立っているという感じではない。まだしっかりと剣を構えたままで立っているのだ。
これはやばい……。この剣士、やっぱり想定外だ。
「なめてんじゃねーぞ、雑魚どもが」
剣士が吼えた。土煙の中から現れた姿は所々服が焦げ付いてはいるものの、ほぼ無傷だった。
ちょっと待てよ。あれだけの爆発で無傷はねえだろ。ありえねえぞ。
これで計画は失敗だ。まだいくつか仕掛けはあるが、正直ボムマッシュ以上の威力はない。もしくはありすぎる。
くそ、一応用意はしたけど、あの手は確実にあいつを殺すことになる。
護符を使える状況ならいい。相手を殺すことはないからだ。今まではゲームだったわけだ。相手を殺さないですむただのゲーム。しかし、ここからは殺し合いになるのかもしれない。
ごくり、と口にたまっていた唾を飲み込む。
「今ので俺が死んだとでも思ったか。残念ながらあんなもん障壁張れば、痛くもかゆくもねえんだよ」
障壁?
よくアニメとかである『何とかウォール』みたいなやつのことか。もしくは結界の様なものか。どちらにしても防がれたという事で間違いないらしい。しかし、そんなことが出来るのは魔法使いだけのはずだ。だからわざわざ分断したんだからな。
「お前はただの剣士だろ。そんな魔法使いみたいなこと……」
アルトから聞いた情報と一致しない。こいつはただの剣士だったはずだ。
アルトに目を向けると、アルトも驚いている。別に騙そうとしたわけではないらしい。
「ああ、そうか。この虎奴隷は知らなかったかもな。戦っている時はいつも丸くなって、怯えていたんだから」
剣士ににらまれて体が震えだすアルト。
どんな目に今まであってきたのか。元の世界でぬくぬく過ごしてきた俺には分からないし、何ができるってわけじゃない。だけど……
「アルト、今は俺が護ってやる。だから安心してくれ」
「はい、サトル様」
泣きそうな女の子前にして、見栄を張るぐらいのことはできる。
とかっこいいこと考えておいてなんだが、とりあえず今できることは一つ。
「アルト、逃げるぞ」
三十六計、逃げるが勝ち。戦略的撤退であります。
一旦逃げて準備を整えよう。『剣聖アルゴウスの大冒険〈中〉』を回収したりできればまだ勝機はあるかもしれない。
アルトの手を引っ張りながら、先の爆風で倒れていた自転車に乗ろうと駆け寄った。しかし、その瞬間悪寒が走る。
あっ、これやばい。本能が警鐘を鳴らす。この世界に来てから敏感になったこの感覚には、従った方がいい。自転車へと伸びかけていた手を引っ込め、一歩分後ろに下がる。
「逃がすと思ってんのか」
その瞬間、体の横を炎が走り抜けた。炎にとらえられた自転車が一瞬にして燃え上がる。別に焼け溶けたというほどではないが、これですぐには自転車は使えない。
俺はこの炎を生み出したであろう剣士の方をゆっくりと向いた。
剣士は振り下ろしていた剣を持ち上げる。その剣士の手に持つ剣には少し火が纏わりついていて、すっと消えていった。
「おい、魔法剣士を見るのは初めてか。本職の魔法使いほどじゃねえが、こんぐらいのことはできるんだぜ」
魔法剣士……やばい、かっこいい。とか思っている状況じゃないな。
さっきの炎、自転車を狙ったんだろうけど、近くにいた俺もやけどするぐらいの威力があった。偶然プリュメールの入った袋が焼き切れたから、火が吸収されて無事だっただけのこと。しかもこれが無詠唱で行われたということがやばい。もっと上があると考えた方がいいだろう。
しかし、もうこれで逃げられない。本格的に戦うしかなさそうだ。
「アルト、お前だけでも逃げろ」
「で、でも……」
「お前がいたら邪魔だ。俺が本気を出せないだろ」
アルトを怒鳴りつける。怒られて耳がしゅん、となっているのは可愛いな、とこんな時でも考えられる俺はなかなか神経が図太い。こんな姿が見えるのはこれで最後かもしれないと思うからかもしれない。
まだ悩んでいたアルトの髪をゆっくりと一撫でする。そしてなるべく威厳があるように言った。
「俺は勇者だ。だから俺を信じろ」
「分かりました。絶対に死なないでくださいね」
俺はそれに答えることなく正面を向いた。アルトが走り去る音が聞こえた。
「追いかけなくていいのか」
こっちを睨みつけている剣士に尋ねた。少しでも時間を稼ぎたい。アルトが逃げるための時間を。
「あの奴隷ならお前を人質にでもすれば、いつでも見つけられるさ。それよりお前も知っているんだろ。虹の雫の群生地をよー。それ教えてくれたら半殺しで済ませてやるよ」
アルトをおびき出すための人質にするつもりなら、最初から殺す気はなさそうだな。でも断れば殺されなくとも半殺し以上の目にあわされそうだ。それにアルトを捕まえたら、お役御免になった俺は殺されるだろう。
剣に纏った炎を揺らしながら、不敵に笑いやがって。まじで悪人面だ。だけど勇者だっていうんなら負けてられないよな。
「はっ、誰がお前みたいな三下の言う事を聞くかよ。お前の仲間ともどもお前も俺がぶちのめしてやんよ」
「お前があいつらをだと?」
不審そうな声を上げた剣士に、俺は精神的優位を勝ち取ろうと言い募る。
「おお、そうだ。二人ともぼこぼこにしてやったさ。みじめに命乞いをするさまを見せてやりたかったよ」
はったりでもいいから強気でおす。剣士が少しでも俺の言葉を信じれば、まだどうにかなるかもしれない。こんな些細なことでもやらないよりはやったほうがいい。俺は意外とあきらめが悪いんだ。
「お前みたいな雑魚があいつらをぼこぼこにするだと。信じられないな」
「お前がどう思おうが俺が倒した事実は変わらねえぞ。お前も痛い目にあいたくなかったらこのダンジョンから出ていけ」
言っていることがが勇者と言うよりも、物語の冒頭で主人公に返り討ちにあうチンピラみたいだ。やっぱり俺みたいな平凡な奴は勇者には向かないらしい。
それでもできる限りの挑発を繰り返す。アルトの方に意識が行かないように。
「もう何でもいい。そんなに死にたいなら、思う存分なぶってから殺してやるよ」
挑発に乗って怒りを見せた剣士は詠唱を始めた。この世界で初めてきちんと魔法が使われるのを見た。一言目を剣士が唱えた瞬間に、その周りを赤い球みたいなのが走ったように見えた。
「炎の精霊よ、我に加護を授けたまえ。炎を蛇たる形に切り取り、我の剣に這わせ、敵を灰とせよ」
その言葉が言われたとたん、刀身の付け根からまるで蛇のように炎が現れると、ゆっくりと巻き付いていく。まだ距離があるこちらにもちりちりと感じるほどの炎だ。魔法を使った本人には耐性なのか、その熱を気にしている様子は見られない。
ちょっとやばすぎるかな。炎の熱さから来るものとは違う汗が背中を流れる。
そして戦いのリングは切って落とされた。そしてその瞬間には俺は吹き飛ばされていた。
蹴られたのか……。
どうやら魔法の力でも使って(足が少し光っていた)、距離を詰めてきたらしい。気付けば懐に入られていて、蹴り飛ばされていた。
わざわざ炎を纏った剣を使わずに蹴ってきたのは、一瞬で殺したらつまらないからだろう。
「さあ、サンドバックちゃん。どれだけ耐えられるかなぁ」
そういってもう一発。骨がめきっと音を立てたような気がする。
倒れ込んだ俺は何度も何度も蹴られた。
「っ、ぐあああ、くっ」
たまに剣を近づけられ軽くあぶられる。その度に俺は悲鳴を上げなくてはいけないかった。皮膚がジュウジュウと音を立てているような気がする。
「虹の雫がどこにあるか言え。そしたら蹴るもこんがり表面をやくのやめてやるぞ」
「蹴り殺されたくなかったら、早く言えよ。丸焼きにしてやってもいいんだぞ」
剣士の声が頭に響く。確かになんでこんなに痛い目に合ってるんだ。ティアに呼び出されて、本四冊もらって、冒険者倒せって、俺みたいな一般人には無理な話だったんだ。アルトは逃げただろうし、話してもいいだろう。やっぱり俺に勇者なんて最初から無理な話だったんだ。
「虹の……ば……」
「やめろ。サトル様を離せ」
アルト!
痛みから逃げ出そうと、口を割ろうとしていた俺の耳にここにはいないはずのアルトの声が聞こえた。それも今までにないくらい強く、そして怒った声が。
蹴られたせいで見えづらくなった目で剣士の腰元を見る。そこにはきれいな赤毛の虎耳少女が、しっかりとしがみついていた。
何故来た、逃げろ。そう言いたいが、強張ってしまった口はなかなか動かない。
長くなったアルトの爪に引っかかれるのを防ぎながら、どうにか剣士はアルトを捕まえる。
「虎奴隷の方から俺のところに来たか。手間が省けた。今度からは反抗しないように、とりあえず腕の一本でも切り落とせばいいか」
そう言った剣士が思いっきりアルトを放り出して、地面に強く叩きつける。
剣士が起き上がれないでいるアルトから、俺の方へと視線を向けると、
「それじゃ、お前は用済みだ、モンスター。死ね」
最後通牒を俺に突きつけた。つーかまだモンスターだと思われてたのな。やっぱり服装がおかしいのか。それとも黒髪がダメなのか?
バカなことを考えていても時間は止まらない。炎を纏った剣は確かに俺へと振り下ろされる。まさしく死を俺は感じ取っていた。硬直した体は恐怖のせいで動き出せない。
「サトル様」
アルトの悲鳴を聞き、俺の思考が切り替わる。
もし今俺が殺されたらアルトはどうなる。ただでは済まないのは確実だ。
(俺じゃあ、アルトを護れないっていうのかよ! そんなこと認められるわけがないだろ)
アルトは幸せにならなくてはならないんだ。
それに俺は護ると誓ったんだ。俺が勇者だと言ってくる女の子にかっこ悪いところは見せらんないだろ。
動かない体は放っておいて、俺は一冊の本の題名を頭に思い浮かべた。
現れろ『闇と悪の書』!
振り下ろされる剣と俺の間に突如出現した一冊の本。本から漏れだす禍々しさしか感じないその瘴気と呼ぶべき黒いもやに、今だけは頼もしさを感じる。
剣士は驚き、鎖のせいもあり本は截ち切ったものの、俺までは剣が届かない。真っ二つになった本の背表紙が燃え始めるのがはっきりと俺には見えた。剣士の目は俺から離れ、今自分で切り捨てた本に向いている。
「ここだ! 消えやがれ、この腐れ剣士が」
懐から取り出した護符を手に、剣士目がけて最後の力で飛びつく。恐怖で動きを止めていた体を、護るという強い意思で上書きする。この瞬間だけは痛みもどこかへと飛び去り、目の前の剣士を倒すことに集中する。
痛めつけられた体でできる最速で攻撃する。
「遅い」
しかし、無情にも剣士はそんな俺よりもずっと早い。剣士はすばやく振り下ろした剣で斬り返そうとした。しかし、逆袈裟の軌道をたどるはずだった剣はピクリとも動くことなく、剣士自身の体の動きも止まった。いや、動けなかったというのが正しかった。
「不思議そうにしてるな。これが知恵の勇者の知恵の使い方だ」
拳で思いっきり殴りつけて、護符を貼ってやった。その瞬間未だ不思議そうな顔をしたまま剣士は姿を消した。
ばたりっ。
殴った勢いのまま地面に倒れ込む。体の痛みが激しくて、手で体を満足に支えることも出来ない。しかし、その痛みが逆に達成感を生み出していた。
やった……。体中痛いけど、俺が倒したんだ。俺がアルトを護れたんだ。
「サトル様、良かった」
感極まったアルトに上から抱き着かれると、体中に痛みが走った。でもアルトを護って受けた傷だっていうなら、この痛みも含めて悪いもんじゃないな。
ただ痛みのせいでせっかくアルトに触れているというのに、感触を十分に楽しめないのが残念だ。俺は何とか持ち上げた手でゆっくりとアルトの頭をなでる。
「ほら、言った通り勝っただろう。ちゃんとアルトを護れた」
「何言ってるんですか。こんなボロボロになってまで戦って。私を置いて逃げてくださればよかったのに」
アルトが泣き出してしまった。こういう時元の世界で非リアだった俺には慰める方法がない。ただ頭をなでてやることぐらいしかできなかった。
「せっかくアルトに勇者だって言ってもらったのに、あいつら相手にこんなにボロボロでは情けないな。お笑い草だ」
笑ってくれないかと、自虐的なことも言ってみる。
「そんなことありません。サトル様は勇者様です。私を奴隷から解放してくれて、普通の人間みたいに扱ってくれて、体を張ってまで助けてくれて……誰が何と言おうと私にとっては大切な勇者様です」
さっきまで泣いていたのがどこへやら、今は元気になっていた。言っていることは恥ずかしいけど、純粋にうれしい。ただし、
「えっと……大切ってのは、そのどういった意味でかな……」
「えっ、あ……それはあの、家族のようというか……こ、恋人というか……」
「そ、そうか。家族、家族だよな」
かすれてしまってよく聞き取れなかったけど、家族と言う言葉は聞こえた。会ってまだ数日だけど、家族の様に思ってくれているというのは嬉しいな。アルトは何だかちょっと残念そうな顔になっている。
二人してちょっと慌てたものの、疲れがたまっていたせいか、少しの間、お互いに座り込んで休憩する。
さっきまで戦闘を行っていたとは思えない、ゆったりとした空気が流れる。
「それにしても、最後敵の動きが止まっていたようにみえましたけど、何をしたんですか」
興味津々に聞いてくるアルトに、俺は燃え尽きて灰になった本を指さす。本が燃え尽きた場所にはただ鎖だけが落ちている。
「あれは前も言ったけど呪いの本で、一目見たら金縛りにあうんだよ。試したことはなかったから、ぶっつけ本番だったけどな。上手くあいつの動きが止まってくれてよかった」
パンチや蹴りが飛ぶ中では近すぎて本を出現させるのが難しいけど、剣を振り下ろす時なら、その軌道上に本を生み出すための空間ができなくもない。そして突然本が現れて、それを注視しない人間はいないだろう。賭けの要素は強かったが、それでも俺は勝った。
そんな危ないことを、とアルトは心配してくれているがそれぐらいはしないと自分もアルトも護れなかったのだ。
しかし流石にもう動けない。俺はそのまま疲れて寝てしまった。