勇者、修行始めます
プルプル。プルプル。
さっきから俺の膝がスライムもかくやってぐらいプルプル言ってる。
「グ、グランさん、あ、後どれだけですか」
「ああ? 俺のウォーミングアップが終わるまでって言ってるだろ。もうちょっと待ってろ」
「それ何度目ですか!」
筋肉ムキムキとは思えない、まるで体操選手かというほどの体の柔らかさを見せながら、グランさんは身体を温めている。
股割りをしたかと思うと、胸まで甲板にぺったりと付けたり、立ち上がって足を自分の顔に触るまで上げてみたり、じっくりゆっくりとした準備運動。体中から汗が拭きだし、近くにいる俺に蒸気のような暑さを与えている。
いつもあの筋肉が暑苦しいけど、今はそれ以上だな。冗談抜きにこの辺の気温を二、三度上げてるよ。人間ストーブかよ。
「グランさん、本当にまだですか。それに、本当にこれが、修行何ですか!」
「おら、文句言わずに突っ立てろ。女の前でいいところ見せたいんだろ」
「見せたい、見せたいですけど、も、もう足が……」
グランさんが準備運動している傍らで、俺はただ少し足を広げて立っていた。
肩幅より広めの幅でスキーで言う所の八の字型に足を開いて立つ。グランさんに修行をつけてもらうことになって、最初にやれと言われた鍛錬がそれだった。
「おし、やめていいぞ」
「はふっ、もう駄目、足が」
止めの掛け声と共に足から力が抜けて俺は顔面から倒れ……る前に服の襟をつかまれて支えられた。
「おい、誰が倒れていいって言った。修行はこれからだぞ」
上から呆れたような野太い声が降ってくる。
そんなこと言われても、足に力が入らないんだよー。
泣き言を考えても良くなるわけもなし。
「サー、イエッサー」
投げやりにそう言うだけが精一杯だった。
「それじゃ、まず武術で大事な事って何だか分かるか」
おお、脳筋っぽいグランさんからこんな問いが飛んでくるとは。
てっきり武術に知識は要らねえ。体に覚え込ませるんだ、とか言ってくると思った。
意外と考えてるんだなぁ。
「おい、今失礼な事考えたろ」
聞こえていない声には反応できないので、集中して考えよう。
武術に必要な物。つまるところ戦いに一番必要な物だろ?
今まで戦ってきた中で何が必要だったか、思い出してみよう。
最初の冒険者を倒した時、モンスターを狩った時、ルンカーさんから鍛えてもらった時、そして巨亀と戦った時。
「……考え続けること、ですかね。その状況で自分が出来る最善の方法を模索する事」
俺は知恵の勇者。強い力は持っていない。あるのは頭の中の本だけ。
巨亀と戦って知った自分の弱さ。弱い、故に考えるのを辞めない。
それが俺の答えです。
真正面からグランさんを見つめてそう言った。
「ほう、薬師にしては面白いことを言うな」
面白いという事は、どうやら外れてしまったらしい。
「それは戦いに勝つための方法だ。どれだけ力を手に入れてもそれを活かせなきゃ意味がねえ」
まあ、俺なんかは考えるのはリュマに任せっきりだけどな。
そう言ってガハガハ笑うと、平手で肩を叩いてきた。
「な、なるほど」
痛い! 肩が外れる。どんだけ力が強いんだよ、この人!
照れ隠しの一撃だけで俺程度はやられそうだ。
「えっと、考えることが答えじゃないなら、それこそ力そのものとか?」
「違ぇよ。力を手に入れるための武術だろうが」
まあ、そりゃそうだ。
その後いくつか言ってみたけど、結局当たらずにギブアップ。
うう、俺が答えられなかったからって得意そうにしているグランさんの顔、超殴りたい。絶対殴ったこっちの方が痛いと思うからやらないけど。
「答えは、身体を把握することだ」
「身体を把握ですか」
「ああ、自分の身体はどんな動きが出来て、どんな動きが出来ないのかを理解しろ。そして自分の意識した通りに身体を動かせるようになる。これが一番大事だ。分かったら、鍛錬始めるぞ。ちょうど足の震えも治まっただろ」
どうもこの問答は俺が休憩する時間だったらしい。
リュマさんがもっともらしくグランさんの鍛錬は厳しいって言ってたけど、そうでもないな。
すごく良い人だ。
「よしそれじゃさっきと同じ立ち方をやってみろ。ほら、早く」
「ま、またですか」
どんな修行かと思ったらまた立ってるだけかよ。
かかとが外につま先が中に入る様に足を八の字にして立つ。これに何の意味があるんだ?
「サトル、今こんなことに何の意味があるのかって思ったろ」
うおっ、見透かされてた。
「いや、そんなことは……」
「いいか、そのまま立ってろよ」
そう言ってグランさんが意味深に笑うと、船が大きく揺れた。
風もないのに。
「グランさん、何が起きたんです」
何とか右足を前に出して倒れるのを防いだ。流石にあの立ち方じゃ立っていられない。
「それはすぐに分かる。サトルは俺が言った通りに立ってろ。立ってられたらすぐにでも必殺技を教えてやるぜ」
「本当ですか!」
一流の武術家の必殺技!
超知りたい。
岩とか粉々にできたり、敵が内側からはじけ飛んだりするんだろうか。
「ああ、お前が立っていられたらな」
そうグランさんがそう言って獰猛な笑いを見せた瞬間、先ほど以上の大揺れが船を襲い、海面から何かが飛び出してきた。
「ひぃ! 海竜、海竜です!」
揺れに驚いたのか甲板に出てきたエストーレさんは、それを見てすぐさま血の気の失せた顔をして叫んだ。
マストに届くほどの高さから真っ赤な鋭い目がこちらを見下ろしている。海水を滴らせる青く輝く鱗が体を包み、蛇のように手足を持たず体をくねらせている。そして凶暴そうにあけられた口からは凶悪に光る刃のような歯が並ぶ。
まさにそれは海を支配するであろう竜の威厳ある姿だった。
「おら、お前ら、船が潰れる前に倒すぞ!」
グランさんがそう叫ぶ声が耳に届いて、ようやく俺は止まっていた呼吸を取り戻した。
そして一気に恐怖が体を貫いていく。
怖っ!
あの巨亀はデカすぎて全体像が分からなかったからそうでもなかったけど、人を丸呑みに出来るサイズは恐ろしすぎる。
でも、どうしてだろう。怖いけど、死ぬ気がしないのは。
「おい、左から一匹来てんぞ。リュマさっさと海竜の動きを止めろ」
海竜の一匹をぶん殴ったかと思うと、グランさんはすぐに指示を出す。
「我は精霊に要請する。見渡す限りを、氷で塞ぎ、動きを止めろ」
氷結界。
リュマさんの冷ややかな声音に誘われたかのように、急激に気温が下がる。
そして海が凍りつくようにして海竜の動きを止めた。
「一時的なものです。早めに終わらせてください」
その答えに周りの冒険者たちが高らかに吠える。
その後グランさんのパーティーの剣士、ラルドさんの首を狩る一撃が放たれ、あと残るは一際大きい一匹のみ。
飛び出して行ったのは強烈な笑顔をしたグランさん。
「おら、これで沈め!」
グランさんが放ったのは貫手。ぴんと伸ばした指先が海竜の固い鱗をまるで意に返さずに貫いた。
何匹もいた海竜はその圧倒的な強者として雰囲気に反し、船に何の痛痒も与えずに死んでいった。
「おう、サトル。おまえの負けだな。罰ゲームはどうすっかな」
負け?
俺は自分の姿を見る。
手と尻が床にぺたんとくっついている。つまり綺麗に尻餅をついた体勢だ。
「ば、罰があるなんて聞いてないですよ」
って言っても聞いてくれるわけないですよね。
にやりと笑って、グランさんは座ってる俺の襟元を掴んで持ち上げる。
「大丈夫だ。修行量が二倍になるだけだ」
全然よくない。今日始まったばかりだけど、俺には分かる。この人の修行は鬼畜だ。ウォーミングアップで俺は足がガクガクしたんだぞ。
誰か止めてくれる人はいないのか。
周りを見ると、ほとんどの人はまだ海竜の後処理に追われている。
ただそこでこっちを見ていた(多分グランさんのことを)リュマさんと目が合う。
(タ・ス・ケ・テ)
口パクでも伝わるはず。
リュマさんは無表情ながらもゆっくりと頷いた。
おお、女神様だ!
「大丈夫です。サトルさんの修行は今日が初日ですから。比べる対象がなければ二倍になっても分かりませんよ」
おお、フォローになってない。
「はっはっは、そりゃそうだ。それじゃどれだけやっても二倍って言えるな!」
「うがっ! 脳筋に変な知識が!」
「それじゃ、とりあえず最初は基本の突き蹴りを五百ずつからだな」
五、五百……!
俺はうなだれたまま、グランさんに引きずられて行った。




