シズネの過去 下
一応これでシズネの過去語りは終了です。ある程度コンパクトにまとめようとして読みづらいかもです。
ゴミ捨て場に倒れるシズネを見つけたのはシャッハという少女だった。
「死んでるのか?」
疲れ果て体を動かすことも出来ないシズネは、家族に見捨てられたショックもありその声に何の反応も返さなかった。
どうしたものかと首をひねるシャッハ。無造作に後ろで束ねられたポニーテールがそれに合わせて揺れる。
そしてどういう結論に至ったのか、シャッハはひょいとシズネを抱えて歩き出した。
「ちょっと、何を!」
流石にそれには驚いて、シズネが抗議の声を上げる。
「おお、やっぱり生きてたな。ちょっと待ってろ。今、連れてくから」
「連れて行くってどこにですか。私を誰だと思ってるんですか。私はシズネスカ・ラピ……」
ラピスラズリと家名を続けようとして、母の拒絶の言葉を思い出してしまう。もうその名を呼んではいけない、そう思うと涙が流れた。
「おい、急に泣いてどうした。どこか怪我してんのか。痛いとこでも触ったか?」
その様子にシャッハは慌てる。
そしてその優しい気遣いはシズネがあの家の中で与えられることのなかったものだった。
「おい、どうしてさらに泣きだすんだよ」
流れ出した涙は止まらず、結局シャッハの腕の中、孤児院にたどり着くまでシズネは声を殺して泣いていたのだった。
「ラピ、今日ぐらいは働かなくてもいいのよ。明日は魔法学院の入学試験でしょう」
そう言ったのは孤児院を運営するアリシア。いつも柔和な笑顔を絶やさない美しい女性だ。
「いいえ、アリシアさん。私は皆と一緒に働きたいんです。試験に受かればここを離れることになってしまうから」
シャッハに連れられて孤児院に来てから二年の月日が流れていた。
この時期はシズネにとってもすごく穏やかな時間だった。
病気や事故で親を亡くしたり、捨てられてしまったりした子供たちが集まる孤児院の生活は確かに苦しいものだったけど、同時に周りに自分を慕ってくれる子供たちがいてくれるのは嬉しいことだった。
「ラピ姉ちゃん、どっか行っちゃうの」
「えー、やだ。僕、ラピ姉ちゃんとずっと一緒がいい」
そばかすが可愛いシーナ。いつもシズネにべったりな眼鏡のラッテル。他にも孤児院の多くの子供たちがシズネの下に集まる。
ちなみにラピと呼ばれているのは、初日にシャッハが名前を聞き間違えたからだった。シズネはそれでよかったと今では思っている。
もう私はシズネスカ・ラピスラズリじゃない。この孤児院のただのラピ。
「ごめんね、みんな。でもまだ決まったわけじゃないし、決まってもすぐに出ていくわけじゃないから」
「ラピ、大変だと思うけど、この子たちと遊んできてくれない。これじゃ仕事にならないわ」
少女一人に子供たちがどんどん群がる姿に苦笑しながら、アリシアさんはそんなことを言った。
「でも仕事が……」
「それも仕事よ。今のうちに目一杯遊んでおきなさい」
「そうよ。こういう仕事は歳上に任せなさい」
「餓鬼どもの相手の方が大変だけどな」
アリシアだけでなく、年上の孤児たちもシズネを気遣ってそんなことを言う。
一瞬だけ迷って、シズネは大きく頷いた。
「それじゃ、遊ぼうか」
夕食までの時間、シズネは十歳の年相応に楽しく遊んでいた。
その日の夜、孤児院の屋根の上でシズネは月を眺めていた。
ラピスラズリの屋敷にいたころは月がきれいだと思ったことなどなかった。魔法を使えるようになる、それがあの家の至上命題だったから。
あなたならきっと素晴らしい魔法使いになれるわ。
シズネはまだ幼い自分に母がそう言ったことを思いだしていた。
「明日試験だからあの人の言葉を思い出すのかしら」
その言葉を掛けられたのはまだ母と家族であった頃だ。もう記憶のほんの片隅にしか母の笑顔は残されていなかった。
涙がこみ上がりそうになって我慢する。
「おい、また泣いてんのか」
そんな時、シャッハが声を掛けてきた。シズネがいないことに気付いて探しに来たらしい。
「な、泣いてなんかないわ」
「はっは、強がるな。お姉さんの胸を貸してやるから、そこで盛大に泣いてもいいぞ」
手を広げて待ち構えるシャッハを見て、シズネは思考を切り替えることが出来た。
自分には新しい家族たちがいる。この人たちは私が何の精霊から加護を受けていても気にしないでいてくれる。
この孤児院はシズネにとって家族の住まう家であり、シャッハはここに導いてくれた恩人だった。
面と向かってそんなことを言ったり、礼を言ったりとかはしていないけれど、シズネはシャッハの事をとても大事に思っていた。
「大丈夫だから。その下品な胸を見せつけないで」
「おい、ラピ。そんな言い方傷つくだろ」
シャッハは顔付きは昔と変わらずボーイッシュで髪を後ろでくくっているのだが、二年前と比べて胸部の成長が著しかった。シズネが羨ましく思うほどの威力がある。
シャッハは重いだけなんだが、と呟きながら自分の胸を揺らし、シズネの胸があるはずの部分を見る。
「大丈夫。お前もあと四年経って、俺と同い年になるころには大きくなってるさ」
「本当?」
「ああ、このシャッハお姉様が断言してやる。シズネの胸は大きくなるってな」
シズネはこれがシャッハなりに励まそうとしていることが分かったので、笑ってみせてキュッとシャッハの袖口を握った。
「抱き着くのは恥ずかしいけど、これぐらいなら」
少し下目遣いで顔を赤らめながらそんなことを言ってくるシズネの姿に、シャッハが我慢できる訳もなく、
「ラピー」
叫ぶと自分からシズネに抱き着いた。そのまま胸でシズネの頭を挟みながら、勢いよく頬擦りする。
「ちょ、シャッハ姉、やめっ、胸が」
シャッハが落ち着くまでそんな状態が続いた。
いったん離れた二人は、そっと屋根に背中を預けて夜空を見上げる。
「そういや、ラピを見つけたのもこんな夜だったな」
シャッハは何かを思い出すようにして、そう言った。
「ゴミ捨て場に可愛い女の子が捨てられてるからさ。驚いたよ、ほんと。孤児院に連れてきたはいいものの、泣きまくってるし困った」
流石に恥ずかしいのか、シズネはシャッハに背を向けるようにごろりと横向きになる。
「それで次の日起きてみたらちっこい癖にすっごい魔法が使えるし、こりゃいい拾い物だったか、それとも厄介の種かって、アリシアさん達と緊急会議もしたな」
「そんなこと……」
そのことは知らなかったのか、シズネは驚きの声を上げた。
「まあ、俺が面倒見るから様子見ってことになったんだけどな。だから今追い出されずにおまえがこの孤児院に受け入れられているのはお前が頑張ったからだ」
そんなことはない。屋敷の中で一人で生きてきて、外の事を何も分からない私が普通に暮らしていけたのは、シャッハ姉のおかげ。シャッハ姉がいなかったら何もできなかった。
そんな言葉と泣き声を噛み殺し、シズネは涙をこらえてシャッハの言葉に耳を傾けていた。
「ラピにはみんな助けられてる。俺に智の精霊の加護があることが分かったのもそうだ。魔法の使い方を教えてくれたのだってそうだ。ラピのおかげで俺は明日魔法学院の試験を受けることが出来て、この孤児院に恩返しが出来る」
ちらりと見たシャッハの顔は、いつものいたずらっ子ぽさが落ち、まるで騎士のような真剣な表情だった。
「ラストチャンスを絶対にものにしてみせる。ラピにせっかく教えてもらったからな」
シャッハの年齢は十四。魔法学院の入学試験は十歳以上なら受けられるが、この孤児院に居られるのは今年までだ。もし試験に落ちた場合、どこか勤め先を探すことになるだろう。そうなってしまえば試験を受けることは難しくなる。
つまりシャッハにとって試験を受けられるのは今年が最後なのだ。
それに課題はそれだけじゃない。試験でいい成績をとり学費免除を受けることが出来なければ、孤児院のお金では学院に通う事は難しい。
「……シャッハ姉なら大丈夫だよ」
シズネはぎゅっとシャッハに抱き着いた。シャッハも片手で頭を撫でる。
「ああ、いっちょ前にお姉様の事心配してるんじゃねえぞ。俺たち二人とも絶対いい成績とって、学費免除かちとって孤児院に凱旋するんだからな」
「……うん」
頭を撫でるその手の温かさは、家族のそれだった。
そして当日、試験場所は国立バルバット魔法学院。
驚きの声が会場中から響いていた。
「あの子たち何者だ」
「おい、四貴族の係累じゃないんだよな」
その驚きの声の中心にいたのは、シャッハとシズネだった。
「あちゃー、やりすぎたか」
「これぐらい普通だと思いますけど」
「ラピの基準間違ってんじゃないか?」
二人は小さなクレーターの真ん中に立ち、そのクレーターには幾人か試験管らしき者が倒れている。
「……孤児院出身、シャッハ、ラピ両名共に一次審査は終了です。別室にて二次審査がありますので移動してください」
一人職業意識の高い試験官が茫然とした状況からすぐさま立ち直り、自分の仕事をこなすのであった。
言われるままに別室へと向かうシャッハとシズネ。
「自分の扱える魔法で試験官を攻撃しろって試験でしたよね。なぜあの人たちは障壁も何も張らなかったんでしょうか」
「確かにな。俺達の前の初挑戦の男子でも頭ほどのファイアーボールを出してたし、もっと派手な魔法を見せないといけないって思ったわけだが、違ったのか?」
そんなことを言っているが、実情とは全く乖離している。
本来魔法学院に入学する前から高度な戦闘用魔法を使える者などほとんどいない。であるから本来的に最初の試験は、幼いころから魔法の英才教育をされる貴族階級の晴れの舞台としての意味合いしかない。だから最初にファイアーボールを出した少年は今年の有望な新入生として扱われるべきだったのだ。
しかし、そんなこととはつゆ知らず、二人は自分たちが出来る最高のパフォーマンスを見せようとしていた。
一次試験ではシャッハが地面を大きく陥没させる土魔法クラッシュで試験官の足場を崩し、シズネが体勢を崩した試験官目がけて水魔法の発展にあたる氷魔法で生み出した氷塊で打ち抜いた。
精密な魔法の発動をみる二次試験では、魔法の発動までの短さで度肝を抜いた。得意魔法の判定ではシャッハが火と土に中級以上、シズネに関しては四属性全てに中級以上という判定が出た。他のいくつかの試験でも優秀な成績を叩きだしていた。
これは場合によっては魔法学院の上級生に匹敵するもので、学院側としては喜々として受け入れるという事になり、本来なら数日後に発表される合格がその日には伝えられた。
もちろん、二人とも学費免除である。
「おお、やったな。ラピ!」
「はい! シャッハ姉も」
喜び勇んで帰る二人を睨んでいる者がいることに、どちらも気付くことはなかった。
孤児院に帰ってそのことを伝えたら、アリシアは泣きだし、他の子供たちもはしゃぎ始めた。
そのまま慎ましやかながらも、楽しいパーティーが行われた。
しかし、次の日それは一枚の封筒で覆される。
「これはどういうことだ!」
その封筒に書かれていたのはシャッハの学費免除の取り消しと、シズネスカ・ラピスラズリの合格取り消しだった。
それを見てシズネはぞっと体に悪寒が走る。
封筒に押されていた封はラピスラズリ家の物だった。
(ばれた! 私の事がお母様に。だから、こんなことが)
魔法学院の創業者は四貴族だ。今でも四貴族の力が強い。学費免除の取り消しや、合格の取り消しなど楽な事だろう。
「くそっ! これがラストチャンスだったのに」
シャッハの言葉がシズネに突き刺さる。
「私が……私のせいで……」
「おい、このシズネスカ・ラピスラズリってラピのことか」
誰かがその名前に気がついた。
「ラピスラズリってあの四貴族の!」
ああ、終わってしまった。
また私は家族を失うのか。
お前など私の娘ではない!
シズネの脳裏に母親のその叫びが蘇ってくる。
いつの間にか足から力が抜けていて、ぺたりと地面に座り込んでいた。
そしてシズネは待った。怒りの声が、拒絶の声が自分に降りかかるのを。
ぽんっ。
「……え?」
見上げて目に入ってきたみんなの顔は、誰も怒ってはいなかった。
頭に置かれたシャッハの手から温かさが伝わる。
「いろいろ辛いことがあったんだよな。気付いてやれなくて、俺はお姉ちゃん失格だ。ごめんな、ラピ」
シャッハのその言葉に、シズネは首をぶんぶんと横に振った。
そしてシャッハの胸に飛び込む。
「そう、じゃないの、私が、私が悪いの。私のせいでシャッハ姉が。私、もう家族じゃ、無くなる、と、思って……」
「いいよ。誰もそんなことじゃラピを嫌いにならないから。ただ、泣きな」
いつも男っぽいシャッハもこの時ばかりはとても女性らしい包容力を持ち、シズネはそのまま寝てしまった。
そして夜、目を覚ましたシズネは昔自分が住んでいた屋敷へと侵入していた。
「誰ですか」
「私です、お母様」
そして向かった先は母親の居室。シズネはシャッハに関して直談判しに来たのだ。
「ああ、ちゃんと来ましたか。ただ、お母様と呼ばないでもらいましょう。風使い如きにそのように呼ばれるのは虫唾が走ります」
いきなりの冷たい言葉にシズネは手をきつく握りしめる。
自分にはもう新しい家族がいる。そう思いながらも、やはり血のつながった母親からそんなことを言われるのはシズネには辛かった。
「あの、魔法学院のことなんですが……」
「ああ、全て私が命令でやらせました」
「それなら!」
勢い勇んで詰め寄ろうとするシズネ。
「近寄るな!」
びくりとシズネは身体を震わせた。
「あなたと長く一緒にいるつもりはありません。用件だけ伝えますから、聞き終えたらすぐに消えなさい」
シズネが自分の言葉にしっかりと頷くのを見て、母親は満足そうだった。
「要求は簡単です。この国からあなたが出ていくこと。それだけです。それでシャッハとか言ったかしら、あの子のサポートをしてあげましょう。そうね、あの孤児院の面倒も追加でみてあげましょう。ほら、十分でしょう」
この国から出ていく。
それはつまり孤児院のみんなとも離れるという事だ。
シズネは強く睨みつける。
「わかった。だから、約束は守って」
迷うことなくシズネは自分よりも孤児院のみんなの生活を選んだ。
着の身着のままでシズネは皇都を飛び出した。
早くしなければ、自分がいないことに気がついたシャッハや孤児院のみんなが探しに来てしまうかもしれない。
もし会ってしまったら、覚悟が鈍る。
シズネはフライの魔法で一気に街から離れる。
「はあ、はあ。ここまでくればもう大丈夫かな」
もう街は見えない。
「また、一人か……」
ぽつりと出たシズネの言葉はただ風に流されていくだけのはずだった。
「ふむ、そうでもないぞ」
「だ、誰?」
いつの間にか、そこには一人の老人がいた。
「試験場でお主を見とったものだ。お主の魔法が面白くての。気になったからつけておったのじゃ。のう、お主、風の精霊から加護を受け取るじゃろ。それも上級の」
「どうしてそれを!」
誰にも言ってない事を急に現れた老人に言い当てられ、驚愕するとともに十歳とは思えぬ判断の速さでシズネは魔法を発動した。
「精霊に希う。水滴百、固まり、飛べ。ショット」
発動したのはショット。空中に突如現れた小さな水の玉が、老人目がけて飛んでいく。一発の威力は弱いが、数を多く出し面の攻撃であるため避けづらく、何発も喰らえば動けなくなる。非殺傷の魔法としては使い勝手の良いものだ。
しかし、その水滴は老人の前で軌道が逸れ、一発もかする事さえなかった。
そして驚くシズネに、老人は楽しそうに声を掛けた。
「わしの弟子にならんか?」
これがシズネと、風魔法の権威にして異端、ウィン・フーリューとの出会いだった。
シズネの過去終了。
「あれ、師匠との話は!」
「あんな爺の話はしない」
俺のツッコミはシズネにバッサリと切り捨てられるのだった。
師匠とシズネのことは二人が再会した時にやるつもりです。




