巨亀の首の上で剣を振るう
下手に体を動かしたら落ちるかもしれない。
その恐怖に耐えながら、シズネの魔法によって俺たちは巨亀の近くまでやって来た。
ある程度近づいてしまえば、全体像が分からなくなるせいで本当にただの山にしか見えない。
「巨亀……攻撃してこないな」
何の遮蔽物もない空中を飛んで近づいているというのに、まったく巨亀がこちらを攻撃してくる様子がないのは何でだ?
運よく見つからなかったってわけじゃないよな。
「ああもう。耳元でしゃべらないでよ。それに近づかないで」
「いや、近づかなかったら落ちるだろ」
「だから嫌だったのよ。あんただけ飛ばす方法を思いついていたら……」
さっきの飛ぶ前の間にそんなこと考えてたのかよ……。
可愛い顔して考えることがえげつないです、シズネさん。
「それで、何で巨亀が攻撃してこないかだったかしら」
ああ、一応質問には答えてくれるらしい。
本当にそういう所良い奴だ。
「シズネって、本当に可愛い奴だよな」
あ、やべ。声に出しちまった。しかも、内容のグレードを上げて。
杖が飛んでくる!
さっと片手で頭を、もう一方で腹部を守る。
……あれ?
つぶっていた眼を開いて、シズネを見ると何故か顔を赤くして震えていた。
「え、か、可愛いとか、その私が? そんなことはと、当然だし、だ、だからって嬉しくないってわけじゃないのよ。だけど、あの……」
ぶん、と遅れて杖が振るわれた。
「ごほん。あの巨亀に攻撃されてくれない理由だけど」
二回目になる説明前の前振り。
流石にもう一回叩かれる気はないので、ここは一言もしゃべりません。
つーか、まだ殴られた頭が痛い!
その上、何故か操作をミスったシズネによる、いきなりのフリーフォールのせいで、まだ気持ちが悪い。
正直話したら吐きそう。
何でシズネは無事なんだろ。
「要は簡単よ。あいつにとって私たちは敵でもなんでもないから。五月蠅い蚊ほどにも思ってないでしょうね」
それは少し悔しそうなニュアンスを含んだ言葉だった。
まだ信じられないが、シズネはどうも高ランク冒険者らしいしな。
そう感じてもしょうがないだろう。
不安な女の子には、安心させるようなことを言ってやらないとな。
「気にすんな。シズネの代わりに俺があいつを倒してやる。今の状況はつまり敵が油断してくれているってことだろ。前向きに行こうぜ」
何も言わず振り向いて、シズネはこっちを見た。
うっ、と何故か気圧される。
「何だよ、その胡散臭い者を見る目は」
こっちは心配して声をかけてやったっていうのに。
「前向きなことは悪いことじゃないわ。でも、戦いに生きるものはそれだけじゃダメ」
そう説教くさいことを言って、シズネは前を向いてしまった。
話しかけてくるなというオーラがビシビシ伝わってくる。
それにしても、何を言いたかったんだ?
「……前向きと楽観視は違うのよ、サトル」
また何か言ったようだけど、俺には聞こえなかった。
そして遂に巨亀の首に到着した。
何とか墜落死という不名誉な死を迎えることなく。
広い。
降り立った俺が最初にまず思ったのはそれだった。
「いや、確かにあの図体なわけだから、首の部分がデカいのは予想できたわけだけど……それにしたって、でかいな。運動会とか開けるんじゃないか」
「うんど……? それは良くわかんないけど、想像以上に広いってのには同意するわ」
シズネは目を細めて首の端の方を見ている。
ここからだと本当に遠く感じられる。巨亀が動き出した時に落ちない様に、一応首の真ん中あたりに降りたけど、その心配はいらなそうだ。
普通に地面に立っているみたいな安心を感じるよ。
「それじゃ、首と体の接合部分を探しに行きますか」
「そうね。多分、体の方に近づいていけば見つけられるでしょう」
その方向へ歩いた。歩いて、途中から走った。
み、見つかった!
かなり走らされたぞ。どんだけ首長いんだよ。しかもカーブを描いているせいか、微妙に下り坂で走りにくいことこの上ない。
「あら、見つかったわね」
空中から声がかけられた。
もちろん、魔法で空を飛ぶとかいうずるをしたシズネだ。
まさしく高みの見物しやがって。
「飛ぶなら飛ぶで俺も一緒に運んでくれりゃいいのに」
「嫌よ。何で私がそんなことしないといけないのよ。自分の足で走れるんだから、それぐらい頑張りなさい」
どんどんツンが厳しくなっていないか?
ああ、アルトだったらもっと優しくしてくれるのに。
今頃は大丈夫かな。アルトの側にはルンカーさん達もいるし、何とかなっているだろうと思うけど。心配だ。
現実逃避しながら、しゃがみこんで地面を見る。
「まだここだけピンクで、肉がはみ出ているって感じだな。鱗がないだけでもよかった」
何故か空を飛んだまま、シズネもそこを覗き込んだ。
「そうね。剣聖が倒した時にはなかった弱点、いえ、剣聖が作った弱点というところかしら。ここを狙うっていうのは間違いじゃなかったみたいね」
シズネのお墨つきも出たし、ここはいっちょ俺の力をこのツンな魔法少女に見せつけてやりますか。
「今から俺がこの首叩っ斬ってやるから、シズネはその高いところから目ん玉かっぽじってよく見てな」
わざわざ俺の目の前で肩をすくめてから、シズネの奴上に昇っていきやがった。
はいはい、みたいな呆れた顔されれば、お前の考えていること分かるんだからな。
馬鹿にしやがって……。
『グリフィス製魔導書試作品№26 アルサイムの貯蔵庫』(本気だから省略はなしだ!)を頭の中に展開。
目の前にというか頭の裏に一気に流れる貯蔵された物の名称。そこから一つを検索し、選択する。
この辺は本を頭から取り出す時と似た感覚だから、意外とすぐにできるようになった。
今もスムーズにできている。
「さあ、現れろ。この前鍛冶屋で買った鉄の剣!」
俺の手にすっと、鉄の剣が現れて握られていた。
「おお~、思ったよりも地味」
馬鹿にしたような感嘆の声と、パチパチという気のない拍手が響いた。
そんなことをやるのはこの場に一人しかいない。俺は浮いているシズネをじっと睨んでおいた。
俺だって地味かなとは思ってるんだよ。
だけどよ。『アルサイムの貯蔵庫』からの取り出しに関しては、分かりやすく魔法陣が出たりとか、光ってみたりとか、剣の柄の方から徐々に出現するとかそういうのがないんだよ。
いろんなものを詰め込んで置くだけの本にそんなことを期待するな!
いや、俺の掛け声が間が抜けているのもあるか。
やっぱりどこかで考えないとな……。
「てっ、そんなこと考えてる場合じゃなかった」
咳を一つして、気を取り直す。
俺のかっこいい場面はここじゃない。
「これからだ。よく見ておけよ」
「言われなくても見てるわよ」
『アルサイムの貯蔵庫』の展開を止め、次に展開するのは『剣聖アルゴウスの大冒険〈中』だ。
この時は頭の中でページをめくるイメージ。
そして該当ページを見開きにする。
見つけたら今度はそれを映像に転換する。
ガガガ
片手で剣を上段に構える。
ガガガ
ノイズが走った。後はそのまま、そこに見えた剣聖に体をゆだねる。
「我の身に剣聖よ宿れっ!」
この掛け声も微妙だな。
そんな俺の思考を押し流すように、再度強くノイズとともに剣聖の姿が脳裏に映る。
ガガガ
首の端から跳び下りるようにして、首に対して全力で剣を振るう。
ガガガ
一度で足りないなら二度。
ガガガ
それでも足りないなら更にもう一度。
ガガガ
いつ剣を振り上げ、いつ剣を振り下ろしたのかわからない。
ガガガ
一瞬の剣閃に万の剣撃を重ねる。
ガガガ
その映像の剣聖に体を重ねる様にして、剣を振るう。
自分の意思は消して、ただ剣に体をゆだねるようにして斬る。
その感覚は以前に行った時と同じ、いやそれ以上に近づいていた。
斬った。
俺は確信した。
ばしんっ!
「え……?」
鉄の剣は宙を舞った。
……巨亀の首は落ちていない。
なん……で?
腕に走った鈍い痛みにすら気付かずに、俺はぼうっと空になった手を見つめるしかできなかった。




