接敵前に勇者の自惚れ
どうやらもうみんな逃げた後らしく、閑散とした街中を俺とシズネは走っていた。
お祭りの雰囲気を残したままだから、無人の街はどこか異様だ。
「それであんた、巨亀を倒す当てはあるんでしょうね」
「もちろん。俺は剣聖の動きを真似できるんだぞ」
落ち着いて考えてみれば、あの巨亀を俺が恐れる理由なんかない。
だってあの本に剣聖が巨亀を倒したシーンが書かれているんだ、俺はそこをなぞってやればいい。
ふっふっふ。
こんな簡単なことで勇者とかもてはやされるようになると思うと、笑いが止まらないな。
「何、急に笑い出して。気持ち悪い」
シズネの毒舌がいつにもましてきつい。
「おい、何か貶し方が直接すぎないか」
「アルトの前じゃないし、これぐらいで……十分よっ!」
店と店の間の路地から出ていたコボルトの一種を、シズネは話しながら容赦なく空気の弾丸で射抜いた。
俺も時折剣で敵を斬り殺している。最初は怖かったが、もう慣れたものだった。
「そんなことより、本当にあんたにそれが出来るの。失敗したりとかは考えないのかしら。いざという時のことも考えておきなさいよ」
「何、心配してくれてる?」
おっ、これはまさかのフラグが立ったか。
俺はアルト一筋だけどな。
「変なこと言ってんじゃないわよ。あんたが死のうがそれはあんたの責任よ。だけどあんたはアルトに帰ってくると言った。アルトを泣かせるようなことは私が許さないってだけ」
シズネは一瞬こっちを見て睨みつけたかと思うと、周囲に群がっていたオーガどもを吹き飛ばした。
今まで魔法のほとんどが無詠唱。どれだけ強いんだこいつ。
なんにしてもこんな強い奴が仲間だと言うのは心強い。それに一緒にいた時間はあまり多くないが、シズネがアルトのことを大切に思ってくれていることも確かだった。
それは、俺にとっても嬉しいことだった。
街の中心部を抜け、剣聖街を抜けて、元々山が鎮座していた場所までやって来た。
いくら最近鍛えていたと言っても、いくらなんでもずっと全力疾走は疲れた。
何でシズネはあれだけ早く走って、息も切らしてないんだ。
じっと見つめてやると、さっと目を逸らされた。何か隠しごとをしているに違いない。
「何で……お前は……息……」
荒い呼吸の中でそれだけ言うと、シズネも気付いたらしい。
一言。魔法と言いやがった。
よくライトノベルかなんかであるような肉体強化系の魔法のようだ。
「つまり、ドーピングしてやがったんだな」
ずるい。その一言に尽きる。
「はあ、かよわい女子に何言ってんのよ。それに私は頭脳職の魔法使い。あんた筋肉職の剣士(仮)でしょうが」
「何だよ、筋肉職って。それに(仮)もいらないだろうが。まして俺も本の知識使って戦うんだから頭脳職だろうが」
「はい、どうどう。とりあえず目の前に巨亀がいるけど、どうするの」
興奮する俺を手で制して、急に真面目になる。
くそっ、馬鹿にされてる。
だけど、確かにこんなことをしている場合じゃない。さっさと倒さねえと。
「それならフライの魔法であそこに連れて行ってほしんだ」
「あそこ?」
不思議そうに俺が指さした方向をシズネは見た。
俺が指さした場所は巨亀の首の上。
「剣聖になって、もう一回首を斬りおとしてやる」
もう頭には『剣聖アルゴウスの大冒険〈中〉』がスタンバイされている。
今日も何度か使っているためか、どんどん本へのアクセスがしやすくなっている気がする。前ほど雑音は聞こえなくなったし。
「それにしても本当にデカいな」
巨亀との距離はまだあるのだが、それでもずっと見上げている首が痛くなりそうだ。
ちらっとシズネの方を見る。
どうもフライで首のところまで飛べるかどうかを考えているらしい。
山の頂上、つまりは甲羅のてっぺんはかなりの高さのところにあるが、巨亀の首自体はそれほど高い位置にはない。それでも二人も飛ばして、さらには巨亀からの妨害の可能性も考えると色々と思案することもあるんだろう。
正直、暇だった。
だから巨亀を観察してみる。
まずその大きさだが、高さはスカイツリーよりも高いぐらいか? 目算だから大まかにしか分からないけど。幅はちょっとした町ぐらいはあるのではなかろうか。
甲羅の部分には木が鬱蒼と茂っている。
その巨体を支える四本の足はどれもが太い。ここから見てもその頑丈さは見て取れる。デカい敵はまず足から、それも関節部分というのがお約束だが、それも効果が薄そうだ。
「となると、やっぱり首だよな」
動き出したばかりでエネルギーが足りないのか、巨亀の首は一身に地面を咀嚼している。大きな口は家一軒丸ごと呑みこめそうなほどだ。ただ一つ違和感があるとすれば、首の付け根辺りに見られる傷跡。それもどうやら首の周りをぐるりと一周しているようだ。
「あそこが剣聖が斬った場所……」
此処から見てもその異様さが分かる。
剣一本であの首を斬りおとした? 剣聖というのは本当に化け物みたいな強さだったようだ。
でも、今その力は俺のものだ。俺にも同じことができる。
気分が、かっか、かっかと燃え上がっていくぜ。
「待たせたわね。サトル行くわよ」
どうやらやっと終えたらしい。シズネが話しかけてきた。
「おう、俺は準備万端だ」
何故か、シズネは一瞬俺を睨んだ。何か悩んでいるようにも見える。
「おい、どうし……」
「緊急事態だし。しょうがないわ。近くにいないと、落ちるわよ」
嫌そうにそう言って、俺にもたれかかるように肩を寄せてきた。嫌なそぶりを見せながら、体を引っ付けてくる。まさしくツン……げふっ!
「何か変なこと考えたでしょう」
エルボーが鳩尾に。息が吐きだされて、声も出せない。
悶絶する俺を無視して、シズネの詠唱が始まる。
「我、智の精霊リオ・シェンフィードに願い奉る。風を硬き球にし、我らを包み外界を阻み、空を飛ぶ高速の翼と為せ。フライ!」
その詠唱が唱え終えられた瞬間、俺を連れてシズネは空に飛びあがった。
風の抵抗があるかと思ったが、全くなかった。外界を阻むというのはこのために必要な文言だったのだろう。
「おー、すごいな。速いし高い。この調子であそこまで連れて行ってくれ」
と言った途端、バランスが崩れて落ちそうになった。
「あまり、はしゃがないで。人を運んでの高空高速移動はしたことがないのよ」
シズネの声が切羽詰まっていたので、俺はピタッと動きを止める。
「これ……落ちないよな」
まさか、とシズネにそっと聞く。
「運が良ければね」
やばい。
巨亀の前にシズネに殺されるかも。
冷や汗が、たらりと流れた。




