巨亀の下へ
俺たちは何も言えず巨亀を見上げていた。
他に気付いた者たちも茫然とした様子は変わらない。
駄目だ。このままじゃ危険すぎる。
くそっ!
こういう時に頼れるのは誰だ。
戦力になりそうなのはルンカーさんに、隣にいる自称大魔法使いのシズネぐらいか?
いや、元々あいつは剣聖でぎりぎり倒せたような奴だぞ。今この街にいる奴だけで倒せるとは限らない。
それならすぐにでも一座に戻って逃げるべきか?
いやあんなデカいのから逃げられるわけがない。
じゃあ、戦うしか。
だからどう戦えばいいんだよ。
どうすれば……っ。
「サトルさん、落ち着いてください。ゆっくり考えてください。あなたは勇者様です」
「アルト……」
思考のループに入り込んでいた俺を元に戻したのはアルトだった。
「ありがとう、アルト。ちょっとテンパっちまったみたいだ」
「はい」
アルトの笑顔に癒される。
よし現状は変化なし。だけど俺の頭は冷静。
まずいま必要なのは情報だ。あいつについて知っていそうなのは……。
ティア! 聞いているなら答えてくれ。あいつはどうやっ――
『何よ~。読書~中~。またに~して~』
「お願いだ、話を聞いてくれ。今大変なんだ」
急に叫んだ俺に対して周りの奴らがぎょっとしていたけど、そんなこと気にしていられない。
『ん~? あら~起きちゃったんだ~。あの亀~』
「やっぱり何か知っているのか。何で今になってあの巨亀が蘇ったんだ」
茫然状態から解放され逃げ始めた群衆から逃れる様に、建物の方に体を寄せる。
アルトだけでなく、シズネまでついてきた。逃げるように手で示すが、首を横に振られた。
まあ、いいか。一緒にいて困ることはないだろう。
『あなた~あの~本を~外に~出したでしょ~』
間延びしたティアの声はイライラを助長するが、聞かない訳にはいかない。これがこの状況を覆すのに必要かもしれないからだ。
「あの本? あっ、『剣聖アルゴウスの大冒険〈中〉』か! 」
『せ~い~か~い』
怠惰女神の答えは最悪の事実を教えてくれただけだった。
「だけど何で。あの本にそんな力があるのか」
『あれは~巨亀の~甲羅の~一部って~言ったよね~。要は~あの巨亀の~核~?』
「核ってなんだ」
呟きを聞いて答えを返したのはシズネだった。
「核ってのはモンスターが持つ弱点のことね。そこには魔力が籠っていることも多くて、かなり高額で取引される場合もあるわね。ただし核を取れるモンスターなんてかなりレアだけど。それが現状と何の関係があるの?」
シズネが訝しむのも分かるけど、俺には何となく筋が見えた気がした。
仮定だが、剣聖は巨亀から核を切り取ることで再生を抑止、つまりは封印してたんじゃないか。それを俺がすぐ近くで表に出したもんだから、共鳴とかそんな理由で巨亀が蘇る一助になったとか。
それなら巨亀が全然動いたりしないのも理解できる。
まだあいつは万全じゃないんだ。
ぴ~んぽ~ん。
頭の中で鐘がなった。ティアがどうやら正解と言いたいらしい。
言葉しゃべる事すら億劫なのかよ。
ツッコミに力使ってられないってのに。
『頑張ってね、勇者。救えるのは、あなただけよ』
「えっ」
聞き間違いか?
あのティアがこんな流暢にしゃべるだと!
驚いている間に、俺とティアをつないでいた何かが無くなったのを感じた。
「どうでしたか、サトルさん。女神様は何と」
交信が終わったのを察したのか、アルトが真剣な顔で聞いてくる。
アルトに俺は大丈夫だと頷いてみせた。
「シズネ、これ以上は――」
「あんた。ここまで来て私を仲間外れにするき。こんな面白そうなこと見逃せるわけないし、どうせ冒険者登録してる私は強制参加させられるでしょうから。情報は多い方がいいのよ」
シズネも真面目な顔だ。
駄目だと言っても聞きそうにない。
なんで俺の周りの女ってのはこういうのばかりなんだろう。
「聞いた事は他言無用だ」
そう断ってから話し始めた。
まず女神の加護のこと、勇者であること(アルトの誤解なんだけど)、そして与えられたチートのこと、そして俺のせいで今回の事件が起きたこと。
話し終えるまでシズネは一言も言わなかった。黙って聞いている。
「分かったわ。それじゃ自称勇者の痛い奴。これからどうするつもりよ」
「サトルさんは本物の勇者様です。いくらシズネさんとは言え許しませんよ」
耳を逆立てるアルトを珍しそうに見ながら、シズネがごめんごめんと謝る。
俺の方にも謝ってもらえるかな。自称勇者はまだしも、痛い奴って言う必要なかったよね。
「にしても、よくこんな話信じたな。俺は嘘つきと言われる覚悟をしてたのに、無駄になった」
「まあ、お前だけなら妄言ですましたかも。でもアルトが嘘をついているようには見えないし、何もないところから本を取り出すとこまで見せられたんじゃね」
まあ、分かってもらったのは良かった。こんなところで時間をかけていられない。
ぴくっとアルトの耳が動いた。
「何でっ! サトルさん、モンスターです。こんなに近づくまで気付かないなんて」
その言葉と同時に悲鳴が聞こえた。
すぐさま周りを見渡すと無駄に筋肉付けた緑色の大男みたいな奴が暴れている。
ただ人を襲うというのとは、少し行動が違うように見える。
いや、そんなことより街中に急に現れた方法の方がヤバい。
「おい、街中にモンスターがいるぞ。どうなってる」
こういう時はシズネが一番よく知ってそうだ。冒険者らしいし。
「知らないわよ。こんなこと初めて。街の中心に急に現れるなんて……」
くそっ!
シズネが分からないんじゃしょうがない。というか考える前にあのモンスターをどうにかしないと。
「アルト」
「はい」
『アルサイムの貯蔵庫』からよく研がれた短剣を取り出すとアルトに渡す。
自分の分の長剣も取り出す。
ってアルト速ぇ! 逃げ惑う群衆の中でもう接敵してやがる。
「ほら、あんたも行くわよ。いくらなんでもオーガ相手に一人じゃ危ないわ」
「おお、分かった」
あれがオーガか。ゲームとかじゃそれなりに強い奴だよな。
アルト、無茶すんなよ。
そこだけ空白地帯のようになったアルトとオーガのいる場所に向かう。
そこにはボロボロの……オーガが一匹いた。
アルトはその速さを活かして完全にオーガを翻弄していた。
「うがっ」
大振りに振られたオーガの筋肉隆々な右腕は、先までアルトがいた空間を削るだけで終わった。
いつのまにか懐に踏み込んでいたアルトが、首筋を短剣で傷つける。
「これで終わりです」
血が噴き出てオーガはばったりと倒れた。
「この前の時もそうだけど、流石に上級精霊の加護持ち。自称勇者とは違うわね」
五月蠅いよ。俺にアルトが過ぎた存在だってのは同意するけど。
「大丈夫か、アルト。怪我はないか」
「はい、頑丈でしたけど、遅かったので」
「よかった、でも次からは一人で跳び出すなよ」
頭を優しくなでてやった。
それにしても俺とアルトの成長率は異常だ。いくらBランク冒険者だったルンカーさんに教えてもらっているからってこうも簡単に強くなれるものなのか?
与えたのはあの怠惰女神だとしても、加護の方は働き者なのかもしれないな。
「はいはい。あんたたち、まだまだ数いるからイチャイチャしてないの」
「まだ……って、おい。さっきまでこんなにもいなかったよな」
オーガが赤やら青やらの色違い含めて十匹。
「どうやら召喚されているみたいね。多分やってるのはあのデカブツでしょうから、あっちを倒さない限りモンスターどもはなくならないわね。魔力切れとかも無いでしょうし」
とシズネが解説を入れている間にまた一匹増えた。
「しょうがない。とりあえずここにいる奴を少し片付けよう。それから一座のところに行こう。まずは皆の様子を確かめたい」
俺の意見に二人は頷いた。
「いくぞ」
掛け声いれて、目の前の赤オーガに突っ込む。
頭の中を切り替える。選択するのは『剣聖アルゴウスの大冒険』。そこからちょうどオーガと闘っているシーンを再現する。
ガガガ。
頭の中に映像がよぎった。
「うがっ」
色は違うがどうやらアルトに倒されたオーガと然程変わらないようだ。初撃は上から下への振りおろし。
凄まじい力が宿っているのが分かる。
デカい。
さっきまでアルトが闘っていたやつより大きいんじゃないか。
逃げるべきなんじゃ、って違う。
止まりそうになる足に叱咤をかける。
「アルトの前で無様な様は見せない」
そうだ。俺ならやれる。
スイッチが入ったような感覚がした。
映像で見える剣聖と自分の姿が重なる。
直撃コースを描く赤オーガの拳を見ながら、俺は突っ込んだ体のまま一歩下がった。
「うがっ?」
不思議そうな声を上げる赤オーガの腕に剣を振り下ろす。これで一本。
さらに振り上げるようにし、首っ!
二振り目の斬撃は過たず首を断ち切った。
「はあ、はあ、はあ」
殺ったのか、俺が。
腕には確かな感触残ってる。何回もやりたいことじゃないな。
って、他の奴らはどうなったんだ。
救援に行かないと、と周りを見渡してもオーガ達の姿はどこにもない。
「ほら、あんた。一人倒したぐらいでぼっとしてんじゃないわよ。もう他のは私が魔法で一掃したから」
「すごかったです。びゅうと竜巻が出来たかと思うと、全て倒してしまいました」
「へー、本当にすごかったんだな、お前」
いや、完全に中二病的なそれに罹患した自称大魔法使いとか思ってたよ。ごめん。
心の中の言葉は聞こえてないからな。
シズネが褒められたと思って照れてみせる。
うん。本当のところは言わない方がお互いの為だ。
にしても、俺の一匹を倒すための覚悟とか、初めての殺した感触とか、そういう所を全部持っていくほどの活躍止めてくれないかな。
ますますアルトが離れていく気がする。
「おお、ちょうどいいところにましたね。サトルにアルト」
俺が嫉妬に塗れつつ、さてこれからどう一座のところに戻るかと考えてたところに声をかけられた。
抜身の剣を真っ赤に染めて登場したのはルンカーさんだ。
うん、めっちゃ怖い。
「宣伝に出した君たち以外はもう集まっています。意外と私達みたいなところには元冒険者が多いですからね、現状小規模の一座と連帯を組んでモンスターを抑えています。早く合流しましょう」
どうやらわざわざ俺達を探しに来てくれたらしい。
ルンカーさんが来れるという事は、それなりに一座の下は安全なようだ。
それなら、
「ルンカーさん、アルトをお願いします」
「サトルさんっ!」
アルトが驚きの声を上げた。
ルンカーさんはそれだけで何かを察したのか、何も言わずに頷いた。
「分かりました。そちらの御嬢さんはどうしますか。どうやら魔法使いのようですし、ついてきていただけると助かりますが」
シズネは一瞬俺の方を見ると、ため息をついた。
どういう意味だこら。
「こいつが馬鹿しそうだから、見張るわ」
どうやらついてくる気らしい。俺に止める権利はない。
しかし、一番抵抗したのはやっぱりアルトだった。
「私も、私もサトルさんの隣で戦います。連れて行ってください」
全身の毛を逆立てて、今にも跳びかからんという有様である。
でも、ごめんな。
俺はお前を危ない目に遭わせたくはないんだ。
「アルト、お前は一座の方を護ってくれ。俺はあのデカブツを起こした償いをしなきゃならない」
自分の責任位、自分でどうにかしないと男がすたるからな。
もっと駄々をこねるかと思ったが、アルトは意外とすんなり身を引いた。
俺の方が驚くほどに。
「分かりました。まだ私じゃ勇者様の隣には立てない。でも、サトルさんが帰る場所位は護れます」
ああ、馬鹿だな。
何が簡単に身を引いただ。
声は震えているし、無意識に伸ばした爪で手の平から血が流れている。
本当に無理しかさせてないな。
「ありがとうな」
優しく俺はアルトの頭を撫でた。
「それじゃ、ちょっとあの巨亀の首を斬りおとしてくるわ」
「はい、御武運を」
アルトの声を背後に聞いて、俺とシズネは巨亀のいる方角を目指した。




