「剣聖と巨亀」開幕
舞台の裾に行くとニッカのまだ変声期前の声が聞こえていた。
俺が登場するのはキルカとの出会いのシーンからだ。それまでの幼少期の頃を担当しているのはニッカだ。これが腕白ないたずら坊主なんだが、興行となると人一倍真剣になる。
「ちゃんとできてるのか、あの餓鬼は」
心配になってちらっと見ると、舞台の前には人がずらりと並んでいる。ニッカはそれに臆することなく演技を続けていた。
「大丈夫ですか。顔が青ざめてますよ」
「ははは、大丈夫、大丈夫」
アルトに心配かけるわけにはいかないな。ここはどしっと構えないと。
人なんか全部かぼちゃと思えばいいんだ。そうかぼちゃ。手に三回かぼちゃと書いて呑みこめば……。
ぽん。
「おい、足震えてんぞ」
背後から肩を叩かれた。
「わっ……むぐっ」
「おい、叫ぶな。客に聞こえちまうだろ」
叫ぼうとした俺の口はしっかりと背後から抑えられていた。
俺は驚かせてきたギルの手を払う。
「叫ばせたのはお前だろ、ギル。つーか誰のせいでこんな役目になったと思ってる」
何度も謝られたからといって、そんなに簡単に許せるものでもない。
が、へらへらと笑ってるギルの顔を見ると、怒りも失せる。
「それで、何の用だよ」
「いや、別に。俺の代役様がちゃんとできるか確認しに来ただけだ。まあ、……この様子なら大丈夫だな」
俺をじっと見つめてから、ギルは一つ頷いてみせた。
良い奴なんだが、何だか分からない奴でもある。
「アルトの嬢ちゃんにかっこいいところ見せてやれよ」
最後にそれだけ言い残してギルはどこかに行きやがった。
「何しに来たんだか」
「サトルさん、緊張はほぐれたみたいですね」
ギルさんもたまにはいいところがありますね、とアルトは笑った。そして自分の番だからと暗転に合わせて準備する。
俺もすぐに出なくてはいけない。
「ギルのおかげで緊張はほぐれた……か。意外と気にしてんのかね、あいつも」
今頃どこかでギルがくしゃみでもしているかもしれないが、そんなことは関係ない。
「後で絶対何か奢らせてやる」
ただまあ、それほど高いものじゃなくても許してやろう。
さあ、舞台に一歩を踏み出す。
そこにはもうアルトがいるのだ。無様な様は見せられない。
「ひょろりとした男には興味がねぇ。もっとムキムキに強くなって出直しな」
剣聖役の俺が赤獅子のキルカは入るか、と尋ねるところから劇は進む。キルカ役のアルトがその可愛い容姿と声で精一杯に荒くれ者を演じて、大きく見栄を張って言い放つ。
「おい、あんなかわいい子が赤獅子かい」
「大胆だねぇ。今までにはなかったよ」
よし、つかみは成功だ。メリデューラさんが言っていたように、新しい見せ方に観客も興味津々だ。
「確かに俺はムキムキじゃないがな。女のくせに『赤獅子』とかおだてあげられてる馬鹿よりは強いぜ」
は、恥ずかしい。
それでも噛まずにいうことが出来た。
ここからは簡単な掛け合い。最初の山場はもうすぐだ。
俺とアルトが武器を取って構える。
剣聖が自分自身の傲慢さに気がついたというキルカとの戦いの部分である。
打ち合わせは全くしていない。他を合わせるだけで精一杯だった。
決まっているのはアルトの方から打ち込むということだけ。
俺はそれらしく作られた模造剣を両手で握り、アルトは猛獣の爪の様なこれまた模造武器を構える。
やることはルンカーさんの指導の下やっていた組手と一緒。武器が違うだけ。
(ただし、俺は苦戦をしながら最後は左手を差し出して勝たなくちゃいけない上に、劇の時間上時間は三分。きつい条件だが……)
やるしかない。
緊張感を高めるためにわざと音楽を止めた無音の中に、開始の音が鳴らされた。
「ふっ」
息を吐き出すしたアルトが一気に詰めよってくる。
「くっ、速い」
俺は下段から迫ってくる爪を剣で弾く。もう一方の腕が来る前に蹴り飛ばそうとするが、アルトはすぐ察知して跳んで避けた。
俺を跳び越えたアルトが背後から攻撃してくるのを避けるため、無様に奈R無い程度に前に倒れ込んで距離を取る。
こっちが剣を一回振る間に攻撃三回とかえげつなさすぎる。
苦戦している様を見せなくてはいけないから、最後避けきれなかった回し蹴りのはいった脇腹を押さえてみせる。
こんな状況だと観客の声も聞こえない。他の演劇では見ることが出来ないだろう本気バトルにうるさく何か言っているはずなのに。いや、見入っていて一言もしゃべらないというのもあり得るのか。
でもまあ、今は前の相手に集中だ。
「その程度か、ひょうろひょろ」
アルトがキルカの口調で挑発してくる。怖そうに見せようとしているアルトも可愛い。
俺も言い返す。
「そのひょろひょろにお前は負けるのだがな」
今度は俺から行く。
剣を上段に構えて突っ込む。力押しでぶち抜く。それがこの時の剣聖に近いと思うから。
舞台中央で見えない火花が散った。
そして時間は迫る。
両者互いにクリーンヒットなし。互角の状態だ。
俺はここで初めて下段に構える。あの本に書かれていることをなぞるように。
ガガガ
……が脱力する形で……体を倒し……
ガガガ
……大剣を跳ね上げよう……
ガガガ
頭に流れるその映像に従って、無意識に体が動き出す。
一気に脱力。鼻が地面につくのではないかというほどに。その体勢から今度は急激に浮き上がる。両手で握った剣が下から上へと振りぬかれる。
今までと違う俺の動きにアルトは一瞬体が硬直するものの、瞬時に体を剣の軌道から外すように半身になった。そして俺目がけて鉤爪を振りぬく。
まるで分っていたかのように、剣から左手を外してアルトの攻撃を受け止める。
振り上げられた剣は軌道を変えてアルトに迫る。
そして首筋に触れる間際で剣が止まった。
きっかり三分だった。
「ありがとう、君のおかげで慢心を知れた。この世界にはもっと強いものがいる。君を侮辱したこと謝らせてくれ」
そして台本に決められていたように決め台詞を言い放った。
これで拍手喝采間違いなし。
のはずが、誰も何も言わない。
間違えたか、と周りを見渡そうとした時、
わああああああああああ。
突然客席から歓声が飛び出した。
長々と続いた劇も、気付けば剣聖と巨亀の戦いのラストシーンだ。
俺が作り上げた巨亀の頭が舞台の裾からぬっと登場する。ごつごつとした質感を出すのに苦労した。あまり重くなっても使えなくなってしまうからだ。
「さあ、巨亀よ。私の剣の前に首を垂れるがいい」
そう言い放って、剣をしっかりと掲げてみせる。
ラストにめがけて音楽も徐々に徐々に熱のこもったものになっていく。
そしてそれが最高潮に達した瞬間、俺は一気に動き出した。
うねり狂う巨亀の頭と何度も何度も剣をぶつけ合う。
「これでとどめだっ!」
片手上段に構えた剣を振りきる。
……。
沈黙が流れた。
……ゴロリ。
巨亀の首が傾いたかと思うと、ゆっくりと前に倒れて行った。
俺はその首に足をかけると、ただ無言で剣を掲げた。
そしてゆっくりと暗幕が閉まっていく。
「すごいぞ。ルトライザ一座―」
「サイコー」
「もう一回見せてくれー」
鳴り止まない拍手と共に、俺達を褒め称える声があちこちから聞こえてきた。
「お疲れ様です、サトルさん。すごくかっこよかったです」
一足先に出番を終えていたアルトがタオルと飲み物を持ってやって来た。
「ああ、アルトもすごかったぞ。飲み物もありがとうな」
やっと終わった~。
意外と始まっちまうとすぐ終わるもんだな。始まる前は終わりがない様に思えたのに。
「ほら、疲れたって顔してんじゃないよ」
背後から現れたメリデューラさんが丸めた台本で頭を叩いてきた。
キセルじゃないだけましか、なんて思っている場合じゃない。
「もう終わったんだから休ませてくださいよ~」
「まだ最後の顔出しがあるだろ。あんたも一応は主役なんだ。真ん中でしっかりとあいさつしてきな」
逃げ出したい。
そう思ってアルトを見たけど、ふふふと笑われてしまった。
「はあ、分かりました。やりますよ。ここまできたら今更だ。挨拶だって何だってやってやる」
俺はアルトの手を握って、まだ鳴り止まない拍手の中、舞台の中心へと戻った。




