神殿にて
この伝説の街アルグスは大きく二つに分けられる。一つは魔物から護るように壁によって囲まれた普通の人が暮らす一般街(俺達がさっきまでいたのはそこだ)。俺がこういった街を見るのは初めてだから比べようもないが、かなり大きいように思う。
「これでも王都なんかと比べたら小さいものよ。それに今はお祭りシーズンで人も多いけど、普段はもっと少し静かよ」
とはシズネの言葉である。
そしてもう一つは、
「アルグスに来たら一度は見ないといけない場所がここ。かの剣聖アルゴウスが闘って倒し、今は神殿が管理する巨亀である御山を祀った場所よ。剣聖街と呼ばれているわね」
「「おお~」」
アルトと俺の感嘆の声が重なった。
そこは一般街よりも奥に位置し、山を除けば広さはそれほどない。しかしそこに並んでいる建物の派手さは比べようもない。見た目からして教会らしいのだが、赤や金など派手な色で装飾されている。使われている色自体は目に痛い感じではなく、落ち着いた雰囲気なのだが、イメージしていたものとは真逆だった。
「……こんなに派手でいいのか」
呟いた声は聞こえなかったらしい。シズネは説明を再開した。
「ここにあるのは聖人認定されている剣聖アルゴウスを祀る教会や、加護を与える神殿、参礼者用の宿泊施設ね。今はお祭りの準備中で入場制限がかかっているけど、奥には御山があってその前には大広場があるわ。普段は子供たちのいい遊び場ね。やっぱり今は入れないけど、斬りおとされた巨亀の首によってへこんだ大地に水が貯まってできたと言われる首池もあるわよ」
「あっ、あれはなんですか」
「あれは……」
此処に何度も来ているというのは本当らしく、まるでガイドのようにシズネは振る舞っている。アルトもそんなシズネに慣れたらしく、最初の人見知りが嘘のように仲良くなっている。
「まるで姉妹みたいだなー」
シズネの様子は妹の前でかっこつけている姉と言った雰囲気だし、アルトも自分より少しだけ上のシズネに頼っている。何とも頬の緩む光景である。
「一座には少し年上の女の子はいないからな」
ルトライザ一座は座長が女性という事もあってか女性は多い。だけどアグリエラやファーリーが俺と同じぐらいで、他はもっと上か、アルトよりも幼い。少し上ぐらいの姉役になれるような人はいなかった。
「サトルさん、置いていきますよ。向こうに巨亀饅頭と言う名物があるらしいです」
ああやってアルトが毎日笑っているのを見てられるといいなと、思ってしまうのは父性のなせる技なのか。
「分かった、今行く」
そうアルトに答えて、俺は二人を追いかけた。
土産物を扱う店を見ていた俺達だったが、その途中一際大きな建物を見つけた。
「ここが剣聖アルゴウスを祀っている場所なのか」
そう言われれば確かに大きいだけではなく、細かいところまで装飾が施されている。一目で金がかかっていると分かる。
教科書に載っているのをちらりと見た程度だが、ヨーロッパの方の教会なんかと比べても見劣りしないだろう。比べたからといって何がある訳ではないが。
「違うわよ。こっちのは神殿。あっちの小さいのが剣聖を祀る社よ。教会はまた別のところにあるわ」
どうやら違っていたらしい。
穴があったら入りたいとはこのことだ。
気を取り直して、視線をシズネの言う社の方に向ける。
……アルトが大丈夫ですよと、握った両手を胸の前に突き出して励ましの様子を見せてくるのが目に痛い。
「ボロッ!」
これは社か?
周りに比べて全く装飾されていないのに加え、石造りではなく木で作られている。シズネに言われるまでただの小屋だと思っていた。
「ぼろいって言うんじゃないわよ! これは質素って言うの。剣聖は自分を祀るとしても派手にしないでくれと言い残しているから、わざとこうなっているのよ」
「はあ、剣聖様は貧乏性だったのですね」
アルトの発言は流石に危なすぎて、俺とシズネ二人して何も言えずに周りの人たちに愛想笑いする。
「アルト、場所柄をわきまえてくれ。この場で剣聖を貶めるような発言はするな」
「ああ、ごめんなさい」
アルトが可愛く俺に謝っても、アルトの言葉を聞いた人たちの感情は変わらない。
今何を言ったという雰囲気を醸し出しながら、道行く人が足を止めてこちらを睨んでいるのだ。
「とりあえずここを離れましょうか」
「賛成。ちょっと神殿寄ってみていいか」
頷くシズネに連れられて、俺とアルトは一際目立つ建物の中にそそくさと逃げ込んだのであった。
そして今、神殿内の特殊な魔法陣を敷いた部屋に俺たちはいた。
「いいですか、アルトさん。何も考えずただ祈りを奉げてください」
「はい」
巫女の言葉に大きく首を縦に振るアルトが立っているのは、魔法陣の真ん中である。ちなみに俺とシズネは見学として、部屋の隅に立たされている。
「それでは今からあなたを加護する精霊を呼び出します。危険はありません」
「はい、頑張ります」
「頑張りますたって、アルトは何もしないだろうに」
緊張しているのが丸わかりだった。尻尾と耳がぴんと立っている。
「……それでは行きます。この者に加護を与えし精霊よ、我が祝詞に応えてそのお姿を現し下さい」
その後はっきりとは聞こえないほどの声で巫女は何事かを呟いていた。
そしてその言葉が途切れる。
「成功です。あなたには獣を司る男神様の眷属たる精霊が加護を授けてくださっているようです」
「お、重い」
呑気に解説をしている巫女だったが、アルトはそんなことを聞いていられる状況ではなかった。
俺は急なことに茫然としてしまっていた。シズネに聞く。
「なあ、俺が聞いたのはさ。精霊は小動物の形を取るって聞いてたんだけど……。あれは熊……だよな」
アルトに覆いかぶさるように出現したのは熊だった。それも子供だったり、小さいものだったりはしない。元の世界ならグリズリーとかその辺の、出会った瞬間死亡が確定する類だ。
「正確には形を取りやすい小動物が多いってだけで、大型動物にわざわざなる精霊もいるのよ。ただ私も話には聞いていたけど、これほど大きいのは見たことも聞いたことも無いわ」
そのあたり詳しそうなシズネも、天井に頭がすれすれという特大サイズの熊を見上げながら開いた口が広がらなかった。
「サトルさん、シズネさん。見ていないで助けてください」
もう潰れるという様子でこらえているアルト。しかし、小柄なアルトの体で巨体の熊を普通こらえることなんかできるはずがない。
「アルト、最初に説明を受けただろう。この魔法陣に現れる精霊は姿はあっても存在しないから重さはない。ただあるとお前が思っているから、そう感じてしまうんだ」
「そうだ。我に質量はない。しかし乗っかっているとそうもいかないか」
答えたのはアルトではなく熊だった。声音は渋いダンディな感じでどこかちぐはぐさがある。自分で言ったようにアルトの上からどいて、魔法陣の上に座った。
何故か結跏趺坐なんだが。骨格からして熊にはできない座り方だと思うんだが、どうやっているんだろう。
「アルト、こっちに来なさい。疲れたでしょう。少し座りなさい」
「はい、シズネさん。ありがとうございます」
巫女さんは何も言わずに立っているだけだから、今の状況は俺たち三人と熊が向かい合っている形となっている。座っていると熊もちょっとかわいく見えてきた。気になるのかシズネもそわそわしている。
しかしここは礼儀にのっとって、アルトに話させる。これは加護を与えたものと、与えられたものとの関係を深める儀式でもあるのだ。
「私の名前はアルトです。熊の精霊さま、お名前をお教えいただけますでしょうか」
まだ緊張しているのか声が強張っているがアルトはちゃんと言えた。もう大丈夫だろう。
熊の方もそれにちゃんと答えてくれる。見た目は怖いが悪い奴ではなさそうだ。
「我が名はウルス・テッラ。二つ名として『震転鎚』という名が与えられている」
その発言は確かにその場にいる者たちを震わせた。
「そんな上級精霊!」
巫女は呼んだ時点で分かっていたのか無表情のままだが(最初受付の時から変わらない)、シズネは先ほど以上の驚いた顔をしている。
どうしてそこまで驚くのかわからず、俺とアルトは顔を見合わせた。
「そんなに上級精霊ってのは珍しいのか? シズネだってそうなんだろ」
シズネが呆れたという表情で説明してくれる。
「いい、上級精霊なんて普通はあり得ないの。私やアルトはかなり特別なのよ。簡単に言うと百万人、いや一千万人に一人という確率よ」
もしかしたらもっとかもしれないとまで、シズネは言った。熱が入りすぎて思いっきり俺との距離を詰めてきているせいで、何だかいいにおいがする。これが女子の匂いかと思っていると、邪な思いに気付いたらしいアルトにつねられた。痛い。
「何よ、変な顔して。分かる? 小国なら多くても一人か二人。いないところだって沢山ある。大国だってそう多くは抱えていない」
「はあ、それはすごい。アルト、何だかすごいらしいぞ」
「本当ですか、サトルさん」
二人で手を取りあって喜び合う。
「そう喜んでばかりではいられないんだけど……」
意外とシズネは苦労性そうだ。良いことがあった時には素直に喜んでおけばいいと思うんだけど。
「話は終わったか」
結跏趺坐を崩さずに熊、改めウルス・テッラが口を開いた。俺たちの話が終わるまで待っていてくれたようである。
気の利く熊だ。
「申し訳ございませんでした。ウルス・テッラ様」
頭を下げるアルトに、よいよいと手を振るウルス・テッラ。見た目の迫力をかき消す可愛さがある。
アルトには負けるけどな!
そんなことを考えている俺を無視して話は進む。
「我のことはウルスと呼ぶが良い」
「はい、ウルス様」
「といってももう時間もあまりない。伝えたいことだけ言わせてもらおう」
もうそろそろ召喚していられる限界なのだろう。巫女も頷いている。
「アルトよ、お前にはこれからも試練が待つであろう。お主が抱えるそれはある精霊による加護だ。お主は自力でそれを解かなければならない」
「その精霊とはいったい……」
アルトの叫びに、ウルスは首を横に振った。
「それは教えられぬ。しかし、そこにいる者と共におればどんな苦難も乗り越えられるであろう」
ウルスは一瞬俺を見た。アルトを任すと言われたように感じて、俺は強く頷いた。
左手で震えるアルトの手を握る。
「我は死ぬ間際までお前を想っていた父母に導かれて、お主に加護を与えておる。けっしてお前の父母はお前を恨んではいない」
最後にそれだけ言い残し、ウルスはその姿を消した。
沈黙の後、アルトの呟きが俺の耳に届いた。
「お父さんもお母さんも、私のせいで死んだのに恨んでなかった。愛していてくれた」
「今ぐらい泣いていいぞ」
アルトは俺に抱き着いて泣いた。自分のせいで両親が死んだと思っていたアルトの罪悪感が消えるわけではないだろうけど、少しはこれで晴れるだろう。
「アルトは泣き虫だな。泣いてばっかりだ」
俺はゆっくりと頭を撫でてやった。




