劇の練習
アルグスの街へ向かう途中はずっと『剣聖と巨亀』の劇の練習に付きあわされた。台本は俺の頭に入っている『剣聖アルゴウスの大冒険』から抜粋する形で作った。俺が良さそうだと思う所を、上手く劇として形にしていくルンカーさんの腕には舌を巻いた。これで元Bランク冒険者でもあるっているんだから天も二物を与えたものだ。
「そういえばガイアウルフの時俺が手を出しましたけど、もしかして必要ありませんでした?」
Bランク冒険者のルンカーさんなら、一人であれぐらいは倒せたかもしれない。もしそうだったらキメ顔で乗り込んだ俺はとても恥ずかしい。
「いえ、そうでもないですよ。流石に全部を一度で攻撃することはできませんからね。もしサトルがいなければ、誰かが怪我をしていたかもしれません。もしかしたら、それ以上も。だから、いまさらですがありがとう」
真剣な顔で頭を下げるルンカーさん。
こっちは慌てるしかできない。
「いや、俺らも迷子で困ってたし。こうやって仲間に入れてもらってるし。そんな謝られるほどのことなんて」
「そうですか。それではさっさと劇の台本を作りますよ。もうあまり時間がありませんからね」
エントリー数によっては時間の変更があるらしいから、その辺も調整できるような台本にしなければいけないんだとか。
やることはこれだけではない。今回の劇は総出の大仕事だ。俺も裏方としてやることが多い。しかしそれ以上に仕事の多いのがアルトだ。そのせいで最近はすれ違いも生まれている。今日も朝から別々の仕事でまだ会話をしていない。こんなことは今までなかったから、少しさみしさを感じる。
会えるのは今でも続けている夜の剣術の練習の時だけだ。それも会話の時間はあまりとれていない。
アルト、大丈夫かな。
出来上がった後半部分の台本を劇の練習している所にいるだろうメリデューラさんに持っていくようにとルンカーさんに言われた。多分、アルトと会う時間を作ろうという配慮だろう。
本当にありがたい。
「ひょろりとした男には興味がねぇ。もっとムキムキに強くなって出直しな」
アルトの声が聞こえた。劇のセリフだと分かっていてもドキリと来る言葉だ。
腕まくりして突き出した腕は細い。毎日腹筋や腕立て伏せ何かをやっているんだけど、そう簡単に筋肉ムキムキとはいかないらしい。
「ほら、そこで自分の弱弱しさに落ち込んでないで、手に持ってるの渡しな」
劇監督をしているメリデューラさんが呼んだ。
我に返って手元の新しくできあがった後半の台本を持って駆け寄る。
「これをルンカーさんが。メリデューラさんの許可をもらって来いとのことでした」
彼女はバッと受け取って読みふけり始める。
読んでいる間は手持無沙汰なので、練習している所を見る。
アルトがその赤髪と獣人というキャラクターから、『赤獅子』キルカという重要な役どころを任されている。
アルトは見栄えがいいからどんな衣装でも似合うし、声も綺麗で舞台映えする。ヒロインという立ち位置に置かれるのも無理はないだろう。
最初の頃は台本片手にあたふたとしていたのに、ここ最近見ていないうちに慣れてきたのか、まだ台本を見ながらだけど堂々としている。可愛らしい容姿と荒っぽい口調のギャップが萌える。
「おお、なかなかやるな、『赤獅子』キルカ」
……ああ、何であの野郎が剣聖役何だよ!
ギリギリと歯ぎしりしたくなる。主人公役をやっているのはギルの野郎だ。確かに顔がいいのは間違いない。だけど、あのお調子者がアルトの隣に立つとか許せない!
闇討ちするか……。
「歯ぎしりがうるさいよ、あんた。劇の配役ぐらいでごちゃごちゃ言うじゃない。それと台本は大体良かった。悪いと思った所だけ印し付けといたから、今日中に直しときな」
「分かりました。……疑問なんですけど、普通キルカみたいな荒くれ系の役はアルトみたいな可愛い系がやる役なんですかね」
メリデューラさんも忙しくしていて話をする機会がなかったから、疑問に思っていたことを聞いてみた。
ただ疑問に思っただけで、別にアルトをギルから離したいとかいう訳ではない。
決してない。
「まあ、確かに普通はもっとかっこいい系のがやることが多い役ではあるね。だからこそ同じことやってたら駄目なんだよ。もう諦めな。夜に剣術練習しているみたいだから、補欠にはしといてあげるわよ」
ちょうど休憩入るからアルトを連れて行きな。台本は私が直接渡してくるよ。
そう言ってメリデューラさんは台本を持っていってしまった。
「サトルさん、来てたんですか」
タオルで汗を拭いていたアルトが、こっちに気付いて小走りにやってきた。
「おお、サト……もがっ」
後ろから茶化そうとして来たギルの口をタオルで押さえて、アグリエラが引きずっていった。頑張れという意味か、こちらに一つウインクをする。
「何かありましたか」
俺の視線が後ろに向いているのに気がついたのか、振り向こうとするアルト。
「いや、なんでもない。立ちっぱなしで疲れただろ。そこらで座って休憩するか」
「は、はい」
不思議そうにしてはいたけど、何とか二人きりで話す時間が持てそうだ。
ここらで欠乏していたアルト分を吸収しておかなければ。
「劇は順調か。最初は大役を任されて落ち着かなかったみたいだけど」
ここでもっと雰囲気を良くする話が出せればいいけど、そんな能力は俺にはないので無難な話しかできない。
アルトに呆れられないといいけど。
「はい、最初は元奴隷の私なんかがと、思いましたけど……」
奴隷時代のことを思い出しているのだろうか。少し浮かない顔をする。
頭を撫でてやろうか。手を伸ばそうか迷う。
迷っている間に、アルトの顔は晴れやかなものになった。
「でも、一座のみなさんはそんなこと気にする様子も無くて。今とっても楽しいです」
そう言ってから、持っている台本をぎゅっと握りしめるようにして体を縮めていたが、覚悟を決めたという雰囲気でアルトは口を開いた。
「ただ……サトルさんに会えないのが……寂しいなって……思います」
恥ずかしさの為か徐々に小さくなっていくものの、十分にその言葉は俺の耳に届いた。
「アルトー、本当にお前は可愛いな」
さっきまで迷っていた手を躊躇せずアルトの頭に乗せて、ワシワシと撫でてやる。過分に照れ隠しが入って力が強くなってしまった。
「サ、サトルさんがか、可愛いって。あれ、可愛い」
アルトはアルトで可愛いという言葉に反応して、顔を赤く染めている。
アルトが俺と同様に寂しいと思っていてくれた。ただそれだけが本当にうれしい。
しばらくの間、力は緩めて俺は撫で続けながら、二人で久々の会話を楽しんだ。
「ほら、もう休憩は終わりだよ。イチャイチャは止めて仕事にもどんな」
ルンカーさんとの台本の打ち合わせを終えて戻ってきたメリデューラさんが、俺達に声をかけてきた。
名残惜しけどまたそれぞれ表舞台と裏方とに離れ離れだ。
「髪の毛ぼさぼさにしちゃったから、アグリエラにでも直してもらいなよ。それじゃ、また今夜」
何だか俺とアルトが依存の関係になりそう。俺からしてみればこの世界に来て初めて優しくしてくれた少女で、アルトからしてみれば自分を奴隷から解放してくれた恩人。少々お互いによりかかりすぎているかもしれない。
でも今ぐらいの距離感を続けるのもいいのかな。
そんなことも思ってみたり。
「あの、もしよかったら練習前に少しでいいので台本のセリフ回しの練習に付き合ってくれませんか」
立ち上がってもう向こうに行こうという俺の背中に、何とか届くという大きさでアルトは言った。
きっと勇者である(と、アルトが信じている)俺にそんなことを頼むのはどうかとか思っているのだろう。もしかしたら俺以上にアルトは寂しかったのかもしれない。
依存関係万歳。距離感を保つなんてクソ喰らえだ!
背後ではきっと泣きそうにしている女の子がいる。ここで突き放すのは勇者でもなければ男でもない!
俺は振り返ってもう一回頭を撫でた。
「分かった。俺でいいならいくらでも付き合うよ」
「はい、サトルさんがいいんです」
そんな風に満面に笑いかけられたら、こっちも嬉しいよ。
伝説の街への旅は順調に進んだ。劇の準備も問題なく進み、俺とアルトの話す時間はどんどん減っていった。それでも何とか時間を捻出して、夜の剣術練習の前後に二人でいる時間を作った。
俺とアルトが一座に入ってからもう二月が経ったころ、いくつもの小さな村での興行をすましたルトライザ一座は伝説の街アルグスにたどり着いていた。
そしてこの街は俺にとって異世界に来て初めて見る活気あふれた大都市だった




