女神との邂逅
路地裏に飛び込んでみたら魔法陣に突っ込んだということを思い返してみても、結局何が起きたのかは分からない。しかし、考えたくないが唯一答えとなりそうなのは。
「これって……異世界召喚?」
『せいか~い』
「誰だっ!」
周りには誰もいなかったはずと思って周囲を見渡すが、やはりいない。しかし確かに間延びしたような女の声が聞こえた。
「そ、空耳?」
やばい、こんな世界に飛ばされたってだけで相当頭が混乱してるのに、幻聴も聞こえるとか詰んでるぞ。
『空耳じゃないよ~』
またけだるげな雰囲気の女性の声が聞こえた。いや、耳に聞こえてくるとは違うのか。頭の中に響いてきているというのが正しいかもしれない。
つまりはテレパシーということなのか。まあ、どうやら魔法が存在する世界らしいから、テレパシーがあってもおかしくはないんだろうが。テレパシーは超能力みたいだから、もっと魔法っぽい名前があるのかもしれないが、別にそれはどうでもいいのでテレパシーと呼んでおこう。
どこかにテレパシー相手がいないだろうかと、周りをきょろきょろと見渡しているとまた視界が暗くなった。今度は荒野ではなく真っ白な部屋の真ん中に俺は立っていた。
部屋と言っても白いせいで奥行きとかはよく分からない。何だか狭い様にも広い様にも見える。だまし絵か何かのようだ。あまりにも綺麗な白のせいで、浮いているような感覚もある。
「ちゃ~お」
そしてそこに女性が横になっていた。それも積まれた本に埋もれるようにして、けだるげな様子で。俺のいる方向だけは本が片付けてあるため、女性の姿ははっきり見える。逆にその向こうは幾重にも積もれた本で見えないわけだが。
しかし俺は本に対して驚いているべきではなかった。まずは彼女が何者かを聞かなくてはならない。
「あなたは何者……。神様か何かですか」
恐る恐る質問すると、
「あっ、うんそれ。私~女神」
あまりにも軽い返事が返ってきた。軽すぎて一瞬理解ができないほどだった。
しかし言われてみると確かに顔は神々しいほど美しいし、横になっているのに垂れずはっきりとわかるほど服を押し上げている二つの胸は素晴らしい。脚はむっちりと肉が付きつつもすらりとしている。簡潔に言うとエロい。けだるげな様子が更にそれを冗長させている。横になっているからわからないが身長は俺よりも少し高そうだ。俺自身日本人の平均身長はあるので、かなり大柄な女神さまだ。
「目つきがエロ~い」
胸を隠す女神さま。横になっている状態でやられても、正直強調する結果にしかなっていない。
「あっ、ごめんなさい」
目を逸らしつつも、ちらりと胸の方に目がいく。でも男子高校生としてしょうがないと思うんだ。ナイスバディなお姉様を前にして、これを見ずにいられるか。心の中で誰かに言い訳をしてしまう。
「それで~、話をしてもいいかな~」
「ああ、お願いします」
向き直って、なんとなく正座してみる。女神から転生についての話を聞く。これどこのラノベだろう。別にオタクではないが、そういうものも嗜んでいる身としてはワクワクが止まらない。
「私は~知恵の~女神~。名前は~デア・アーラ・サイエンティア~。ティア~って呼んでね~」
「もっとはきはきしゃべってもらえませんかね」
名前を告げるだけの間にどんだけ『~』を入れる気だ、この女神。しかも一回一回が長いんだよ。肺活量の自慢でもしたいのか。
自分は気の長い方だと思っていたんだが、どうも我慢できない。
「それでここはどこなんですか。教えてくれるんですよね」
この時点で正座が辛くなったので、胡坐に座り直す。どうにもこの女神、ティアはしゃべるのが遅い。その遅いのにイライラしながら聞きだしたところ、どうやらこんな感じらしい。
想像通りここは俺がいた世界とは違う世界のようだ。その名もハインディア。剣と魔法の飛び交う世界である。一応ティアはこのハインディアを生み出した創世神の子供の一人にあたり、直系であるためかなりの権力を持っているのだそうだ。ただどうやらそれをこの空間で本を怠惰に読むだけに使っているようだけど。
ティアが見せてくれた世界地図(人が作ったものではなく神による作らしい)によると、この世界には歪んだ団子が東西に三つ並んだような大陸が一つに、周りにそれほど大きくない島国がいくつかあるという感じだ。縮尺がイマイチ分からないから、どれだけ大きいのかは分からないが。
そして俺がいるのは一番東の団子の端っこらしい。この荒野かと思えば森が現れるようなこの地域は、知恵の女神が祀られる神殿にあるダンジョンらしい。祀られていると言っても、ここ最近(女神にとっての最近がどれくらいかは不明だが)は本を読むのに集中したいため、人があまり入ってこないようにさせているらしいが。
と現在地を聞くまでにティアのだらだらな口調にイライラして叫びだすこと3回、足を組み直すこと20回以上。我慢を表すゲージか何かがあったら振り切れていること間違いなしだ。
ここに呼び出された理由に辿りつくまでに、俺の堪忍袋が何度切れそうになったか。校長の朝礼の挨拶の方が幾分かましだ。あれは聞き流せばいいからな。
堪忍袋が切れそうになる度に俺は女神の後ろを見る。そこには何かふわふわした、毛玉に羽が生えた様なものが浮かんでいた。いつのまにか現れていた本棚に、散乱した本を入れなおしている。器用に頭(と言っていいのかはよく分からないが)の上に本をのせて運んでいる姿は奇妙なことこの上ない。しかし何故か見ていると癒される。これがなければ、俺のイライラがティアに向かっていたかもしれない。感謝してもしきれない。もちろんティアにとって。
それはともかく、これでやっと召喚された理由を聞ける。またきっと長くなるのだろうが。
我慢だ、俺。とりあえず元の世界に返してもらうためには機嫌を損ねるわけにはいかないんだ。
「それで何故俺をここに呼んだんですか、女神さま」
「ティアって呼んで~」
なんか本当にイラつくな。この女神。
「ティ、ティア、教えてもらえるかな」
イラついて語尾が震えている気がする。何だこれは。試練か。試練なのか!
駄目だ。思考がおかしくなっている。
落ち着こうと目を閉じて深呼吸してから、再度ティアを見る。するとティアがいなくなっていた。
あんだけ本積んでれば、そりゃ崩れるわ。
山の下の方の本を引き抜いたらしく、本が雪崩を起こしてティアはそこに埋まっていた。
よく分からないふわふわ毛玉に救出される姿には何の威厳もない。
これが女神っていうのは間違っているな。
「今~このダンジョンに~嫌な冒険者が~侵入したのよね~」
失敗をなかったことにしようと、何にも言わずに話を再開しやがった。でも話の速さは相変わらず遅い。
この調子で話されると説明が終わらないので簡単にまとめると、このダンジョンで野盗まがいの冒険者が暴れ回っているらしい。本来ならティアが設定した高レベルモンスターが出現するここでは生き残れないレベルのはずだが、何故か皆倒されて荒稼ぎされているとのこと。
「つまりそいつらを倒すために俺は召喚されたっていう理解であってるか」
その冒険者っていうのはきっと、召喚されてすぐに目の前にいた剣士たちのことだろう。俺もモンスターに間違われて襲われたってことだ。
しかし、もしそうならあんな風にいきなり出会わされても困るだけだ。俺は何の力もない一般市民なんだよ。敵を一撃で倒すような力は持っていないのです。
俺はとりあえず文句を言おうとした。
「ちょっとそれは……」
「ん~違うわよ~」
「へっ」
ティアの反応は予想外のものだった。てっきりそのためだと思ったのだが。
「この~ダンジョンにはね~モンスターの~自動ポップが~」
と言ったところでだるそうに寝返りを打つティア。重要なことだというのにこの不真面目さはなんなのだろう。そして揺れる胸。スカート部分が少し翻ってやけに白い足が見える。
「標準装備~されて~るの~」
俺に説明するのすら飽きてきたのか、ごろごろと寝返りを何度も打ちながら、周りに積んである本に手をかけてすらいる。また雪崩を起こすぞ。
だがそれよりも先ほどから寝返りのたびに柔らかく変形する胸にドキドキしっぱなしだ。それをごまかすように早く説明するようにティアをせかす。
「と、とりあえずはやくせ、説明してくれないか」
やべ、動揺がしゃべりに出てしまった。
分かってますといったいい笑顔で、こっちを向かないで、ティアさん。お願いだから、気付かないふりをして。
「ん~冒険者の~狩る~スピードが~速すぎるのよね~」
それで説明は終えたかのように、ティアは適当な本を読み始めた。
何も分からないのは俺の理解力が足りないのか。いや、絶対ティアの説明不足だろ。でもこれで答え聞くのも、馬鹿にされそうだな。少し考えてみるか。
つまり元の世界のゲームみたいな感じなのだろう。一度モンスターを倒すと次に出るまでのタイムラグがあるのだ。そしてそのモンスターが早く狩られたために、ダンジョンにモンスターが減った。ティアにとって冒険者は邪魔で倒してほしい。
「やっぱり倒すために呼ばれたとしか考えられないんだよな」
速読でも使ったのか、それとも知恵の女神的な力なのか、ティアはもう一冊読み終わったらしい。ってもしそれが女神の力ならしょぼいな。ティアにぴったしのしょぼさだ。
もう次の本に手を伸ばそうとしている。聞くならこのタイミングしかない。
「それで俺は何で呼ばれたんだ」
分からないと言ったも同然だが、しょうがない。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥って言うしな。
「はっ」
あいつ、鼻で笑いやがった。殴りてえ。恥じゃなくてイライラだったよ。聞くは一時のイライラ、聞かぬは一生のイライラ。外れてないのが嫌だな、このことわざ。
やれやれみたいな顔するな、怠惰女神。
「つ~ま~り~」
「つまり……」
とは言いつつも少しどきどきするな。
ラノベやなんかでこういうパターンはよくあった。やっぱり勇者として呼ばれたとかか。実は俺にはすごい力が宿っているとかがあるのか。
プチ中二病の頃が思い出される。ごめん、昔の俺よ。黒歴史とか思ってて悪かった。お前が正しかった。俺はすごい奴だったんだ。
「いなくなった~足止め用の~モンスタ~の代わり~。ちょうど~召喚法の~書かれてた~本を~読んでたの~」
つまり何か。俺の扱いはモンスターってことか。
はっはっは。想像してたのと全然違っていたな。やはりあの時代は俺にとっての黒歴史だ。記憶の彼方に消えろ。
うん、何だかすっきりしたな。それではとりあえずティアに向かって叫ぶか。
すっと息を吸う。
「元の世界に返せ!」
モンスター代わり、それも時間稼ぎ要員として召喚されるとかあり得ないだろ。
「俺を元の世界に返せ。わざわざ殺されに呼び出されたっていうのかよ」
「ん~そうかも~」
「そうかもって」
だめだ、このだるだる女神。見てると怒っている俺がバカみたいだ。イライラはするのに怒る気はなくなるとはこれ如何に。
気が抜けた。召喚法が書かれた本があるっていうんだ、返すことも出来るだろう。さっさとやってもらおう。
「それで、俺を元の世界に返すことはできるのか」
それを聞いて、ここからは本の山で少し見にくいがティアは一冊の本を取り出して読んでいるようだった。そこにその方法が書いてあるのだろうか。何か積まれた本の隙間から禍々しさが漂ってきているんだが、大丈夫な方法が書かれているんだよな。
「だ~いじょ~ぶ~みた~い」
それならすぐにでも……
「でも~条件があるな~」
すごく嫌な予感しかしない。でも聞くしかない。
くそっ、だるだる女神の癖に。返る方法で交渉をしてくるとか、鬼畜か。受ける以外に選択肢がないだろ。
「……その条件って何ですか」
駄目だと分かっても言うしかない。完全なる降伏宣言だ。
それに対してだるい様子をそこだけ変えて、はっきりとティアは言った。
「冒険者をやっつけて」
「無理です」
即答してしまった。でも普通の高校生にはそんなことできません。もっと他の条件にはなりませんかね。
手もみしながら尋ねてみる。
「もう~決定しました~。異論は~認めませ~ん」
何かドヤ顔してこっちを見てくる。
やばい。まじでぶん殴りたい。でも相手は俺を唯一元の世界に戻せる女神さま。だから……
「我慢。我慢。殴ったら負け。殴ったら負け」
「何か~言った~?」
ぶんぶんと首を横に振った。
「それじゃ~頑張って~。それと~冒険者が~ダンジョンから出たら~もう二度と~入れないように~しときました~」
得意そうにたわわに実った胸を反らせるティア。ただ横になっているから、まるで背筋を鍛えているみたいだ。しゃちほこと言うほどには反ってない。……胸が重いとやっぱり上がらないんだろうか。
「入れさせないことができるなら自分でどうにかすればいいじゃん。一応は女神なんだろ」
そんなことが出来るなら、こんな一般人に任せるなっていう話だ。
「女神は~あまり~世界に~干……渉……」
背筋を反らすのが疲れたらしく、途中で体を前に倒して何度もあえいでいる。ティアって本当に知恵の女神なのだろうか。ところどころで馬鹿をしてる。本の雪崩然り、今然り。
あっ、ふわふわ毛玉が水持って来て飲ませてる。可愛いなー。
ふわふわ毛玉の持って来た水を飲み、ティアも一息ついたようだ。
「あ~、干渉できないのよ~」
言い直したよ、この女神さま。本当に威厳ないなー。ティアが人間を入れてないんじゃなくて、人間に見限られたんじゃないのか、これ。
「しょうがないから条件は受けるけど、人を殺すとか俺は出来ないぞ」
「そう~思って~こんなの用意~しました~」
そう言ってティアは適当な本の合間から何か四角い紙を取り出す。どうやら何かこまごまと書かれているようだ。イメージとしてはアニメとかの陰陽師が投げつける護符みたいな感じだな。
「これを~敵に貼ると~びゅ~んって飛んじゃいま~す」
はっ?
何を言っているんだろうね、このだるだる女神。説明する気がないな。
そこに登場したのがふわふわ毛玉。何かの紙を手に携えて(手があるかは分からないが)、こっちに近づいてくる。そして俺の手にその紙を乗せる。
「これ……説明書?」
几帳面な字で書かれているのはどうやらティアが持っている護符の説明らしい。しかし、こんなものをティアが書くわけがない。つまり消去法的にふわふわ毛玉が書いたことになる。
「ふわふわ毛玉、お前も苦労してるんだな」
何か親近感が湧いてきた。
せっかくのふわふわ毛玉の厚意だからと、説明書を読む。そう言えば日本語で書かれている。わざわざ俺の為に日本語で書いてくれたのだろうか。冒険者の言葉が意味不明だったから、同じ文字を使っているとは思えないんだが。この辺りもどこかで確認しないといけない。
護符の内容はこのダンジョンから外にテレポートさせるというものだった。基本どこに飛ばされるかはランダムらしい。
これをあの冒険者どもに貼ればそれでいい。それぐらいならできるだろうか。それに冒険者はどれぐらいの身体能力があるんだ。俺より低いなんてことは夢の見すぎだな。鬼ごっこの様にただ追いかけてタッチするだけではいかないだろうし、作戦も考えないといけないのか。厄介だ。
「帰るためならしょうがない。でもそれなら女神の加護的なものをくれよ」
これぞ異世界転生テンプレ。その名もチート能力。
せっかくなら普段は体験できないことを体験しようと思うのが人間だろう。意外と今の状況を俺は楽しんでいるのかもしれない。自分で思うのもなんだが、器がでかいのか、まだ現実が直視できていなくて遊びの範疇だと思っているのか、どちらだろう。
多分後者だろうな。
「女神の加護? 本当に私のでいいの?」
不思議そうにティアはしている。
「他に誰に頼むっていうんだ。何だ、それとも女神なのにそんなことも出来ないのか」
茶化す俺を無視して、う~ん、と考え込んだティアは、手元のいくつかの本を無造作にこちらに向かって投げつけた。
「何を……」
腕でガードするが、凶器とかした本を受けて大丈夫な気がしない。流石に広辞苑なみの分厚いのはなかったがそれでも十分に危険だ。
茶化しすぎたか……。
しかし、いつまでたっても体に何かがぶつかる感じはしない。
恐る恐る目を開く。念のため体に触れてみるが当たって痛みがある様なところはない。外れて床に落ちたのかと周囲を見ても、やはり本は見当たらない。どこかに消えてしまったかのようだ。
驚いている俺を見てティアは意地悪そうにしている。
「頭に~本を~入れておいたから~」
ティアはだるそうに笑っている。
「頭に本を入れる? つまり知恵を与えられたってことなのか」
「まあ~そんな感じ~。取り出しも~できるように~しときました~。あと~『脳筋のオーガでもわかる全種族言語教室第百三十五改訂版』も~いれといた~」
これで言葉に関しても大丈夫ってことらしい。ただ題名のとこだけやけに元気だったのがむかつく。言葉の習得に必要だったのは分かるが、他にもっとましなタイトルの本はなかったのだろうか。
絶対あったけど、面白そうだからこれにしたんだろうな。このだるだる女神。人をからかうときはいい顔をするから、その辺が丸わかりだ。こんなにわかりやすくて女神としてやっていけているんだろうか。
「ガンバ~」
そんなことつらつら考えていると、もう話は済んだと言わんばかりに全然心のこもっていない声でエールを送ってきた。
そしてティアが手を振っている様子がねじれたかと思うと、森の中にまた俺は立っているのだった。




