宴会
「今日も良くやってくれたね、みんな。打ち上げよ。ぱっと飲みな。乾杯」
『乾杯』
メリデューラの音頭に合わせて、そこかしこからコップをぶつける音が聞こえた。
一つの村での興行を終えて、一座は現在宴会状態となっていた。もう一杯目を飲み終えた連中があちらこちらで二敗目の酒を酌み交わす音がする。
「おいおい、英雄譚の語り部は英雄にあやかってミルクかい。男ならエールだよ、エール」
「ギル、俺が飲めないの知ってるだろ」
まだ宴会は二度目で、慣れない雰囲気に戸惑っていたところに、軽い調子で声をかけてきたのはこの一座では楽器を演奏しているギルだった。短く刈った銀髪に、耳に付けた三連ピアスが特徴的な男だ。その軽い調子とは裏腹に、音楽隊を仕切るリーダーでもある。
「最初の宴会で一杯飲んで倒れたもんな! あれは笑わしてもらったぜ」
人見知りしないでどんどん話しかけてくるから、すぐに軽口を交わすようになった。こいつのおかげで一座の中にすんなり入ることが出来たと言える。
……良い奴ではあるんだがな。からかい癖が玉に傷だ。
それと英雄にあやかってミルクというのは、酒は体の動きを鈍くすると言ってアルゴウスがミルクしか飲まなかかったという伝説があるからだ。あの本にもそう書かれているし、間違いない。この世界で下戸をからかう決まり文句みたいなものだ。
「にしても、お前の隣にアルトの嬢ちゃんがいないなんて珍しいな。気付けば二人でいやがるくせに」
ギルは酒をグビリと飲みながら、アルトを話題に出した。基本ギルはアルトとの関係についていじってくる。どうもこの狭い一座という世界の中に入り込んできた恋人未満に見える二人にやきもきしているらしい。下世話な話ばかりしてくる。
「あっち」
「ん?」
後ろを指さす。そこには衣装制作兼踊り子である白鳥の鳥人であるアグリエラに捕まっているアルトの姿があった。興奮してばさばさと閉じたり開いたりを繰り返している綺麗な白い羽が、周りの奴を無意識に叩きのめしている。
「あ~、アグリエラに捕まったのか。あいつ可愛い子に服着せる好きだからな。アルトの嬢ちゃんならいい素材だから、目を付けられるのもしょうがないか。……アルトの嬢ちゃんが助けてほしそうにしてるぞ」
「ああ、可愛く着飾ってくれると俺も嬉しいからな。ここは心を鬼にさせてもらう」
アルトに似合ってるよとサムズアップしてみせると、裏切られたと言ったような顔をアルトがした。
なんでだろうな?
「何でじゃねえよ。こんなのが相手で、アルトの嬢ちゃんは大変だ。でもたった一週間でよく笑うようになったよ。最初はお前にべったりだったからな」
「そうか、メリデューラさんに誘われてこの一座に置かせてもらってからまだ一週間か。何かもっと一緒にいる気がしてたよ」
あの出会いの後、向かう先もなく迷子になっているという話をしたら一緒に行かないかとメリデューラさんが誘ってくれたのだ。人数の多い方が色々と良いというのは気付いていたし、情報を集めるという意味でも歓迎すべきものであった。
だから目的の場所が見つかるまでの間だけでも置いてもらえるようにお願いしたのだった。
俺は護衛兼出し物の間の語り部。頭の中にアルゴウスの話が入っているから、それを語っていた。意外と子供に人気がある。アルトは獣人として軽業なんかに出ている。
一緒に居させてもらうからには働かなくてはいけないからな。そのおかげで一座のみんなともすっかり仲よくなれた。
「アルトは過去に色々あったみたいなんだ。それで強い人見知りになってるんだよ。ここの人たちはみんな獣人にも優しいし、そもそも獣人が多くいるからな。もしかしたら、ここにずっといるのがアルトにとってはいいのかもな……」
ここは仲間としての距離が近くて、本当に家族みたいな温かさがある。アルトの心にある傷をいやすのはこういう場所なのかもしれない。
俺じゃあ、ああはいかないもんな。
アルトはいろいろ着飾られて困ったようにしながら、それでも本当にいい笑顔をしている。女性のアグリエラに思う事ではないが、妬けるというのはこういう時に思う感情なんだろうな。
「おい、酒も飲まずに酔い始めたのか。なに、落ち込んでんだよ」
急に落ち込んだ俺を見て、ギルが慌てている。
「やっぱりアルトは俺なんかより、アグリエラの方がいいのかな……。そうだよな。俺にはあんな白い羽なんかないし……」
「おい、誰かサトルのミルクに細工しなかったか。こいつ酔ってるぞ」
ううう、俺は駄目だ。アルトを護る勇者になんかなれないんだ。幸せにしてやることも出来ないんだ。
アルトは軽業で活躍しているのに、俺は頭の中の本をしゃべるので精一杯。剣舞もできないし、刃物投げもできない。怠惰女神から与えられた力なんてこんなもんだよ。
「ごめん、サトルが間違えて私のミルク割り持って行ってた」
ああ、怠惰女神。今どうしてるかな。きっと周りの精霊に迷惑かけてんだろうな。俺もアルトに迷惑かけてんのかな……。
「おい、それほとんどミルクと変わらない奴だろ。どんだけ弱いんだよ、こいつ」
ああ、頭の裏の方でギルとかファーリーとかの声が聞こえる。
あれ、そういえばさっきまで一人だったはずのギルが三人いるぞ。すごい。
「あはははは」
あれ、目が、回る?
「サトルさん!」
最後にアルトの声が聞こえた様な気がする。
頭が痛い。
だけど頭の裏で柔らかい何かを感じる。
「起きましたか! サトルさん」
「あれ、アルト? 何だか顔が近いな」
目の前と言っていいほどに逆さまになったアルトの顔がある。こうやって見ると余計に可愛い。
どうやら寝床のテントの中のようだが、どうなっているんだ。
あれっ?
「顔が近くて、頭の後ろに柔らかい何か。……膝枕?」
今の状況を端的に言い表すとそうなるみたいだ。何だかわからないけど、役得。男の夢を叶えてしまったらしい。
「何でこうなったの?」
「サトルさんがファーリーさんのお酒を飲んで倒れたんですよ。みんな心配してたんですからね」
ああ、少し記憶が戻ってきた。何だか最後の方はアルトのことについて暗いことばかり考えていたような気がする。
「それと私はサトルさんといて……幸せですよ。それに奴隷から解放してもらって、まるで本当の家族みたいに優しくてそれだけで私にとっては十分にサトルさんは勇者様です」
「……もしかして思ってたこと全部しゃべってた?」
汗がたらりと背中を流れた。
結構聞かれたらやばいことを考えていたような気がする。酔っていたせいかその辺の記憶が曖昧だ。
「アグリエラさんにでしたけど、嫉妬してくれて……嬉しかったです」
ぼふん!
そんな擬音語が出るんじゃないかというように、アルトが一瞬で顔を赤くした。きっと俺も同じように赤い顔をしているだろう。
そんなところまで聞かれてたのか。男としての威厳が……。
獣人は早熟だから場合によっては十二歳でも結婚するぞ。
ギルから聞いた言葉が頭の中で繰り返される。ぐるぐるとリフレイン状態だ。
やばい、まだ俺ちょっと酔ってるかも。理性の鍵が緩くなってる気がする。
「アルト……」
この一週間で体に肉付きが戻り、一層健康的で美しくなったアルトの顔に手が伸びる。
「あっ」
小さな顔を包むようにしてやると、アルトが可愛い声を出した。
後で後悔するかもしれない。そう思ってもまだ痺れるような感覚を残した頭では、欲望を抑えることが出来ない。
手で抑え込むようにアルトの顔を引き寄せる。
「サトルさま……」
何故か様付に戻ってしまっているが気にする余裕はない。俺も名前を呼ぶ。
「アルト……」
もう少しで唇と唇が触れ合うといったところで、テントの入り口部分の布がめくり上げられた。
「おい、サトル。起きたか。ギル様がわざわざ水……持って来て……やった……ぞ。……ごゆっくり」
すぐに入り口に布は元に戻った。
「いや、これは違う。そう空気に呑まれた結果で、意図してやったわけでは」
急に現実に戻らされた頭が働いて、アルトの顔から手を離して起き上がったころにはギルが大声でみんなに何か言っているのが聞こえた。あることないこと話して回っているに違いない。
「すまん、アルト。変な噂が流れるかもしれない」
俺と同じ様に一瞬の過ちに心痛めているであろうアルトに声をかける。どこか残念そうに見えるのは、きっと俺の希望的観測だろう。
「私はあのままでよかったのに」
小さすぎて何を言っているか分からなかったが、きっと知らなくてもいい言葉だろう。
でも、本当にやばかった。もう酒は絶対に飲まない。
酒危ない! NO飲酒!
まだふらついているからと、アルトに押される形で再度膝枕になる。その柔らかさを意識しない様に、他のことに注意を向ける必要があった。
そう言えば、アルトの服がいつもとは違う。
「……アルト、その服良く似合ってるな」
落ち着いてきてやっとアルトを見れるようになると、ついその姿に見惚れてしまった。
きっとアグリエラが着せたんだと思われる衣装だ。元の世界だと東南アジア系の踊り子が着るようなもので、ひらひらとした薄い布のようなそれが覆っている上半身は胸のみ。お腹や首元なんかもむき出しである。下半身はいくつもの色の布が折り合わさったパレオのようなもので覆っている。幼さと妖艶さが入り混じっていた。
酔っている時にこれを見ていたら、もう駄目だったかもしれない。そう思わせるほどの威力が込められている。
「本当に似合ってますか? ちょっと大人すぎる気がしたんですけど」
肌がかなり露出しているので、それが気になるようだ。
アグリエラ、グッジョブ。嫉妬して悪かった。
「いや、本当に似合ってる。保証する。アルトは清楚な感じなのもいいけど、こういうのも綺麗だね」
こっちの世界に来てからすらすら口から流れる臭い台詞。
アルトはそれで喜んでくれるから、もう恥ずかしいとかは考えないことにした。
宴会の方から誰かが鳴らす楽器の音がした。きっと酒が入った奴らでで踊るんだろう。
俺はすっと頭を上げて膝立ちになると、アルトに手を指し延ばす。まだ少しふらつく頭には我慢してもらう。
「一曲お願いできますか」
そんなこと初めて言われただろうアルトは一瞬たじろいだが、それでもおずおずと手を重ねてくれた。
ここで手慣れた手つきで手の甲にキスとかできればいいんだろうが、そんなこと恥ずかしくて出来るはずもない。
「じゃあ、行こうか」
ただ手を引っ張って立ち上がらせようとするが、アルトが動く様子がない。
やっぱり服が恥ずかしくて踊りたくないのか。
「嫌なら、踊るの止めようか」
ぶんぶんと強く首が横に振られる。この動きを何だか久々に見た。確認したところやっぱりアルトの癖でした。他の人がこんなに勢いよく首を振っているのは見たことがない。
なんて考えていると、小さく声が聞こえた。
「さっきまで膝枕してたせいで足がしびれてて……」
顔を恥ずかしそうに俯けて、アルトがぼそりと言ったのだ。
「ぷっ」
ついおかしくて笑ってしまった。
「何で笑うんですか」
アルトは俯けていた顔をぐっと上げた。やっぱりこうやって目と目を突き合わせていた方がいい。
アルトの足のしびれが治るのを待って、二人で踊りの輪に加わった。
酔った中での踊りだ。音楽のテンポはいい加減、男同士で酒酌み交わしながら踊っているのもいれば、巨漢のダレイとファーリーの身長差が一メートル近い組み合わせもある。
誰もが誰も音楽は曖昧、歌も曖昧、ステップも曖昧。だけど楽しい。
「アルト、楽しんでるか」
「はい、楽しいです、サトルさん」
今日、ますますアルトとの仲が進んだ。
元の世界に帰るという目的は忘れられないけど、それでも今はこの世界で生きるって事をアルトと一緒に体感していたい。
踊り疲れて眠るまで、俺とアルトは手を離すことなく楽しく騒いでいた。