奴隷から勇者の従者へ
普通獣人の奴隷としての使い道は男なら労働奴隷や戦闘要員、女なら愛玩用らしい。その種族によっても価値が変わるらしく、虎人は希少であることもあって高値がつくらしい。
そういったことは奴隷商人の下で教えられた。そこには私以外にも多くの奴隷がいて、その人たちはみんな私より多くのことを知っていた。でも誰が何を教えてくれたかなんて何も覚えていない。明日になったらどちらかがいなくなっているかもしれないのだ。覚える気にはならなかった。なぜならそれは悲しみを感じるだけだから。
奴隷がおしこめられたその部屋であでやかに笑っている女性がいた。鷲人であるリーサ。よく分からないが元は身体を売る仕事をしていたらしい。そんな彼女はいつもあけすけに色々な話をしてくれた。獣人が早熟とは言え、まだ十にも満たない私にはよく分からないところが多かったけど、人の街での獣人暮らし方とかを教えてくれた。
「あら、あなた可愛い虎耳ね」
それがリーサの最初の言葉だった。
虚ろな笑顔をしている私が、まるで自分のようだからと心配したのだそうだ。リーサはたまに背中の羽を見せてくれて、これでまた空を飛びたいと話していた。
「それが私の夢なの。こんなところから出て、空を羽ばたきたいの。アルトには夢はある?」
私には何も思いつかなかった。
「いつかアルトにも夢ができるわ。そうね、かっこいい男の子とかと出会ったりするかもよ」
そういって優しく頭を撫でてくれた。一人っ子だった私にお姉ちゃんが出来たみたいだった。
この頃はまたきちんと笑えるようになっていた。
だけどある日、どこかに売られて行った。涙は……やっぱり出なかった。でも悲しさに押しつぶされて、この日から私の感情が凍りついたのだと思う。
この別れを経験して私は他の奴隷と深いつながりを持たないようにしようと決めたのだ。そうしないともう心が持たなかった。
数日して彼女が死んだと聞かされた。彼女の売られた先はハンティングが趣味の貴族様らしい。リーサは狩りの獲物となって殺されたらしい。
最後に空が飛べたんだろうか。私には分からなかった。
そして幾日か経った頃奴隷商人が私を呼び出し、私は奴隷をお客に見せるための部屋に連れてこられた。腹にまるで巨大なレンブローの実が入っているような男だ。顔は脂でギトギトである。
「この奴隷が特異体質を持つものです。この奴隷を一匹置いておくだけでどんどんモンスターが寄ってきます。しかもコイツ自身にはそのモンスターは攻撃しませんから長持ちしますよ」
どうやら客らしい。後ろには鈍い光を跳ね返す鎧をまとった男が一人いる。ただ冒険者という奴は複数人で一つのパーティーを組むらしいからこいつはリーダーという所だろう。
「良く見せてくれ。……こんなひょろっこい奴が、そんな力をねー。嘘じゃないんだろうな」
近くに顔を寄せてきた。顔には大きく怪我の跡が残っている。
「いえいえ、嘘などとんでもない。私がお客様に嘘をついた事等ございません」
その後は私から離れ二人で交渉していた。私は自分の一大事のはずなのに、まったく感情が揺れ動かない。
「あの日に死んでいればよかった」
私はぼそりと呟いた。
最初の冒険者は5人組だった。顔に大きな傷がある男がやはりリーダーで、彼の指揮の下最近中級にあがったばかりだったらしい。
そこでの私の扱いは奴隷としては良い方だったと思う。体を弄ばれることもなければ、暴力を振るわれることもなかった。食事もちゃんと出してくれた。
要は道具として最低限よりはましに扱ってもらえていたようだ。名前も覚えていない人たちだが。
「今日はキリルクの森へ向かう。危険度が高い奴はアルトに引き付けて一匹ずつ慎重に倒す。○○はいつも通り後衛を頼む。この森には状態異常を起こす蟲が出るから、△△は状態異常の回復を念頭に置いておけよ」
出発前に出かける先の地域について説明をして、お互いの連携を確認していく。私はただ聞きもしないで突っ立っているだけだ。どうせモンスターを引き寄せる道具でしかないのだから。それも両親を殺してしまうような、不吉な道具だ。
そしてこのパーティーに売られてから数カ月した今日、その不吉はまた現れたのだ。
「おい、何で竜が出てくるんだ。ここにはそんな危険な奴はいないんじゃなかったのか」
突如現れたのは地竜の一種だった。どうやら私に誘われたらしく、他のモンスターを余裕を持って倒していた冒険者の前に現れた。
「落ち着け。一旦アルトに引き付けよう。そうしたら……」
ぶん、と一振り地竜が尻尾を振った。それはおそらく犬が嬉しくなった時に尻尾を振りたくるような、そういったものだったと思う。しかし、竜の尻尾は犬ほど可愛らしいものではない。偶然尻尾の当たる範囲にいたリーダーは吹き飛ばされ、顔に傷があるという事が分からないほどに粉砕された。
「よくもリーダーを」
頭に血を上らせた男が無謀にも地竜に向かっていき、リーダーのニの前になった。
そして気が付くと冒険者は一人残らず殺されて、地竜だけが残された。
正直何も感じなかった。これで逃げることが出来るとだけ分かった。
しかし、それは甘かった。隷属の首輪をはめている者は、持ち主の許可がなければ食事をとれないのだ。ムリをして食べようとしても体が拒絶するのである。
れをはめている限りどこへ行こうとお前は奴隷なんだ。それを強く実感しながら、私は奴隷商人もとに戻るしかなかった。
それから数日してまた別の冒険者に買われた。日にパンの一つも食べれたらいい方だった。何をしても殴られた。骨に罅が入ったこともあったし、それを回復魔法で治してからまた殴られるという事もあった。まだ何もされない道具扱いがマシだった。
もうそれからいくつの冒険者グループを渡り歩いただろうか。私を買い取ったパーティーは自分たちよりも格上を倒すことが出来るため、名を上げるものがいた。同じくらい死んでいくものも多かったが。
そして前のパーティーが私に見切りをつけ、奴隷商人に売り払ってから数時間後、今度は中堅どころの三人組に買われた。
彼らに連れられて向かった先は知恵の女神がおわすと言うダンジョンである。それは途中まで上手くいっていた。
「ははは、これが神級のダンジョンとはな。まあ、知恵の女神じゃこの程度か」
雑談に興じている三人を尻目に、私は殺したモンスターから金になる部分をはぎ取っていく。
「これなら簡単に虹の蕾の群生地も見つかりそうだな」
「それもこの便利アイテム、虎奴隷のおかげだな。ほらまだまだ進むんだ。早くしろよ」
命令の後には必ず蹴りが来る。分かっていた私はその瞬間体を丸めた。
蹴りが来るというとき、光が目に入った。魔方陣と呼ばれるものが急に地面に浮かび上がったのだ。
「何だ?」
全員がそちらを向いていると、突然そこに誰かが現れた。それは見たことのない種類のモンスターだった。体にはどういう仕立てをしてあるのかわからない黒い服をまとい、それに合わせたかのように世にも珍しい黒目黒髪をしている。さらに不思議なのは、なにか車輪が二つ並んだようなものに乗っている点だ。
「変なゴブリンが出てきたな」
「殺すことには変わらねえよ」
剣士と盾男が言葉を交わした。
そのモンスターと見えたのは、どうやら人間らしいと分かったのは私だけのようだ。なぜなら私の方に寄ってこないからだ。
何故かその男は剣士たちがこれほどわかりやすくモンスター扱いしているのにもかかわらず、片手を上げて声をかけてきた。
馬鹿なんだろうか。感情なんてどこかにおいてきたと思ったのに、呆れるという行為はできるらしい。
気付けば剣士に斬りかかられて、男が逃げ出していた。あの銀色の物体は乗り物らしく、意外と速いスピードでどこかへ行ってしまった。
「すまない、魔法を外した。ショットにしておいた方が良かったな」
ファイアーボールを放った男が言った。どうやらあのへんてこりんな男は逃げ切れたようだ。何故か安心した。
「まあ、いいさ。それじゃ、森を目指すぞ」
しかし、流石に神級のダンジョン。そう上手くはいかなかった。
森に入るな否や、ワーウルフに出会ったのである。その数なんと15匹。
「虎奴隷に引き付けて一旦逃げるぞ」
その言葉を合図にして男たちは逃げて行った。
蹲って丸くなっていた私は、体が浮き上がるのを感じた。二匹のワーウルフが私を持ち上げていく。
そしてどこかへと運ばれていく途中、大きな揺れを感じて私は地面に落とされた。
少しの間目を回していたようだ。
顔を上げて周りを見てみると、ワーウルフ達はいない。
一息つくと、足元で何かが動くような音がした。
何故かへこんでいる大地に頭をつけるようにしている男が一人。私は驚いてスカートを抑えつけていた。
「いや、違うからね。スカートの中が見たかったわけではないんだよ」
情けないことを言う人だと思った。でも何だか今まで見てきた人とは全然違っていて、今でも分からないけどこの瞬間確かに私のなくしていた感情が溢れ出したのだ。
「見てないよね」
私は彼に言葉を返した。冒険者の奴隷になってからは、声を出すことなど悲鳴ぐらいしかなかったから、少し緊張した。
「清純な白が良く似合っているとか思ってないよ。あっ」
見られてた。
私の体が一気に羞恥で熱くなる。尻尾がぴんと逆立った。
「エッチ」
つい私は恥ずかしさのあまり男を殴ってしまった。
倒れていく男を見ながら、何故かもう忘れていたはずのリーサの言葉が思い出された。
かっこいい男の子とかと出会ったりするかもよ。
「全然かっこよくなんてないよ」
でもこの人と会った瞬間、凍っていたはずの感情が一斉に湧き出してきた。
私とこの人の付き合いは長いものになる。それも両親の様な深いつながりで。
誰かにそう呟かれたような気がした。そしてそれは正しい様に思えた。
くすりとまた笑って、男を起こそうと近寄ったのだ。
「……ト、アルト」
耳元で声が聞こえた。どうやら寝てしまっていたらしい。
(昔のことを考えながら寝たせいか、嫌な夢を見てしまった)
「大丈夫か。今日一日走り回らせたもんな。疲れたか? 何だか悪夢を見ているみたいだったが」
どうやらサトル様は心配して起こしてくれたようだ。サトル様の隣には火が点いている。ただ何度も失敗したのだろう、いくつもの枝などが落ちているが。ある程度の間寝てしまっていたようだ。
「いえ、うとうとしていただけですから。昔のこと、それにサトル様にあったときのことを夢に見ていました」
「そうか。……落ち着かないようなら、何か話でもするか。それとも他のことがいいか。何かしてほしいことがあったら言えよ」
何でもか。きっと大した要求とかしてこないと思っているんだろうな。
それならちょっと迫ってみるのもありだろうか。
「アルト?」
「それなら今日は添い寝してくださいませんか」
リーサが教えてくれたように、上目づかいでお願いしてみた。
「あ、えっと、いや、何でもとは言ったけど、そ、添い寝は、どう、どうなんだろう」
サトル様は分かりやすく赤面する。
慌てているサトル様はどれだけ見ていても飽きないのだけど、助け舟を出さないわけにもいかないだろう。
「冗談です。代わりに頭を撫でてもらえますか」
「ああ、それぐらいなら」
よしよしと頭を撫でてくれる。お父さんみたいな筋肉質でごつごつとした感じとは全く逆で、ヒョロヒョロの体をしているのに、何故かお父さんに撫でられた時の様な安心を感じる。
「……いつかもっと砕けた口調で話せるようになりたいな」
サトル様には聞こえないように小さな声で呟いた。
あなたが子ども扱いするほど、心の中は意外と子供ではないんですよ。
いつかもっと心を近づけるようなことが出来るんだろうか。
「ずっと一緒ですからね」
「ああ、俺達はもう家族みたいなものさ」
私はサトル様と会うことで、少しだけ過去を乗り越えて、そして新しい家族を手に入れることが出来たのだ。
日と闇との狭間の時間は通り過ぎ、焚火の火だけが私たちを照らしていた。
次から新章に突入します。新しい本も出して、もっと魔物とかとの戦闘を書けていけたらいいなと思ってます。