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魔王誕生

 大手商社に勤め日々汗を流す『佐久間 実太(みひろ)二十七歳は、日に億単位を転がす一流商社マンだ。

 自分の為なら、他人を蹴落とすなぞ微塵も思わない彼のことを人は言う『佐久間(あくま) 実太(みたい)』。



 そんな彼には最近密かにハマッていることがあった。

VRMMO……すなわち仮想現実大規模多人数オンライン。

 一度のめり込むと、納得のいくまでやらないと気がすまない彼は、寝る間も惜しみ廃人同様の生活を送っていた。

 そんなある日、大事な商談を控えた朝、最近にしては珍しく目覚めが良かった。

 カーテンの隙間から僅かに溢れる日の光。


何気なく目覚まし時計に目をやると、針は八時を回ろうとしていた。


 状況を把握するのにそう時間は掛からなかった。

慌てベッドから飛び起き、スーツに袖を通し家を飛び出す。

 商談の始まる時間は九時から。

何とか商談にギリギリ間に合う……はずだった。

 寝坊したとは言え、準備は完璧だと思われた瞬間、顎に手を伸ばすと髭を剃るのを忘れていたことに気付いた。

 今日は大事な商談だ。

このままでは失礼にあたる。


 そう思った彼は、目についた古ぼけた理髪店を訪れた。

 人一倍身だしなみに気を配ってきた彼は、普段有名美容室を利用していた。


 しかし訪れた理髪店は、こんな急を有する事態でもなければ、一生利用することもないような店構えだ。


 立て付けの悪い、うす汚れた硝子の扉を開くと、胡散臭い四十代後半くらいの店主が彼を迎え入れた。


「いらっしゃい。今日はどのように?」


 揉み手をしながら、怪しい笑みを浮かべながらにじり寄る店主。


彼は間合いを取りながら言った。


「髭を剃ってくれ。急いでいるんだ。早急に頼む!」


 対応の遅い店主に苛つきを覚え、煽った。


「髭だけで、いいんですね? かしこまりました。」


 店主の返事を聞き届けると、どっと眠気が押し寄せた。


 連日のゲームと多忙な仕事による睡眠不足、わかってはいても瞼の重さには勝てなかった。



 眠りの中、夢を見た。


「魔王! 覚悟しなさいっ!」


 何故かゲーム中で彼が育てた勇者イセリナが、彼の喉元目掛け剣を向け、彼のことを『魔王』と呼ぶ。


〈どういうことだ?〉


と、叫ぼうとするが声がでない。

 途方に暮れ、意を決したその時、鈍い痛みと共に目が覚めた。


「お客様、すみません。ちょっとばかり、切れちまったもんで……」


 鏡を覗くと、頬に真新しい傷跡から血が流れていた。


「何てことを……」


「お代は要りませんので……」


〈先ほどの夢と言い、この店主と言い、朝から災難だ〉

そんなこと思いながら、勢い良く店を飛び出すと、眩しい光が辺りを包み込み軽い目眩を覚えた後、気を失ってしまった。



◇◇◇◇◇◇


「お目覚めですかな? 大魔王イシュケル様。このマデュラ、どれほど、この時を待ちわびたことか……」


「俺が大魔王だと? 何を寝惚けたことを。俺にはこれから大事な商談があるんだ。そこをどけてくれ」


「イシュケル様、どうかお気を確かに。ご自分のお姿をご確認下さい」


 傍にいたマデュラと名乗る年老いた魔導師のような男は実太に向かって、鏡を見せ付けた。


「こ、これが俺の姿?」


 髪は銀色に輝き、頭に二本の角が生えている。

身体は黒光りし、手足の先には鋭い爪があった。

           「どうです? ご理解できましたか?」


 実太は記憶を辿ってみるが、まるでこれまでの経緯がわからなかった。


「我々魔族は長きに渡り、イシュケル様の誕生を待ちわびておりました。魔族復活にはイシュケル様の誕生が不可欠でした。どうか、憎き勇者イセリナどもを……」


 イセリナ? 聞き覚えのあるその名に、実太はマデュラに問いかけた。


「敵は、勇者イセリナなのか? そして、それを滅ぼすのがこの俺なのか?」


と。


 マデュラは不敵な笑みを浮かべ、実太に言った。


「その通りでございます。イシュケル様どうか、我々魔族の為に……」


「話はわかった。俺も悪魔と呼ばれた男。魔族の為に、やってやろうではないか」                  「心強いお言葉。では、早速魔王としての訓練をお願い致します」


 どうやら、この実太という男、理髪店を出た後異世界にトリップしたようだ。

 そして、異世界での彼の役割は、自ら育てた憎き勇者イセリナどもを殲滅する、『大魔王イシュケル』。

 数奇な運命を背負いし一人の男が、今この魔界に産声を上げた。

魔王イシュケルの誕生である。



 大魔王イシュケルはマデュラに導かれ、魔王としての訓練に入るのであった。

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