第2章
「いらっしゃいませー!」
クリスマス色に染まる小さなケーキ屋の店内に、ある少女の声が響く。その声は、せわしなく行きかう客の足並みにそろえて慌ただしく開閉を繰り返す自動ドアの途切れからこぼれ、店の外に立ちつくしているだけの二人の耳にもしっかりと届いた。
「……お店に入らないのですか?」
隣に立つヒカリの声を無視して、良治は店内の彼女をじっと見つめる。
ややゴシック調のおしゃれなケーキ屋の制服に身をつつみ、笑顔でクリスマス用のケーキを選ぶ家族やカップルに、それ以上の笑顔で返事をする、彼女の姿を。
叶えて欲しい願い事は何かとヒカリに尋ねられた後、良治はすぐには自分の願いを口にはしなかった……というより、うまく言葉に出来なかったのだ。だから願い事を口にするかわりに、良治は「場所を変えよう」と一言ヒカリに告げるや否や、突然の事態に慌てふためく妖精に背を向け、一人でスタスタと歩きはじめ、この小さなケーキ屋の前へと来たのである。
ただ黙って店内を……正確には、ケーキ屋の少女を見つめ続ける良治に、おしゃべりな妖精も思わず口を噤む。
そしてしばらく……ほんの1,2分、そうしてそこに立ちつくした後、良治はフイと店に背を向け、再び歩きはじめる。
「あ、待ってください」
ヒカリも、置いていかれないように慌てて良治の隣へと追いつく。
165センチと140センチの歩幅の差は、そこそこに大きい。
そうして良治は、黙ったままのヒカリを隣に連れて、しばらくクリスマス色に染まる街並みを黙って歩き続けた。正確には、時折何か言いたげに口を開きかけては、良治の横顔を見て、口を噤むという動作を繰り返すヒカリを隣に連れながら。
再び、最初にヒカリと出会った広場まで戻ってきたところで、良治は足を止める。当然隣をせっせとあるいていた、ヒカリも足を止め、呼吸を整える。
広場には相変わらず、この寒空の下多くの人々が足をとめ色鮮やかな電飾に彩られるツリーを見上げている。吐く息が触れたそばから真白に染まっていくような冷たい空気の中にもかかわらず、立ちつくす人々が浮かべる笑顔は、温もりに満ち満ちている。
そんな冷気を暖気に溢れる広場に立ちつくし、大きなクリスマスツリーを、その先にある星空見上げ
「……俺の願いをいうよ」
と、良治はぽつりとつぶやく。
同時に、ヒカリがはっと顔を上げ、良治の横顔をじっと見つめる。
瞬く星をじっと見つめながら
「彼女を……楓を、幸せにしてやってほしい」
そう、良治は口にした。自分の、形にならない願いを。
「……幸せにしてほしい、ですか?」
ヒカリは、良治の願いを確認するようにそう繰り返し、首をかしげる。
「あぁ。そうだ」
「うーん……」
けれどもヒカリは、念願であった彼の願いを聞くやいなや、喜ぶどころか、難しい顔を浮かべ、何やら唸り声をあげる。その予想外のヒカリの反応に、良治も思わず眉をひそめる。
それからヒカリは、躊躇いつつも、はっきりとした口調で良治にこう告げる。
「それだけだと、叶えるのはちょっと、難しいです」
「え?」
予想外の返答に、良治は目を丸くする。
「というのはですね、それだけですと、何をどうすれば、彼女が幸せになるのかわからないからです。価値観は人それぞれですから。ようは、具体性にかけるんです」
「具体性……なるほど」
なるほど、と良治は納得する。確かに、幸せの定義というのは確かに人それぞれだ。
平穏な生活を望む人間もいれば、波乱万丈な人生を望む人間もいる。金銀財宝を望む人間がいれば酒池肉林を望む人間もいる。それは当然のことだ。
「あの……不躾な質問をしてしまうんですが」
と、そこでヒカリがおずおずと口を開く。
「どうしてあの女の子……楓さんに、幸せになってもらいたいんですか?」
「……」
純粋なまなざしを浮かべるヒカリの純粋な質問に、おぼろげな瞳のままの良治は口を閉ざす。
「あ、あの、嫌だったら答えてくれなくていいんです! でも、そも、その理由をしれば、より願いを具体的な形にできると思うんです。今までも、貴方のように誰かを幸せにしてほしいという願いをする方沢山いて、そういう方には、『理由』を聞くようにするのが、妖精の間ではルールとなっているんです」
自分の質問が良治の気に障ってしまったのだと思ったのだろう、ヒカリは慌ててそう付け加える。けれども、別に良治は彼女のその質問に対し、不快感を覚えるといったことは、一切なかった。
ただ良治のその瞳の底にあるのは、むなしさと、虚無感だけ。
「……あいつには、恋人が居たんだ」
その心の底にたまる濃霧のような何かを吐き出すかのように、良治は口を開いた。
「恋人……ですか?」
良治は頷き、話しを続ける。
「でもそいつは、死んじまった。1週間前のことだ」
「……そう、なんですか」
「俺のせいだ」
「え?」
良治の言葉に、妖精は俯きかけた顔を、思わず上げてしまう。そこには、今にも沈んでいってしまいそうな表情で夜空を見上げる良治の横顔があった。
「俺の、せいなんだ。だから、楓には幸せになって欲しい。その願いがどこからくるのか……罪悪感かもしれない、責任を感じているからかもしれない……そんな綺麗な感情じゃなくて、ただ自分が楽になりたいだけなのかもしれない……その全部かもしれない。だけど、とにかく、楓には幸せになって欲しいんだ」
「……」
「……なぁ、どうすればいいかな。“具体的”には、何を願えばいいかな」
形にならない願い。
望む結果だけは見えているのに、そこに至るまでに辿るべき道を提示することが良治にはできなかった。ケーキ屋の制服に身を包みながら振りまく笑顔という名の薄氷の下に満ちる底の見えない彼女の冷たい感情は手に取るようにわかるのに、自分の気持ちは一向に濃霧に包まれたままで、大まかな外貌すらつかめなかった。
「わかりました!」
けれども、そんな良治の虚ろな心情などどこ吹く風とでもいいたげに、快活な声を上げる。そのヒカリのクリスマスに適った明るい声に、良治は驚き、目を丸くする。
「ようは、その恋人の死から楓さんに立ち直って欲しいってことですよね!」
「そう、なるのかな」
「つまり、忘れちゃえばいいんですよ!」
「……え?」
「楓さんの記憶から、その恋人に関する記憶を消し去っちゃえばいいんです! それなら、万事解決です」
ヒカリはにっこりとほほ笑む。まるで、いくつもの細かい計算や数式を経て、やっとの想いで難問の正答を導き出した子供のように、とても嬉しそうに。
「……記憶を」
良治は、妖精のその具体的な提案に、驚き、呆けてしまう。
それは、彼女の提案が自分には思いつきもしない意外なものだったから――ではない。
むしろ、その逆だ。
“どうしてそんな簡単ことを、自分は思いつけなかったんだろう。”
瞬間、驚き以上の悲しみが自分の胸を貫き、鈍い痛みが茨となり、心ががんじがらめにされているかのような、感覚を覚える。
けれども、良治はその驚きを抑え、表情に出さないようにし、
「なるほど……それは思いつかなかった。いい考えだ」
そう、無理やりに笑顔を作るのだった。
「で、俺はどうすればいいんだ?」
「簡単です。心の中で、強く、真っすぐに願って下さい」
「……それだけでいいのか?」
何かを期待していたわけではないが、もっと儀式的な何かがあると思っていた良治は、ただ願えばいいというだけのヒカリの言葉に、やや拍子抜けしてしまう。けれども、まぁ実際はそんなもんなのか、と妙に納得している部分もあった。
「はい。そしたら私が、その願いを叶えますから」
「……なるほど、わかった」
「いつでもいいですよ。心の準備ができ次第、はじめてください」
良治はヒカリのその言葉に、黙ったまま一度深く頷く。それから、特に指定されたわけではないが、自然と目を瞑った。
――そして、心の中で、“願い”を呟く。
「はい、オーケーです!」
「え?」
まるで映画の撮影かなんかの終わりを告げるかのような快活なヒカリの声に、良治は閉じていた目を開き、戸惑いの色に顔を染める。
「ちゃんと叶いました!」
「えっと……あんまり実感わかないんだけど」
と、良治は思わず苦笑いをしてしまう。ヒカリも良治が言わんとしていることがわかるのだろう、返すように、苦笑いを浮かべる。
「ま、まぁ形に見えない願いですからね。実感ないのも無理はないと思います。でもちゃんと、願いを叶えるおまじない私が使いましたから。良治さんの願いは、叶ってるはずです!」
「そっか……まぁ、ならいいんだけどさ」
と、再び苦笑い。
「……それで、これからお前はどうするんだ?」
「一応クリスマスまでは働かないといけないので、またあなたみたいに私を見つけてくれる人がくるまで、ツリーの上で待ってようと思います。でも、最低一人っていうノルマは達成できました。ありがとうございます!」
願いをかなえてもらった側がお礼を言われるとは、なんだか妙な話だな。
そう思うと、ふと自然と浮かんでくる小さな笑みを良治は隠そうとすることなく、小さく微笑んだまま。
「どういたしまして」
と、答えるのであった。