『鬼神慟哭』
成の賢王三十五年、将軍李文は西北の地に盤踞していた戎狄の諸部族を平定し、県制を強いてこれを治めた。北辺に一城を築き、さらに一城を設えて一城一砦の形を採り、貧民を収めて農耕に従事させることで大軍を維持させるだけの糧秣を蓄えさせることができた。刑罰法令の適用は峻厳を極め、戎狄の民は李文という将軍に畏怖以外の何物をも抱かなかった。
李文配下の将に韓侯という男がいる。李文は、未だ信服ならざる戎狄の諸部族を討たんとして、北方の森林地帯に兵を派して掃討する計画を立てた。北辺の城砦より発ち、遥か僻遠の地において小部族を一つ一つ討って成に隷属させるというのであるから、労多くして功少なし。誰しもがその貧乏くじを引きたがらない中、進んでこれを引き受けたのが韓侯であった。
韓侯にとって、李文という将軍は何か特別な存在のように思われた。戎狄をものともしない勇猛さ、部下に対する公平と慈愛、賢王に対する忠誠。その李文が、戎狄の民から畏怖され、鬼神と恐れられる姿を見ると、何か不思議な思いに囚われるのであった。韓侯は、自身もまた李文のような将軍になりたいと思っていたのである。
北辺の砦を発って三年の月日が流れていた。韓侯は三千の兵を率いて北方の森林地帯を攻め、西から東へ、川底を浚うように戎狄の諸部族を平定していった。それは寒さと飢え、忍耐との戦いであった。韓侯は百戦して、一度として負けることはなかった。逆らう部族は皆殺しにし、従う部族には寛容で以って接した。冬の寒さは身に堪え、防寒対策として現地の住民がするように、獣の毛皮を纏うことで凌いだ。行軍の活力を得るためには、羊肉を食すことが効果的であることも学んだ。三年の歳月により、韓侯の容貌も激しさを増し、豊かな髭に蓬髪、浅黒い皮膚等、猛将然とした雰囲気を備えていた。薄暗い森林地帯を征く中で、韓侯は国のために尽くしているという一点で以って己を鼓舞した。
李文の死が報せられたのは、北辺の砦を発って三年目の秋のことであった。韓侯の旧知の友である曹良が使者を寄越して報せてきたのである。併し、李文の死が如何なるものであるのかは判らなかった。李文が死んだという、ただそれだけの事実であった。李文の死は、兵に影響を与えた。ある者は李文の死を悲しみ、ある者は望郷の念に駆られ、ある者は李文にさしたる思いを持たず、ただ周囲の騒擾に戸惑うのであった。
韓侯は行軍を止め、配下の将に意見を求めた。韓侯は、一人で物事を決めるようなことをしない将軍であった。軍務の大要に於いては、常に配下の意見を聞いた上でしか決断を下さなかった。そして、一度下した決断に対しては、それを曲げるようなことはしなかった。はたして、配下からは帰国の意見が相次いだ。元より、本件の任務は李文によって与えられたものであり、李文が死んだ今、任務を全うすることにさしたる意義は見出せなかった。又、兵糧の補給が見込めるかどうかも、疑問の残るところであった。奇しくも晩秋から初冬へと向かう時節。一刻も早く帰国の途につくべきと考えるのは当然の心理であった。韓侯が配下に意見を求めた翌日、韓侯は全軍に対し、成国へ帰還する旨を通達した。
帰還の途について三日目、部隊は風雪に見舞われた。水気を持った飛雪が面前より吹き付けると、堪らず獣衣を目深にするため、行軍は遅々として進まなかった。一月の後、北辺の国境を過ぎ、一路城陽の都へと部隊を進めた。その途次、目に映る景色は懐かしく、あらゆる物が明色を帯び、故国の地を踏んだことに感動を覚えていた。韓侯を始め、部隊の誰しもは、国のために命を賭けて戦い続けてきた自分に誇りを持っていた。
城陽まで十里の地点まで辿り着くと、今晩は夜営し、明朝を待って場内に凱旋することとなった。韓侯は、城陽の民が自分たちを拍手喝采で以って迎えてくれるだろうということを夢想していた。北方の森林地帯に於ける掃討作戦とはいえ、国のために尽くしたという矜持が、韓侯の胸の中には広がっていた。韓侯は、その晩、なかなか寝付くことができなかった。
明朝、韓侯は部隊を率いて城陽の城門に近付いていった。使者の一人も現れないことに違和感を覚える。城門前に来て、韓侯は更なる困惑を感じていた。城門は堅く閉ざされていたのである。韓侯は場内に向かって問い掛けるも、返事は何一つ返ってこない。すると、あろうことか城門の守衛兵は、韓侯の部隊に向かって一斉に矢を浴びせかけてきたのである。矢を受けて兵が倒れていく様を見て、韓侯は速やかに部隊を後方へと下げ、再び城陽まで十里の地点で露営することとした。守衛兵が部隊に矢を浴びせたのは、一体如何なる事情であったのか。韓侯は、その晩、なかなか寝付くことができなかった。
二日後、斥候の報せを受け、成の国での異変を知るところとなった。昨年の冬、成の賢王は政変によって討たれ、新たな国家が建設されたということであった。成の重臣は尽く死刑に処され、李文もまた衆目の下で晒し首になったということである。韓侯は、一連の報せを受け、憤慨した。
――何故賢王が廃され、李文将軍が死を賜らなければならなかったのか。今、国を支配しているのは逆賊に他ならない!――
韓侯は、そのような思いを胸に秘めるも、声には出さなかった。
再び配下を集め、これからどうすべきか、意見を求めた。すると、将の一人が前に出て、己が意見を述べる。
「俺は弟と共に韓侯将軍に従い、北方僻遠の地において、国のために戦い続けてきた。併し、弟は一昨日、城壁の上より放たれた矢を受けて死んだ。俺は無念でならない。国のために戦ってきた弟が、何故殺されねばならなかったのか。俺には納得ができない。許されるならば、俺は弟の仇を討ちたいと思う」
かかる意見を聞き、諸将は誰しもが同調した。韓侯も、反対をするつもりは微塵もなかった。
翌朝、韓侯は部隊を四つに割った。城陽の東西と南に各九百の兵を配し、残りの三百を北の林道に伏せて隠した。城陽を取り囲んでいる部隊は、合図を持って一斉に攻めかかった。北方の野戦に明け暮れた精鋭部隊である。半刻もしないうちに城壁を越え、昼過ぎには宮城に拠った八十人の衛兵を屠り、夕刻を前にして城内の残兵を一掃することに成功した。そして、夜、城陽の太守を北の林道で捕らえたという報せが入った。韓侯は、太守を面前に引き出した。太守は取るに足らぬ小男であった。少なくとも、韓侯にはそう見えた。韓侯は、李文の姿を思い出していた。李文の鋭い眼差し、威風堂々たる趣、人を率いるための威厳。面前の小男は、李文の有していたそれらのものを、何一つとして持ってはいなかった。韓侯は、何か悔しさのようなものを感じた。李文が、このような小男に取って代わられたのかと思うと、悔しくてしょうがなかった。韓侯は直々に刀を取り、小男の首を刎ねた。韓侯は、自分が李文の代わりになろうと、心に決めるのであった。
翌日、韓侯は全軍を率いて城陽へと入城した。多くの民衆が見守る中、韓侯は宮城へと近付いていった。韓侯は、どうにも晴々とした気持ちに包まれ、心にも余裕が生まれていた。その時、ふと子供の姿が目に入った。韓侯は何を思ったのか、馬を降り、子供の方へと近付いていった。そして、子供に問うた。
「子供よ、お前の名は何であるか?」
併し子供は答えなかった。韓侯は、もう一度訊ねる。
「お前の名前は何であるかと訊いておるのだ」
すると、子供は韓侯に向かって言う。
「この鬼め! いつかおいらがたおしてやる!」
その言葉を聞いた子供の母親は顔面を蒼白とさせ、申し訳ございません、と地に頭を擦り付けて謝り始めた。周囲は騒然としている。子供が韓侯の怒りに触れ、切り殺されるのではないかという雰囲気が辺りを支配していた。併し、子供は切り殺されることがなかった。
韓侯は突然顔を手で覆うと、声を上げて泣き始めた。城陽の民は、一体何が起きているのか理解できないようであった。韓侯は手を顔から離すと、己の姿を見た。長い髭に蓬髪、色は浅黒く、獣の毛皮を身に纏った大男の姿を端々に捉えた。韓侯は、地に突っ伏して泣きに泣いた。子供を前にして、獣衣をまとった大男が涙を流している。一種、異様な風景であった。
韓侯が、その後どのような運命を辿ったかは定かでない。前周書の一節を紐解くと「犬狄の蛮将・奸絞が城陽を攻め、周王が城陽の東、庸県でこれと戦い大勝を収めた」とあるが、これが韓侯と関連があるかどうか、判断は識者に求めたいところである。
pixiv(BLの楽園)より転載。大概あらすじがおかしい仕様。