ボクのおねがい
元気になったら、キャッチボールをしようねって約束したのに。
遊園地にも行こうねって言ったのに。
また明日ねって。
指切りだって、したのに。
「……嘘つき」
小さくなった『お父さん』を抱きしめながら、ボクは生まれて初めてお父さんに悪口を言った。
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「……おはようございます」
あいさつをしながら、ボクは保健室のドアを開けた。
ボクを見た保健の先生は、優しい顔で「おはよう」とだけ返して、ボクがそのまま保健室のベッドに寝転がっても、なにも言わないでくれる。
その後すぐに、保健室のドアが開いて、誰かが入ってきた。
男の人の、声だ。
「おはようございます、先生」
「あ、おはようございます。もう来てますよ」
「ありがとうございます」
その声は、担任の先生だった。
ベッドのカーテンを開けて、先生が顔だけ中に入ってくる。
「おはよう。どう? 元気?」
「……あんまり」
「そっか。もし元気になってきたら、教室おいで。先生、待ってるから」
「……うん」
先生はそれだけ言うと、すぐに引っ込んでカーテンを閉めてくれた。
その後すぐに、保健の先生とのないしょ話が聞こえてくる。
「……もう半年でしたっけ」
「えぇ、そろそろ落ち着くかと思いましたが。こればっかりは……」
「まぁ、保健室に来れているだけえらいですよ。最初の時は暴れて泣いて大変だったって、お母さんも言ってましたし」
「そうですね……じゃあ僕はそろそろ教室に戻りますので、あとはお願いします」
「はい、分かりました」
ないしょ話が終わると、先生は保健室を出た。
ボクの毎日は、学校に来たらすぐに保健室に行って、お昼になると先生がクラスメイトと給食を持ってきてくれて、夕方になったらお母さんが迎えにきてくれる。
本当は学校にも行きたくないけど、お母さんもお仕事で家にいないから、誰もいない家で1人より、誰かがいる学校の方がずっとマシだった。
でも、お父さんがいないことを友だちにあれこれ聞かれたくないから、教室には入りたくない。
そう言ったら、お母さんが先生にお願いして、1日中保健室にいてもいいことにしてくれた。
担任の先生はボクが来るたびに、必ず保健室まで来て「元気?」と聞いてくる。
ボクはもう、元気ってどういう風だったか忘れちゃったのに、「元気?」と聞かれても困る。
お父さんがいなくなってから、ずっとそうだった。
体の力がなくなったみたいになって、足もうまく動かせないし、お腹も減っているのか分からない。
おしゃべりだって本当はしたくないから、「元気?」って聞かれても無視したいけど、頑張って返事をしていた。
……早く、夕方にならないかな。
はあ、とため息をすると、なにかがカラン、と床を転がっているのが見えた。
それは、先生たちがよく使っている、黒いボールペンだ。
担任の先生の落とし物かな。
それとも、保健の先生のかな。
ボクはベッドから降りて、ボールペンを拾った。
カーテンを少しだけ開けて、保健の先生を探す。
先生は、机の上でなにかお仕事をしていた。
「……先生」
「ん? どうかした?」
「ペン、落ちてました」
言いながらペンを見せる。
だけど、先生はポカン、としていた。
「ペン? どこに?」
「え?」
ペンはボクが持ってるのに、先生はボクが持っているペンが見えていないのか、床をキョロキョロ見ながらペンを探していた。
本当に、見えないの?
ボクには見えるのに、触れてるのに。
ボク以外には見えない、不思議なペン。
その時、ボクはあることを思い出した。
すぐに持っていたペンをポケットにしまい、首をブンブン振る。
「ごめんなさい、気のせいだったみたい」
「そう? ならいいけど」
ボクはカーテンを閉めて、ベッドに戻った。
ポケットにしまったペンを出して、ジッと見る。
他の人には見えない、不思議なペン。
ボクはそれが何か知っていた。
お父さんが入院していた時、一緒にタブレットで見た『ブログ』。
ボクはその時『ブログ』がなにか知らなかったけど、お父さんが、日記みたいなものだと教えてくれた。
そのブログに書いてあった、『願いが叶うペン』のお話と、このペンは少し似ているような気がした。
『願いが叶うペン』は、本当は『絶対に書いてはいけないペン』という名前で、他の人には見ることができない。そのペンで書いたお願いは、1日だけ絶対に叶うらしい。
でも、ボールペンは『インク』ないと書けなくなっちゃうから、その不思議なペンも、インクがなくなるまで書いたらもう使えなくなると、お父さんは言っていた。
『もし本当にそんなペンがあったら、お父さんの病気も治してほしいな』とお父さんは言っていたけど、ペンを見つける前に、お父さんは病気に負けちゃった。
もし、これがお父さんと一緒に見た、『願いが叶うペン』なら……。
ボクはもう一度ペンをポケットにしまって、早く夕方になってほしいと心の中でお願いした。
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ようやく夕方になって、お母さんが迎えに来てくれた。
一緒に車に乗って、お家に帰る。
帰ってすぐ、ボクは自分の部屋に行ってランドセルの中から自由帳を出した。
「まず手を洗いなさい」というお母さんの言葉に、「ちょっと待って」と返事をしてから、ポケットのペンを出した。
あまり絵を描かないから真っ白な自由帳の最初のページに、ボクは必死にお願いを書く。
『お父さんと、会えますように』
えんぴつとは違うガリガリ、という音が面白くて、ボクは大きな字でそう書いた。
ペンを置いて、ボクは両手を合わせてお願いする。
お願いします。どうか、もう一度お父さんに会わせてください。
……でも、いくら待っても、お願いは叶わなかった。
「……やっぱり、そんなペンなんて、ないのかな」
がっかりして、ボクはボールペンを机の上に置いた。
「まだ?」というお母さんの声が聞こえて、ボクは「今行く」と重い足で部屋を出た。
きっと保健の先生は、たまたま見えなかっただけだ。
明日になったら、返しに行こう。
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目覚ましの音がする。それと一緒に、誰かがボクを呼んでいる声がした。
お母さんじゃない、担任の先生でもない、保健の先生でもない。
この、声は。
「ほら、もう起きなさい」
「え、おとう、さん?」
目を開けてすぐに、ボクの前にいたのは、いなくなったはずのお父さんだった。
お父さんは入院してた時より元気そうで、痩せてもいなかった。
「なん、で?」
「ん? どうしたそんなびっくりした顔して、まるでお化けでも見たみたいだぞ」
「え、だって。え?」
ボクのお父さんは、もう起きなくて。もう、小さくなっちゃって。
それで、それで。
ボクは目が熱くなった。
「お父さん!」
お父さんの胸に飛び込んで、抱きしめる。
お父さんは心臓が悪いから、そんなことしたらダメだって分かっているけど、でも、嬉しいのは止められなかった。
「お父さん、お父さん! 会いたかった」
「お父さんもだ。今日はずっと、一緒にいような」
「うん!」
それからボクとお父さんは、たくさん話をした。
お父さんが入院していた時も話はできたけど、お父さんはすぐに疲れちゃうから、ずっとはしゃべれなかった。
でも、今日は違った。
1日中しゃべっても、お父さんは疲れなかった。
いつもは「学校に行きなさい」というお母さんも、今日はなぜか言わなかった。
それどころか、お仕事も休んでボクとお父さんと一緒にいてくれた。
一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って。
1日が終わってボクがベッドに横になっても、眠るまでお父さんはそばにいると言ってくれた。
あのペンはすごい! 本当に願いが叶うんだ!
「お父さん、明日も一緒にいてくれる?」
ボクは「もちろんだ」と言ってくれると思ったけど、お父さんは少し寂しそうな顔をした。
「明日は、無理かなぁ」
「え、なんで? ボク、明日はお父さんとキャッチボールしたい」
「だってほら、あのペンは、1日しか願いを叶えられないだろ?」
お父さんはボクの頭に手を置いて、優しく撫でた。
お父さんの手が温かくて、ボクは寝たくないのに眠くなってきた。
「また明日、書いてくれたら、一緒にキャッチボールしような」
「……うん、約束ね」
約束してから、ボクは目を閉じた。
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目覚ましが鳴ってる。ボクは重い目を開けて、お父さんがいないか探してみた。けど、やっぱりいなかった。
あのペンは、本物だったんだ。
本当に1日だけ、ボクのお願いを叶えてくれる。
ボクはいそいで起きて、机の上に出しっぱなしのペンを握る。
ランドセルからまた自由帳を出して、次のページにお願いを書いた。
『お父さんとキャッチボールができますように』
書き終わった時に、お母さんの「そろそろ起きなさーい」という声がして、ボクは自由帳とペンを机の引き出しにしまった。
明日になったら、このお願いが叶う。
そう思ったら、学校に行くのも嫌じゃないような気がしてきた。
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それから、学校に行く前にあのペンでお願い事を書くようにした。
『お父さんと遊園地に行けますように』『お父さんと映画が見れますように』『お父さんに肩車してもらえますように』『お父さんと公園に行けますように』……。
ほかにもたくさん、たくさん書いた。
お願いは、書いた次の日に叶った。
1つだけ、どうしても叶わないお願いもあったけど、でも、それでもお父さんには会えた。
そうしていると、どんどんペンのインクは少なくなってきた。
そのボールペンは、外からでもインクが減っているのが見えるようになっていた。
少しずつ減っていくインクにボクは寂しくなって、インクがすぐに無くならないように、うんと小さな字で書くようにした。
それでもインクは少しずつ減ってきて、とうとう昨日、文字がうまく書けなくなってきた。
力をめいっぱい入れて書いているのに、時々インクが出なくなる。
終わりが近づいているのが寂しくて、怖くて、明日が来るのが嫌で、ボクは絶対にベッドに入るものかと部屋の隅に座った。
「そんなところで寝たら風邪引くぞ」
「……いいもん。寝ないもん」
「なに言ってんだ。夜更かししたら背が伸びなくなるぞ」
「……いいもん。チビなままでも」
お父さんの言葉も、今は聞きたくない。
だって……。
「だって、明日になったら、お父さんはまたいなくなっちゃうもん」
「……お父さんはな、もう、いないんだよ」
「いるもん、今しゃべってるもん。ボクが起きてたら、明日なんて来ないもん」
「お前が寝ようが起きようが、お日様が起きたら明日は来るよ」
「じゃあお日様もずっと寝てたらいい!」
ボクは喉が痛くなるほど大声を上げた。
なんで、お父さんが「いない」なんて意地悪を言うのかが分からなくて、分かりたくもなくて、ボクは目が熱くなった。
なんでボクのお父さんはいなくなっちゃうの。
他の子のお父さんはずっといるのに。
なんでボクのお父さんだけ。
なんで、なんで。
「なんで、お父さん死んじゃったの」
涙と鼻水で、うまく言葉が出ない。
だって、お父さんは、あの時「また明日」って言ったんだ。
ボクもまた明日会えるって思ってたから、「また明日」って言ったんだ。
なのに、お父さんは。
「……なんでだろうなぁ」
お父さんは寂しそうに笑った。
お父さんを悲しませたいわけじゃなかったのに。
お父さんは悲しい顔のまま、言った。
「……神様が、決めたんだろうなぁ」
「なんで? なんで決めたの?」
「なんでかなぁ。お父さんも、できるならずっと一緒にいたかったけどなぁ」
「じゃあ一緒にいてよ。なんで、ダメなの?」
「ダメなんだよ。ボールペンのお願いも、次で最後だ」
「なんで、やだよ。一緒にいてよ」
いやだ、いやだと泣いても、お父さんは寂しそうに笑うだけ。
なんで、なんでと怒っても、お父さんは「ごめんなぁ」と言うだけで、ちっともボクのお願いを聞いてくれない。
『願いが叶うペン』なのに、ボクが本当に叶えたい願いは叶えてくれない。
ボクは、何度も書いたんだ。
『お父さんが生き返りますように』って。
でも、そう書いた日の次の日はたしかにお父さんには会えたけど、また次の日にはもういなかった。
本当は、ボクだって分かってる。お父さんはもういないんだって。
でも、だって。
ボクはちゃんと、お父さんに「さよなら」を言ってない。
お父さんが死んだ時、ボクは学校にいて、友達とドッチボールをしてた。
だから、お母さんが迎えに来て病院に行った時は、もう、お父さんは起きなかった。
お葬式の時だって、ボクはお父さんに「嘘つき」って悪口を言っただけで、きちんと「さよなら」を言えてない。
だって、「また明日」って、そう言ったから。指切りだってしたから。
だから、お父さんはいなくなってなんかない。
でも、本当は、ちゃんと、分かってるんだ。
お父さんはもういない、もう、会えない。だから、ちゃんと「さよなら」を言わなきゃって。言いたいって、思ってる。
……ボクは、本当は。
「……一緒にはいられないけど、お父さんは、お前のそばにいるよ」
赤ちゃんみたいに泣くボクを、お父さんは優しく撫でながら言った。
「……どこに?」
グチャグチャな顔のまま聞くと、お父さんはボクの胸を指さした。
「……お前がお父さんを思い出した時、お父さんはお前のここにいる。お前がお父さんを忘れない限り、お父さんはいつもお前のそばにいる」
「……絶対?」
「絶対だ」
「約束だよ?」
「ああ、約束する」
ボクはお父さんに小指を見せたら、お父さんも小指を出して、ボクたちは指切りをした。
……今度こそ、絶対、約束だよ。
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目覚ましの音がする。
いつの間にか、ボクは寝ていた。
座っていたはずなのに、ボクはベッドに寝ていた。
お父さんが、寝かせてくれたのかもしれない。
たくさん泣いたせいで、目がヒリヒリする。
ボクはベッドから起きて、机の上のボールペンを取った。
自由帳のページも、いつの間にかこれで最後だ。
ボクは最後のページに、ゆっくりと、最後のお願いを書いた。
ここまで読んでくださり、ありがとございました。
次回の短編更新は、11月27日金曜日、18時ごろを予定しています。




