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きっとその音は、心臓が覚えている。

作者: 三千
掲載日:2026/07/10


異常気象の暑さに相まって、人混みの熱気も凄かった。


隣には、母。母に連れられて、花火大会に来ている。普段着で良いと言うのに、母が浴衣を勝手に着つけてしまう。


「愛、もうそろそろ始まるよ」

「お母さん、私、こんなの望んでない」

「でもさ、自宅で観るのと、全然迫力が違うから」


“連れて来られた感” 満載で、はあっとため息をつく。


「あ、ほら。始まった!」


母の声が踊る。


どん!!


その音は、心臓をバチか何かで、打ちつけるような衝撃波だ。


どん!!

どん!!


私は空を見上げる。

続けざまに、次々、花火は上がっている。

間髪入れずに。


母の腕を握っていた手にじっとりと汗が噴いた。


「金色の柳みたいなの、凄く綺麗……あ、今度は、レインボー!!」


母は、とても興奮していて、はしゃいでいるようだった。

いつもより高い、声のトーン。


どん!!


一瞬、静寂があった。

いや、花火は続いている。

私がただ、そう思っただけなのかも知れない。


興奮していた母が、急に大人しくなり、耳打ちでもするように、そっと。


「愛、無理矢理、連れてきちゃってごめんね。お母さん、欲張りだからさ、愛といつかこうやって、花火を観られたらなあっていう、願望があってさ」


「前から言ってたもんね」


それをずっと断っていた私。


「夢だったから。愛に浴衣を着付けしたかったし、夜店で一緒にりんご飴、食べたかったし、こうして花火を見上げたかったし」


その話を聞いてしまったら、断り辛くなってしまったのだ。


「ありがとね」


どん!! ぱらぱらぱら


母が、母の腕を握っていた私の手を離させて、そして握る。

比較的、私と母は、手を握る方だ。なので違和感はないけれど、いつもより力強く、握られているように思った。


愛、ありがとう、私の娘に生まれてきてくれて。


花火の音。

観客の歓声。

それらに掻き消されてしまったけれど、母は確かにそう言った。


「さあ、まだ花火終わってないけど、りんご飴も食べたし、混む前にもう帰ろうか」


繋いでいた手を離し、そしてまた母の腕へ。

私は歩き出す前に、反対の手に握っていた、白い杖を握り直した。


どん、どん、どん!!


帰ろうとした母の足が止まった。


「わあ、今度は三連発!」

「何色?」

「赤と、オレンジと、黄色」

「良いね」

「うん、すごく綺麗だよ」


そして、人混みを掻き分けて、歩き出す。


私は、閉じているまぶたに、ぎゅと力を込めた。


母の余命はあと半年。

ずっと私に寄り添ってくれていた母を奪っていくのは、人間の叡智を掻き集め、手繰り寄せても、どうにもできない病という名の悪魔。


「愛、お母さんの我が儘に付き合ってくれてありがとうね」

「うん」


私の視覚を奪っておいて、それなのにさらに母の命までをも奪うのか。悔しくて、鼻の奥がつんと痛んだ。


どん!!


私は見えない。けれど、その音はいちいち胸に響く。


感じる。

音を。

全身で。

母との思い出の隣で。


花火は見えなくとも、繋いだ手や言葉から伝わってくるのは、母からの“愛”。


「他に、私とやりたいことない? 出来る範囲でだけど」


すると、母は笑って。


「何よ、いつも出来ないって言うじゃない」

「まあ、前向きに検討する」

「なら、スカイダイビングかなあ」

「うっわ、えぐい」


私も、はははと笑い、細くなった母の腕に、いつものように腕を絡ませた。


この花火が終われば、静寂が戻ってくる。


二人。じゃりじゃりと砂をはむ足音、母の少し荒い呼吸音、白杖が地面をとんとんと叩く、規則正しい音。


その音に混じって、鼻を啜る音。その音に気づき、私は言った。


「……お母さんの顔、一度でいいから見てみたかったな」


母は泣いていた。


「大丈夫、愛の顔、私にそっくりだから」


どんどんどんどんどん。

そして、わあぁっと歓声。


「あ、ラストっぽいね」


「うん」


そして、母はその数ヶ月後、息を引き取った。


「スカイダイビング、さすがに出来なかったなあ」


眠っているであろう母からは、もう呼吸は聞こえない。その隣に座って、私は呟いた。



「目を、ゆっくりと開けてください」


医療の進歩により、見えなかった目が、薄っすらだけれど、見えるようになった。


月日は流れ、私は、母が亡くなった歳をとうに越していて、アラフォーを迎えていた。


「私の顔が見えますか?」


医者の遠慮がちな声。声には敏感だ。きっと、見えなかったらどうしようと思っているに違いない。


けれど、見える。


「……はい」


「最初に見たいものを持ってきてくださいと言ったよね。これは、お母さんの写真だね。素敵な写真だ、お母さん、笑っているよ」


父が選んでくれた、母の写真。


「母の顔を見たかったので」


その言葉で、フラッシュバックのように、記憶が蘇り、母が私の耳元で囁いた。


“大丈夫、愛の顔、私にそっくりだから”


ふと、思った。ねえ、お母さん。私の目が、見えるようになる未来が見えていた?


「すみません、やっぱり鏡を貸してください」


「お母さんの写真でなくて良いの?」


私は、看護師が渡そうとしてくれた手鏡を、ありがとうございますと言って、受け取る。


「──はい、母の声が聞こえたので」


きっと耳の奥の深い深い部分に、残響のように残っているのだろうな。母の声は、この歳になっても、よく覚えていた。


蘇ってきたのは、母の声だけはなく、あの日、胸に響いた花火の音。

きっとその音は、心臓が覚えている。


「お母さん、私、今度は花火を見れるかも知れないよ」


医者の隣に立つ、父の啜り泣きが聞こえてくる。けれど、お父さん、ごめんね。


私、お母さんの顔がずっと見たかったから。


手鏡を寄せ、目を閉じる。深呼吸をし、目を開く。


そこには、私の顔。


「お母さん、会いたかった。会いたかったよ」


できることなら、生きているうちに。


涙が溢れてきて、視界がぼやけてしまう。

看護師が慌てて、ティッシュを渡してきて、刺激が強いので、あまり泣かないようにと戒める。


私は涙を拭き、鼻をかみ、そしてさっきから私と同じく、涙が止まらない、父を見た。


自分の顔も、母の顔も、そして父の顔も想像より歳を取っていて、私はなぜか、少しだけほっとした。



「あんまり似てなかった」


私が不服そうに言うと「娘ってのは、父親に似るからなあ」と、吹き出しそうになりながら、父が言う。


「それに、お母さんの若い時の写真だし、写真なんかはまた、印象が違うからな」


「そうなの? お父さんから見ても、私、お母さんに似てないわけ?」


「愛はどっちかって言うと、お父さん似って言われることが多かったからね」


父が、りんご飴をひとつと追加の缶ビールを、夜店で買った。


「でもな、娘ってのは、歳を重ねるにつれ、母親に似てくるんだよ。だから、これからだと思うぞ」


さっきから缶ビールを飲んでいる、父の足取りは覚束ない。私が、支えるように父の腕を取った時、またあの音が、心臓を打つ。


どん!!

どん!!


母が亡くなってから、花火は一度も見に来てはない。辛い思い出になってしまっていたから。


わあっと、歓声が上がった。

はっとして、顔を上げる。


ぱぱぱっと色とりどりの火花が散って、漆黒の空を染めては、消えていく。

続けざまに次々と、空高くへと上がっていき、ぱっと花開く。


「──綺麗」


母がはしゃいでいたのもわかる。今、私はこの目で、あの日の母と同じ景色を見ている。


どん!! ぱらぱらぱら


金色の柳や、レインボーだったっけ?


涙が。

あの日の母の涙に重なって、こぼれ落ちていった。


花火の音は、重く変わらず、胸に響く。

この心臓に残っている音に、重なり合うように響いてくる。


ねえ、お母さん。

今、私、お母さんと一緒に、花火を見ているよ。

お母さんと一緒に、生きているよ。


私の手は、母の温もりを探しているのか、無意識のうちに宙を行ったり来たりしていて。


その手をそっと握り締め、美しく染め上げられていく夜空を見上げた。


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― 新着の感想 ―
拝読させていただきました。 優しいお話ですね。 「私」の未来に幸あれです。
久しぶりに心を揺さぶられる作品を読ませていただきました。 そして、三千さんらしい作品だと思いました。 お上手です。
ご無沙汰しています。 流れるような文章に、三千ワールドの成長を感じました。 花火から始まる母の病気や自身の目の病……時代の変化によって不治の病が治る病気に……良い話だなと思いました。 娘が5歳の時に離…
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