父の視察
改装工事の最終日。白鳥と高橋が最後の廃材を運び出し、西村がパソコンの起動チェックを終えた夜。完成したばかりの店内に、涼子の父がふらりと現れた。
仲間たちがワイワイと内装の出来栄えを見回す中、父は暖簾をくぐったところで足を止め、店を一望した。
「……ここが、あの地下か」
重い、そして一切の感情を読ませない声だった。
白とグレーの壁。居酒屋の面影は完全に消え、まるで企業が週末だけバーとして開放する秘密のサテライトオフィスのようだ。
父はゆっくりと店内を歩き、カウンターに手を置いた。
「低予算でやったのは分かる。だが、これはあまりに飛びすぎたな」
重い言葉が響き、一同が気まずそうに黙り込む。
涼子が一歩前に出た。
「飛びすぎたってことは、家飲みじゃ満たせない三つの欲求を攻めてるってことよ。方向性は間違ってないわ」
父は無言で、20台のPCを設置したテーブルを指差した。
「客は酒を飲みに来るんだ。こんな場所で本当に『知的欲求』なんか満たせるのか? それに、このリース代の回収計画の緻密さは認めるが、店の暖簾とパナソニックのロゴが並んでる光景は、どう見てもおかしいだろう」
高橋が肩にかけたギターケースを軽く叩いた。
「親父さん、ここには酒と音楽と、『サイサイセオリー』を語り合える特別な場所っていう『帰属欲求』があるんですよ。明日、俺がライブで音を入れれば、この空間に魂が入る」
父は天井のスポットライトを見上げ、静かに苦笑を漏らした。
「……俺には絶対にない感性だな……」
その口調とは裏腹に、父の口元がわずかに緩む。
「店の名は『彩』か‥だが、面白いかもしれないな」
その一言に、場の空気が一気に明るくなった。
高橋がギターケースを掲げる。「なら明日は俺の出番!アコギで景気づけて、彩を『知的エンタメ』の舞台にしてやる!」
父はゆっくりとうなずいた。
「……まあ、知り合いの社長連中にも声をかけたしな。どうせなら、盛大にやってくれ」
理沙が「やったー!映える写真撮りまくる!」と両手を上げ、西村は「初日の購買データと滞在時間を取るのが楽しみね」と目を光らせる。
山本は、レッツノートの輝きを見つめながら、心の中で苦笑していた。
しかし、その場にいる全員の顔には、確かな躍動が宿っていた。
照明が落ち、白い壁に反射していた光がやわらかく沈んだ。
白鳥がぽつりとつぶやく。
「……高校の頃を思い出すな。あの“理論で世界を変える”って言ってた時のこと。」
西村が笑う。
「社会に出て、あれは夢だったと思ってた。でも、こうして形になると――やっぱり本気だったんだなって思う。」
高橋がギターを鳴らす。
「消えかけた火が、ちゃんと残ってたんだな。」
涼子は暖簾を見上げた。
「この店が、その続きをやる場所になる。サイサイセオリーはまだ終わってない。」
仲間たちは黙ってうなずいた。
“彩”の文字がライトに照らされ、静かに揺れていた。




