地動説の事業化
店内はいつもの夜気配──カウンターの明かりだけが低く灯り、ジャズの最後のフレーズが消えかけていた。
武田はグラスを置き、ゆっくりと四人の顔を見渡した。
「おまえらのサイサイセオリーに、投資する。」
一瞬、時が止まったような沈黙。白鳥が目を見開いて、思わず口を挟む。
「マジかよ。……で、何やるの? 事業化って、具体的に何さ?」
武田は淡々と答える。
「サイサイセオリーを活かせれば、形は問わない。講座でも、企業研修でも、コンテンツでも、居酒屋『彩』をハブにしたコミュニティビジネスでもいい。要は“理論を現場で回す”んだ。お前らが考えろ。」
涼子が手を挙げるように小さく笑ってから、言葉を重ねた。
「期限は?」
「一週間後に、具体案を聞かせてくれ。」
武田の声は静かだが、そこに揺るぎない重みがある。
「一週間で骨子を出せ。金額や条件はそれから詰めよう。」
白鳥はグラスの縁を指で弾き、少し間を置いてから吐き出すように笑った。
「一週間か……やることリストが見えてきたな。で、誰が何をやる?」
そのとき、入口付近の椅子から甲斐が体を起こした。いつもの淡々とした表情に、今日は少しだけ興奮が混じっている。
「なるほど。私も社会経済学の端くれだ。おまえたちの理論を世に出す手伝いをさせてくれ。学会に殴り込みだ。」
広中が思わず噴き出す。
「学会に殴り込みって、甲斐らしいな。でも、それが刺さる層もある。アカデミアの認知がつけば事業的信頼は一気に変わる。」
皆がそれぞれ頷く。空気が締まる。白鳥がふ、と笑みを浮かべた。
武田はグラスを持ち上げ、小さく笑った。
「時間も知見も投げる。だが口は出す。最終判断は俺がする。約束しよう、使えるだけ使う。」
甲斐はしばらく黙っていたが、ゆっくりと立ち上がり、彼女のノートパソコンをそっと閉じた。
「西村さん、私がサポートするから論文を仕上げてくれ。」
その声には、学者というより“同志”の響きがあった。
武田は最後に、少し柔らかい目をして言った。
「――お前らの理論。面白そうだ。使えるかどうかは、お前たち次第だ。だが、お前たちが本気なら、俺は本気で賭ける。」
カラン――。氷の音が、いつものように夜の決意を告げた。
一週間後
理沙が両手を合わせて言った。
「ねえ、そもそも“彩”みたいな居酒屋をもう一軒やるんじゃダメなの?
雰囲気もファンもついてるし、早い話、それが一番現実的じゃない?」
西村が苦笑しながら首を振る。
「私も最初はそう思ったけど……結局、“サイサイセオリー”を活かせてないのよね。
考えたけど、自己啓発本みたいな構成しか浮かばなかったわ。」
涼子がペンを回しながら言葉を挟む。
「なら、セミナーはどう?
“理論を体験できる講座”って形にすれば、居酒屋よりスケールできるかも。」
白鳥が確認するように
「向かいのスポーツジム、まだ空き物件のままだよな?」
グラスをゴクンと飲み干し
「一階をそのままスポーツジムにして、二階を“心のジム”にするのはどうだ?
サイサイセオリーを使って、メンタルの“筋トレ”をする場所。」
理沙が目を丸くする。
「心のジム? それって、何をするの?」
「たとえば、“自分のベクトル測定”とか、“摩擦耐性トレーニング”とか。
行動心理をゲーム感覚で鍛えるんだ。」
西村が頷く。
「ベクトル診断を数値化すれば、フィードバックも出せるわね。
“今日はランクが上がってる”とか、“セフティが過剰反応中”とか。」
涼子がすぐにメモを取る。
「サブスク形態で月額モデルにすれば安定も見込める。
企業契約も視野に入れられるわ。
メインの二階を完全に差別化すれば、“体と心のジム”としてブランディングできる。」
⸻
武田が黙って聞いていたが、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「……悪くない。
フィジカル×メンタルの掛け算は、数字的にも伸びしろがある。
特に“行動心理”の分野は市場がまだ整っていない。
サイサイセオリーを活かすなら、この形が一番現実的だな。」
広中が続ける。
「それに、甲斐先生の学会発表が上手くいけば、理論の裏付けもできる。
学会で話題を取れたタイミングで、セミナー型コンテンツを展開すれば完璧だ。」
武田が頷く。
「よし、方向は見えたな。
一階は既存のトレーナーに委託し、二階はお前たちで構築する。
“心のジム”のプロトタイプを一か月で形にしてくれ。」
白鳥が笑う。
「また短ぇな。」
涼子が手帳を閉じて、力強く答える。
「一か月で仕上げましょう。“流れ”が来てるうちに。」
⸻
カウンターの上でグラスがぶつかる。
カラン――。
甲斐が静かに言った。
「学会は任せろ。サイサイセオリーを正式な理論として通してみせる。
“学問が現場に負けた夜”が、ようやく来たようだな。」
白鳥が笑う。
「じゃあ決まりだ。“彩”から“心のジム”へ。
理論を動かすのは、次のステージだ。」
武田がグラスを掲げる。
「――一週間でここまで来るとはな。
さあ、お前らの理論、現実にしてみせろ。」
ジャズが流れ出す。
閉店後の「彩」に、再び新しい夜が灯った。




