武田のリクエスト
その夜、カウンター席。
常連の武田がにやりと笑いながら、店のPC画面を見せた。
「おい、見ろ。ポイントが貯まったぞ」
西村が驚いたように身を乗り出す。
「はやっ。そんなに通ってましたっけ?」
武田は得意げに画面を見せる。
「ほら、“新メニュー券”と“リクエスト券”。せっかくだから両方使わせてもらうか」
カウンターの奥で山城が手を止める。
「……新メニュー券か」
武田は少し考えてから、にやっと口角を上げた。
「この前妻ときっかけになった映画『レオン』を久しぶりにまた一緒に見てな――スティングの『Shape of My Heart』いけるか?」
すると、ステージ脇に座っていた高橋が一瞬固まった。
「……す、スティング? Shape of My Heart? 知らねえ……一週間くれないか?なんとかするから」
すると、厨房から山城の声が響いた。
「じゃあ俺も、その時に新メニューを出すわ。まだ何も決めてねえけど……まあ、考えとく」
その瞬間、カウンターの空気が一気に引き締まった。
――一週間後、この店で「新しい味」と「新しい音」が同時に披露される。
小さな挑戦状は、確かな熱を帯びて動き出していた。
高橋の挑戦
翌日から、高橋はギターを抱えて自室にこもった。
YouTubeでスティングの映像を探し、歌詞をノートに書き写し、コード進行を耳で拾っていく。
「……変則的だな。単純なラブソングじゃねえ」
鼻歌でメロディを追いながら、彼はため息をついた。
もともとロック一辺倒で来た彼にとって、スティングの繊細で抑制の効いた表現はまるで別世界だった。
(力で押す曲じゃない。間を聴かせる歌だ……どうアレンジすりゃ、俺らの“彩”に合う?)
夜中、山城が仕込みを終えて帰り際に顔を出した。
「どうだ、進んでるか?」
「いや……コードはわかったけど、まだ自分の声に合ってねえ」
「なら、いっそ“お前の色”で弾けよ。スティングの真似はいらねぇ、おまえの切ない歌声で充分いける」
一週間後の夜。
カウンターには武田、甲斐、広中が並んで腰を落ち着けていた。
山城は厨房から大皿を静かに三つ並べた
絹の極麿ソース・カルパッチョ仕立て
一皿目は白身魚に、なめらかな豆腐ソースがかけられ、小ネギと唐辛子が彩る。
胡麻油の香りに酒麹の甘みが寄り添い、鶏ガラ出汁の旨味が淡泊な魚を引き立てる。
「……おお、酒が進むな」
武田がすぐにグラスを掲げる。
絹の極麿ソース・南蛮仕立て
二皿目は揚げた鶏の南蛮漬けに、豆腐ソースがとろりと絡んでいる。
酸味と甘みのバランスにソースのコクが重なり、予想外に軽やかな後味。
「ふむ、これは面白い……」
甲斐が目を細め、感心したように頷いた。
絹の極麿ソース・丼仕立て
最後は炊き立てのご飯の上に、薄切り牛肉と豆腐ソース。
小ネギと唐辛子が鮮やかに散り、丼全体が温かく包み込むような香りを放つ。
広中がひと口、ゆっくりと噛みしめた。
「……これは、家庭的でありながら品がある。」
山城は少し照れくさそうに頭をかいた。
「同じソースでもいけると思ったが……佐伯が何度も味見に来てな、山城さんぽくないって……結局それぞれ調整してめっちゃ苦労したよ」
⸻
ちょうどそのとき、ステージに高橋が立った。
「……じゃあ俺の番だな。一週間かけてようやく仕上げた」
アコースティックギターの澄んだ音色が店内を満たす。
スティングの Shape of My Heart。
静かに、けれどハスキーで切ない声が響き渡り、料理の余韻にぴたりと重なった。
西村が小さく呟く。
「カードを切る歌……人生を計算し尽くしても、本当の心は形を見せない……。
まるであなたたち(武田・甲斐・広中)の生き方そのものね」
演奏が終わると、三人はグラスを上げた。
武田が短く、しかし確かな声で言う。
「――どちらも見事だ。これで彩に、また新しい物語が加わったな」
高橋と山城は互いに小さくうなずき合い、静かに笑った。




