孤独と栄光と
カウンターの端で茜がグラスを両手で抱えながら、ふと笑った。
「みなさん、本当に仲が良いんですね。……喧嘩とかしないんですか?」
店内の空気が一瞬だけ止まり、みんなが顔を見合わせる。
最初に口を開いたのは白鳥だった。
「いや、前はそれなりにあったぞ。ツッコミが冗談じゃなくて本気で刺さったりな」
理沙が「私のこと!?」と抗議し、高橋が「お前は悪気なく地雷踏むからな」と笑う。
西村がグラスを回しながら、淡々と補足する。
「でも、私たちはその衝突をサイサイセオリーで解体してみたの。
たとえば“近親憎悪のシステム”。仲が近いほど相手のマイナス因子に影響されて、
つい苛立ちや嫉妬に変わる。……そういう構造を理解しただけで、摩擦はかなり減ったのよ」
涼子も頷き、にやりと笑う。
「研究っていうと堅苦しいけど、要は“この衝突は理屈で説明できる”ってわかったら、
無駄に感情的に引きずらなくなったってことね」
茜は目を丸くしてグラスを置き、少し不安げに口を開いた。
「なるほど……仲の良さの裏にそんな研究が……。
じゃあ、私がここに混ざっても大丈夫ですか?」
高橋がギターを軽く爪弾き、ニヤリと笑う。
「お前はもう十分キャラ強いから、心配するな。
喧嘩より先に、笑いのネタになるタイプだ」
白鳥が皮肉っぽく付け加える。
「つまり、彩に来た時点でお前も研究材料だってことだな」
その瞬間、厨房から山城が顔を出してぼそり。
「研究材料は料理だけで十分だ……人間まで実験するなよ」
店内がどっと笑いに包まれ、茜もようやく肩の力を抜いて微笑んだ。
高橋と茜が演奏を終えた頃、カウンターの奥で、武田がグラスを傾ける。
債券市場の猛者――勝ちも負けも億単位の世界で生きる男だ。
「数字と睨み合ってるときは、誰にも弱みは見せられん。
でもな、ここでは“ただの武田”でいられる。それがありがたいんだ」
その隣で、甲斐が静かに笑う。
大学の准教授、論文と講義に追われる日々。
「学内では常に“正解”を提示しなきゃならん。
でも彩では、間違えても茶化されて笑いで済む。
……そんな居場所、外にはまずない」
一番奥では広中が豪快にウイスキーをあおっている。
ベンチャー企業の社長、社員と投資家の期待を背負い続ける男だ。
「社内で“寂しい”なんて言ったら終わりだ。
孤独は背骨みたいなもんで、折れたら会社も沈む。
でもここじゃ、俺の孤独も笑い話に変わる」
三人の言葉に、白鳥がふっと風刺を混ぜる。
「なるほどな。市場も学会も経営も、“孤独を美徳にする世界”ってわけか。
で、彩はその美徳の裏に隠してる人間臭さを吐き出す場所、ってことだな」
高橋が演奏の汗を拭き取りながらぼそりとつぶやく。
「……結局ここは、孤独者の承認待合室かもしれんな」
理沙が首をかしげる。
「待合室? じゃあここからどこに行くの?」
西村が笑って答えた。
「また孤独に帰るの。でも、一度承認をもらっていれば、その孤独は前より軽いのよ」
店内は静かな笑いに包まれ、孤独を貫く三人の顔にも、わずかに安堵の色が差していた。
グラスを傾ける音が一段落し、カウンターの端で武田が口を開いた。
「しかし、やっぱり『彩』はいい店だな。」
彼はグラスを軽く回しながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「クラブやスナックと違って、ここには忖度のないフィードバックがある。
客も店も遠慮せず、思ったことを言える。
それが、この場所のいちばんの価値だ。」
白鳥が「なるほど」と頷き、西村が微笑を浮かべる。
その隣で、甲斐が眼鏡を押し上げながら言った。
「確かに。私の研究室では、遠慮ばかりで本音が出ない。
でもこの店では、“理論がわからないならわからない”と、
はっきり言ってくれる。忖度がないのは、本当にありがたいことだよ。」
広中が軽く笑い、ソファにもたれた。
「まあ、接待は接待でいいさ。
でも、こうして個人の隠れ家で本音を語れるのは、本当に貴重だよ。」
武田がうなずいた。
「そうだな。立場も肩書も置いて、ただの一人の人間として話せる。
それが――『彩』の強みだ。」
カウンターの灯がやわらかく揺れ、
奥では高橋のギターが静かにブルースを奏で始める。
理沙がカウンター越しに笑った。
「じゃあ、今日のテーマは『忖度ゼロナイト』で決まりね!」
店内に笑いが広がり、
それぞれのグラスが、静かに、しかし確かにぶつかり合った。
──『彩』の夜は、理論と人間の本音が溶け合う場所。
そして、その本音こそが、サイサイセオリーの次の進化を生み出していくのだ。




