茜の初ステージ
カウンターに腰かけた武田が、静かにグラスを回していた。
その横顔は普段通り寡黙だが、どこか疲れを帯びた眼差し。
「……ゴールドもユーロも、最近はどうにも高すぎる。」
低い声でそう漏らすと、隣の高橋が興味深そうに首をかしげた。
「やっぱり武田さんがそう言うと、説得力あるな。……やっぱり相場、近いうちに動くんですか?」
武田は苦笑して肩をすくめる。
「俺はただの証券屋さ。ただ、長く市場を見てるとわかるんだ。
人が群がる“安全資産”ほど、不安定なもんはないってな。」
グラスを置き、指で軽くカウンターを叩きながら続ける。
「金が跳ねるのは皆が恐れてる証拠。ユーロが買われるのは皆が一時の安心を求めてる証拠。
でもな……その安心こそが最大の罠だ。
気づいた時にはもう、逃げ場を失ってる。」
白鳥が思わず口を挟む。
「サイサイセオリーで言えば、“セフティ”に偏りすぎると逆に危うくなる、ってことか。」
武田は片眉を上げて笑う。
「ほう、面白ぇな。俺の言葉を理屈で補強してくれる奴がいるとはな。」
その一言に、場の空気が一段と引き締まった。
理沙が「武田さん、そろそろ茜ちゃんの初ステージが始まるよ。こっちまで緊張してくる」
ステージにスポットライトが落ちる。
茜はベースを握りしめ、肩で呼吸を整えていた。視線の先、客席には甲斐の姿。腕を組み、じっとこちらを見ている。
高橋がギターを鳴らし、西村が小さくカウントを取る。
ドラムのスティックが振り下ろされ、店内にジャニス・ジョップリンの「Move Over」が響いた。
茜は指先を震わせながらも、リズムに合わせて必死に弦を刻む。
思いのほか低音が心地よく響き渡り、店内の空気を揺らした。
演奏が終わると、甲斐が目を丸くして低く唸る。
「……おまえら、よくこんな曲知ってるな。」
高橋は汗を拭いながら肩をすくめた。
「客が好みそうな曲は、なるべく練習してんですよ。やっぱり喜んでもらいたいんで。」
茜はまだ鼓動が落ち着かないまま、ベースを抱えてうつむき加減に笑った。
「……居場所、見つけたかもしれない。」
甲斐は無言でグラスを掲げ、それが最高の承認であるかのように小さく口角を上げた。




