茜の葛藤
週末の「彩」。
昼のコワーキング営業が一段落し、カウンターには二つのケーキが並んでいた。
一つは、山口茜が夜なべして作ったショートケーキ。
苺が美しく整列し、生クリームは絞り出し口の形が一つも乱れていない。
もう一つは、山城が「ついでに作った」と豪語するざっくりとしたケーキ。
クリームは塗りむらだらけで、苺も適当に置かれている。
「さ、食べ比べしようぜ!」と高橋が楽しげにナイフを入れる。
一口目を口に運んだ佐伯が、思わず声を上げた。
「わー! 茜ちゃんのはめちゃくちゃ綺麗で上品な味! でも……」
次の瞬間、山城のケーキを食べて表情が変わる。
「なにこれ……雑なのに……めっちゃ美味しい!!山城マジック?」
白鳥も苦笑しながらうなずく。
「山城のは素材の甘さが直球でくるな。
茜のは完成度高いけど、なんていうか……ちょっと距離感がある味だ。」
「距離感……」
茜の胸がきゅっと締め付けられる。
彼女は自分のケーキを見下ろした。
きれいに整った苺、均一に広がるクリーム。
なのに、どうして“心”で負けてるんだろう。
横で山城は悪びれもなく笑っている。
「料理なんて、出汁と油と甘みさえ押さえときゃ大体うまいんだよ。」
その言葉が、茜の耳に刺さった。
私は技術で戦ってる。でも、あの人は雑でも“人を笑顔にする味”を作れる。
負けたくない。
でも、この差を埋めるには何を足せばいいのだろう。
茜は悔しさを飲み込みながら、無言でスプーンを握りしめた。
営業を終えた「彩」の厨房。
片付けの音が遠のいた後、静かな空間に山口茜が立っていた。
クールな顔つきのはずが、今はどこか迷いと焦りを帯びている。
「……あの、山城さん。」
おにぎりを頬張っていた山城が振り向く。
「ん? なんだよ。」
茜は拳を握りしめ、必死に言葉を探した。
「……ケーキのこと、教えてください。」
山城はぽかんと口を開け、次の瞬間、吹き出した。
「はぁ? お前、あんなに本格的に作ってたのに?
俺の雑なケーキに負けたのが、そんなに悔しいのか?」
茜は頬を赤く染め、唇を噛んだ。
「……悔しいです。でも、それだけじゃないんです。」
胸の奥の熱を押し出すように続ける。
「彩に入って、初めて“ここに居たい”って思えたんです。
私の音もケーキも、ちゃんと受け止めてもらえた。
だから……絶対に、この居場所を逃したくないんです。」
その必死さに、山城は言葉を失った。
やがておにぎりを机に置き、肩をすくめて笑う。
「……なるほどな。居場所か。」
彼は冷蔵庫から卵を取り出し、にやりと笑った。
「いいぜ。俺はケーキ作りなんて面倒だから、本当はやりたくなかったんだ。
お前が俺のコツを盗んでくれるなら、俺は助かる。
それに……“居場所”のために頭下げる奴は、嫌いじゃねえ。」
茜の胸が熱くなり、思わず深く頭を下げる。
「……ありがとうございます!」
山城はスティックをくるくると回しながら呟いた。
「よし、まずは“客の顔を想像しながら作る”ってところから始めるぞ。
お前の繊細さに、それを混ぜたら最強になるかもしれねえな。」
茜はノートを取り出し、震える手で必死にメモをとった。
ここで役に立つ。ここで生きる。絶対に、この居場所を逃さない。
その決意が、彼女の瞳を強く輝かせていた。
翌日の昼下がり。
営業前の「彩」に、雑巾を持った茜の姿があった。
派手めな髪色に、ブランド物っぽいパーカー。けれど今は袖をまくり上げ、額にタオルを巻いて、床をゴシゴシこすっている。
「……ふぅ、意外と大変……」
息を切らしながら立ち上がると、カウンターの奥から西村が笑いをこらえつつ声をかけた。
「茜さん、似合わないけど、けっこうサマになってるわよ。」
「に、似合わないって言わないでください!」
ムッとしながらも、茜はまた腰を落としてテーブルの脚を丁寧に磨き始める。
その様子を見ていた山城が腕を組んで、ぼそりと呟く。
「……ケーキ作りより掃除に本気出すとはな。まあ、ここを自分の居場所にしたいってことか。」
茜は聞こえているのかいないのか、黙々と雑巾を動かし続けた。
その背中には、ケーキだけじゃなく、この店そのものに「関わりたい」という必死さが滲んでいた。
カウンターの奥で、朝比奈が帳簿をパラパラとめくりながら顔を上げる。
「茜のケーキ、昼のカフェタイムと夜の締めのデザート、両方で出せるわね。これで滞在時間も延びるし、単価アップも狙える。」
すかさず西村がノートPCの画面をくるりとこちらに向ける。
「実際、昨日からの売り上げデータを見ても、かなり好調。特に夜のラストオーダー近くに頼むお客さんが増えてるわ。」
茜は顔を赤らめながら、うつむき気味に微笑む。
「……山城さんに教えてもらった甲斐がありました。」
カウンター越しに山城がにやりと笑って、
「まあ俺はラクできるし、結果オーライだな。」
店内にささやかな笑い声が広がる。




