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25歳の誕生日のプレゼントは地下負債物件  作者: シンリーベクトル


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ブルーチーズ

ブルーチーズ

カウンターに運ばれてきた皿から、ふわりと独特の匂いが漂った。

発酵の強烈な香りが、居酒屋の空気に一筋混じり込む。


武田はまるで当然のようにナイフで小さく切り取り、迷いなく口に運んだ。

「……うむ。やはりクセがあるほど旨い。」

低く響く声に、隣の理沙が思わず顔をしかめる。


「ちょっ……! 武田さん、それ食べるんですか!?

だって匂いだけでノックアウトですよ!

人間の食べ物じゃないって、これ!」


店内がどっと笑いに包まれる。

武田は眉一つ動かさず、赤ワインを口に含んでから淡々と答えた。


「理沙。な、この“青カビの香り”こそが熟成の証だ。

苦味や臭みを楽しめるようになってこそ、大人の舌だ。」


「いやいやいや!」理沙は鼻をつまみ、半泣き顔で両手を振った。

「大人っていうか……味覚と嗅覚が修行僧でしょそれ!

わたしだったら一口で天に召されるわ!」


白鳥が吹き出し、山本がツッコミを入れる。

「……理沙、お前のオーバーリアクションの方が周りをノックアウトしてるぞ。」


理沙はむくれた顔でストローを噛みながら、匂いのする皿を横目で睨んだ。

「信じられない……ほんとにこの匂いを好んで食べる人がいるなんて。」


その横で涼子が手帳を開き、クスリと笑う。

「でもね、こういう“強烈なクセ”を愛する層がいるのも事実よ。

むしろ彩のメニューに加えたら、他店との差別化になるわ。」


武田は満足げに頷き、皿のブルーチーズを再び味わった。

匂いに顔をしかめる佐伯と、ワインを楽しむ武田。

その対比に、店は再び笑い声で包まれた。



 閉店後の“彩”。


奥の防音シャッターが半分下ろされ、深夜の練習スペースには柔らかな灯りだけが残っていた。


扉が開き、ベースを背負った山口茜が姿を現す。


茜は昔から人と接するのが苦手だった。

仕事でも何かあればすぐに辞めてしまう。

そんな自分が嫌で、何度も泣いた夜があった。

けれど兄から譲り受けたベースだけは、なぜか続けられた。

音を出している間だけは、自分を嫌いにならずに済んだからだ。


──数日前。


茜はこの店の階段の前で立ち止まっていた。

手すりには「キッチンスタッフ・ベース担当募集」と書かれた張り紙。

通り過ぎようとして、立ち止まり、また戻る。

昼も夜も、何度も同じ階段を降りかけては上っていた。

胸の奥で何かがざわめいていた。


(やりたい。けど……また長続きしなかったら、どうしよう。)


決心がつかずにいた数日間。

けれど、夜の静けさの中で「スタジオ利用できます」の文字が灯に照らされて見えたとき、

ふと足が動いた。

「少し覗くだけ」――そう自分に言い訳しながら、茜は階段を下りていった。



髪は少し明るめに染められ、クールな目つきで周囲を見回す。

「……ここ、スタジオ利用でいいんですよね?」


高橋がギターを抱えながら振り向く。

「おう、好きに使えよ。音出すならシャッター下ろしてな。」


茜は無言でうなずき、ベースを構える。

低くうねるリフが地下に響くと、その瞳が一瞬だけ輝いた。


やがて高橋が顎で合図を送る。

「せっかくだし、俺らと合わせてみるか?」


「……いいですよ。後悔しないでくださいね。」

挑発的な笑みを浮かべ、茜は応じた。


次の瞬間、音が重なった。

高橋のギターが力強くコードを刻み、山城のドラムが鋭くリズムを打つ。

そこに茜のベースが絡み、地下の空間はライブハウスさながらに震えた。


演奏が終わると、茜は肩で息をしながらも抑えきれない笑みを見せた。

「……すごい。音がちゃんと“繋がってた”。」


高橋がギターを下ろし、満足げに口角を上げる。

「悪くなかったろ?」


茜は一瞬ためらったが、決意を込めて口を開いた。

「……私に、この店でベースを弾かせてください。

それと……ケーキも作らせてください!」


山城が目を丸くする。

「ケーキ……?」


茜は少し頬を赤らめながら言葉を重ねた。

「小さい頃からお菓子作りが好きで、誕生日には必ずケーキを焼いてきたんです。

バンドをやっていても、それだけはやめられなかった。

だから――ベースとケーキ、両方なら“彩”に貢献できると思います!」


高橋は思わず吹き出した。

「クールぶってるのにケーキ職人志望かよ!

最高じゃん、“彩”にぴったりだ!」


「笑わないでください!」

茜は真っ赤になってそっぽを向く。

何をやっても長く続かなかった。

人と合わせるのが苦手で、それでもベースだけは練習し続けた。

これだけは負けまいと。


――ここなら、私の音も、私のケーキも、両方受け入れてもらえる。


山城はしばらく黙って茜を見つめ、やがて頷いた。

「……悪くねえな。音と甘みが加われば、この店はもっと面白くなる。」


高橋も笑みを浮かべ、二人でうなずき合う。

その光景を見て、茜は小さく拳を握った。


深夜のセッションは、“彩”が新しい仲間を迎え入れた瞬間だった。



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