深夜の閃き
その夜、「彩」は閉店を迎えていた。
カウンターのグラスは片付けられ、照明は落ち着いた柔らかな灯りだけが残っている。
奥からは、まだ火の温もりを残す厨房の匂いがわずかに漂っていた。
高橋はギターを膝に置き、静かに弦を鳴らす。
「……んー、やっぱ夜のこの響き、悪くないな。」
横で山城がスネアを軽く叩き、テンポを合わせる。
「ドラムセット持ってきたら、本気でスタジオになるんじゃねえか?」
二人はしばらく無言のまま、音を重ねていた。
ギターのアルペジオとドラムの軽いリズムが、空っぽになった店内に心地よく響く。
やがて高橋が手を止め、ふと天井を見上げた。
「……なあ、思ったんだけどさ。」
山城がスティックを回しながら目を細める。
「なんだよ。」
「この店、真ん中に防音のシャッター付けたらどうだ?
営業中は居酒屋。でも閉店後はシャッター下ろして、スタジオに切り替えるんだ。」
山城は一瞬黙り、ニヤリと笑う。
「お前、マジで言ってんのか?」
「マジだよ。」高橋はギターを抱え直し、真剣な目を向ける。
「弾き語りや配信やりたい奴らは練習場所に困ってる。
しかもここは地下だろ? 立地的にも最高だ。
“居酒屋兼スタジオ”なんて、他にねえだろ。」
山城はスティックでテーブルを軽く叩き、リズムを刻みながら頷いた。
「……確かに。俺らにとっては練習の場。
彩にとっては新しい収益源。
音と酒が両方ある店――悪くねえな。」
二人は笑い合い、再びセッションを始めた。
深夜の「彩」に響く音は、ただの遊びではなかった。
それは次の進化を告げる、未来へのリズムだった。
⸻
翌日。
テーブルの上にはノートPCとびっしり書き込みの入ったノートが広げられていた。
高橋と山城は昨夜の勢いそのままに、熱弁を繰り返す。
「だからさ、シャッターを閉めてスタジオにすれば……!」
「バンドマンも弾き語りも、夜中の練習場所に困ってるんだ!」
白鳥が腕を組んで呆れ顔を見せる。
「お前ら……夢はあるけど、現実的に回るのか?」
そこで涼子がPCをこちらに回し、冷静に数字を示した。
涼子の説明
「まず、完全なバンド用スタジオにするのは不可能。
工事費も消防基準も現実的じゃない。
でも――“簡易防音の弾き語り・配信ブース”なら実現できる。」
彼女はグラフを表示する。
「例えば、深夜帯(23時〜翌朝5時)を一枠2,000円で貸し出す。
週5日稼働すれば、ひと月で約16万円。
さらに昼間のアイドルタイム(14時〜17時)には配信用ブースとして1時間1,500円で貸し出せる。
これで月に10万円は追加できるわ。
飲食の売り上げに加えて、この“副収入”が彩を安定させるのよ。」
西村が目を輝かせる。
「なるほど……アコギや配信なら防音シャッターと簡易工事で十分だわ。」
山城はスティックを握ったまま、にやりと笑った。
「……つまり、俺らの深夜練習も“売上”に変わるってことか。」
高橋がガッツポーズ。
「最高じゃん! 音楽と理論、両立できる!」
白鳥は苦笑しながらも、画面を見つめてうなずいた。
「……数字が立つなら、話は別だな。」
涼子はPCを閉じ、満足げに言葉を添えた。
「彩は、居酒屋・研修スペース・スタジオ兼配信ブース――三毛作で動かす。
どれかが不調でも、他が支える仕組みにする。
これが現実的な“生き残り方”よ。」
武田がグラスを掲げ、低く笑う。
「……25歳にしては上出来だな。俺が資金を動かしたくなるくらいだ。」
笑い声と拍手が広がり、地下の「彩」はさらに強固な未来図を描き始めていた。
⸻
昼下がりの「彩」。
昨夜の賑わいは消え、店内は落ち着いた空気に包まれていた。
各テーブルにはノートPCを広げた利用者が静かに作業をしている。
カウンターでは西村がLANケーブルを整え、電源のチェックをしていた。
ドアが開き、若い女性が小さな三脚とマイクを抱えて入ってきた。
「すみません……ここ、コワーキング利用で予約してた者です。」
涼子がすぐに立ち上がり、にこやかに迎える。
「どうぞ。こちらのお席を自由にお使いください。
もし配信をされるなら、奥の簡易防音ブースをお勧めしますよ。」
女性は少し驚いたように目を丸くした。
「配信……対応してるんですか?」
案内された奥のスペースには、防音パネルと小さな照明、背景用のスクリーンが設置されていた。
女性は思わず笑みをこぼす。
「すごい……カフェでもコワーキングでも、こんな環境はなかなかないのに。」
高橋がギターを片付けながら横から顔を出す。
「歌配信もできるぜ? 俺らも昨日、ここで試したばっかだ。」
女性は頷き、機材をセットすると、数分後には軽快な声がブースから流れ始めた。
「こんにちは、今日も配信始めます!」
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山城が腕を組みながら、厨房から覗き込む。
「……本当に需要あるんだな。」
西村は満足げに微笑んだ。
「昼はコワーキング、夜は居酒屋、深夜はスタジオ。
利用者層が違うから、互いに干渉しない。
三毛作がこうして回ってるってわけね。」
白鳥は水を注ぎながら、小さく笑った。
「……25歳の俺たちにしては、上出来だな。
夢物語じゃなく、ちゃんと現実に回り始めてる。」
涼子は胸を張り、静かに言葉を重ねた。
「“彩”は居場所を三つの形で提供する。
働く場所、憩う場所、表現する場所。
それが重なるからこそ、この店は生き残れるの。」
昼の光が差し込み、ブースから響く配信の声が店内に広がっていた。
夜とは違う顔を見せる「彩」が、未来への確かな一歩を刻んでいた。




