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第七章 ②


「ひぃっ! ちょっと、やめてください!」


 訪ねてきた男は史弥が振りかざす灰皿に驚き、その場で尻餅をついてしまう。時景はその顔を見て驚いたように大きく口を開ける。マサは叫んでいた。


「ま、マスター!? どうして? いつ目覚めたのですか?!」

「コトちゃんの女中さん! なんでそんな物騒なものを持って……何かあったのですか?」

「マスターこそ、どうしてここへ」


 浴衣を着て、頭には包帯が巻かれたまま。まるで病院からそのまま抜け出してきたかのようだ。


「事情は看護婦から聞きました。テルも警察に連れて行かれたって……いてもたってもいられず、どうしても英先生と話がしたくて。俺と、琴乃さんの事件に関して」

「アンタ、やっぱり何か知っているな。あの切り抜き、やはりコイツは琴乃のことを調べていて……!」


 時景の剣幕に克治は慄いていた。そして、きょとんと眼を丸める。


「き、切り抜き?」

「テルさんが持ってきたんだ。アンタが殴られていた日に! 琴乃の事件に関係してるんだろう? 連れ去ったのも、お前なんだろう!」

「おい、時景、落ち着け!」

「……お嬢さんが、連れ去られた……? 嘘でしょう……?」


 声を荒げる時景を、史弥とマサが一緒に押さえつける。尻餅をついていた克治は佇まいを直し、その場に正座をした。


「……今まで何もお話しせず、大変申し訳ございませんでした。俺と、お嬢さんの関係について。お嬢さんが記憶喪失と知って、俺、何も言えなくなっちまって」


 克治は背筋を伸ばし、まっすぐ時景を見つめた。


「……俺は、宮園家のお嬢さんに恩があります。一生かけても返しきれないくらいの恩が」


 時景は克治の風貌をまじまじと見つめていた。克治の顔を見ていると、遠い記憶が呼び起こされるような気がした。克治は時景の記憶を掘り起こすように、自らの話を続けていた。


「俺は去年の春、俺はお嬢さんに助けてもらったことがあります。これが、その証拠です!」


 彼が懐から取り出したのは白いレースのハンケチ。マサが悲鳴を上げた。


「それはお嬢様の! どこかで失くしたと話していた……お嬢様が自分で刺繍したハンケチです!」


 史弥が克治の手からそれを奪うように取る。確かにマサの言うとおり、ハンケチには「KOTONO.M」という朱色の刺繍が施されていた。時景はあることを思い出していた。脳裏によみがえるのは、琴乃と初めて出会ったときのこと。


「……あの時の浮浪者が、アンタか?」

「はい。あの日、俺はお嬢さんに命を助けていただいた。俺はその恩を返さなければならねぇ。英先生、どうか俺を信じてくれませんか?」


 克治の瞳は、まるで琴乃のそれのように澄み切っている。彼の話していることが真実であるいうことを雄弁に語っていた。時景はよろよろと、その場に座り込む。


「それに、俺はテルの疑いも晴らしてやりたい。あの野郎をとっ捕まえて、警察に突き出して……」

「ちょっと待て、マスター。もしかしてアンタ、犯人の顔を見たのか?」


 史弥が震える声で問いただす。その言葉に、克治は首を横に振った。


「でも、心当たりはあります」


 克治の言葉に三人が息を飲むように、短く悲鳴を上げる。マサは克治を、史弥は時景をそれぞれ引き起こして、ちゃんと話をしようと居間に向かった。

 そこで克治は事件が起きた時のことを振り返った。


「納戸にいた時、店や納戸の明かりが消えたんです。何事かと思っていたら、頭を殴られました。真っ暗だったので顔は見えませんでしたが……おそらく、その晩会うことを約束していた奴です」


 長く話をすると額が痛むのか、彼は包帯の上から眉間のあたりを抑えた。時景は急ぐ気持ちと彼を労わる気持ちの板挟みとなり、せわしなくちゃぶ台を指でコツコツと叩いている。史弥がゆっくりと問いただした。


「……会う約束? 兼ねてからの知り合いか?」

「いいえ。でも、奴は一度店に来たんです、客として。昔賭場で見たことがある顔だと思って。その時、奴は琴乃お嬢さんの話をしていて……きっとお嬢さんの事件に関りがあるんじゃないか、と思って俺なりに調べていて……。そうだ! あの時、アンタも一緒だっただろう!」


 克治は史弥を指さした。


「頼む、やめてくれ!」


 克治の言葉を遮る史弥の声は、まるで悲鳴だった。彼は頭を抱える。


「アンタだって、もうわかっているんじゃないですか? 誰が犯人なのか……ずっと一緒にいたんでしょう?」

「……一緒にいたからだよ。疑いたくない気持ちだってわかるだろう?」


 史弥は天井を仰ぎ、ため息をつく。彼の表情には諦めのような覚悟が滲んでいた。時景は、自身の周りにまつわる出来事を思い出していた。


 琴乃の財産について知っている。

 史弥が集めた事件資料から、重要書類を抜くことができる。


 そしてなにより、宮園家と深いかかわりを持っている。


「灰皿は、こういうワケか……」


 史弥の観念するような言葉、時景はハッと思い至った。あの時、琴乃が怯えていたものの【真の正体】に気付いたのだ。時景は小さく呟く。


「煙草の火でもなく、灰皿でもないなら……灰皿を持った島村三郎に、琴乃は怯えていた」


 悲鳴をあげそうになったマサは口元を手で覆っていた。まさか、あの三郎がこんな凶行を繰り返していたなんて露とも思わなかったから。彼はマサと話す時だっていつも通りだったから。

 三人の反応を見て、克治は頷く。


「二年ほど前……俺が賭博場に出入りしていた頃、あの若者を何度も見かけました。いつも大金を賭けては負けるのを繰り返していて。よくない輩から金を借りているという話も耳にしたことがあった。だから、ウチの店に来たときは本当に驚きました」


 克治は考えた。なぜ琴乃の家が狙われたのか。それは単純に金銭を目的としていたからではないか? と。借金を返す金を得るために強盗のような真似をしたのではないか、と。そう思い至ってから時々店を休みにしては、かつて出入りしていた賭博場に聞き込みに行っていたそうだ。


「賭博場の奴らに若い新聞記者の男は来ていないかと尋ねたら、皆知っていました。そうとう借金が嵩んでいる、とも。だからお嬢さんの家を狙ったに違いない。まずは俺が話を聞いて、もし怪しい様子を見せたらすぐに警察に引っ立てようと思ったんですが……」


 話を聞くどころか姿を見る前に昏倒させられてしまった。恥ずかしいのか、克治は俯いている。


「それで、お嬢さんとあの若造は今どこに……?」


 時景は首を横に振る。克治の顔が青ざめていく。落ち込んでいた史弥は己を鼓舞するように「よし!」と大きな声を出していた。


「俺達の手で三郎をとっ捕まえて、奥さんを助けよう」


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