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第六章 ④


***


 だが、社会部の記者からも警察からも時景が知っている以上の情報は得られなかった。容疑者であるテルは事件への関与は否定しており、警察もしっかりとした証拠もなく逮捕状が請求できないということだけ。取調室で頑張っているテルのためにも、早く事件を解決してあげたい。きっと琴乃だってそう望んでいるはずだと時景は思い、夜遅くまで現場周辺の聞き込みをしていた。


翌朝も英家に泊まっていった史弥と共に早く外出してしまった。


 嵐のように去っていく二人。普段なら寂しく思ったかもしれないが、今は琴乃にとっては好都合だった。身支度を整え、髪もしっかり結いあげる。昨夜受け取ったばかりの電報は鞄の中に仕舞った。マサが心配そうに外出の準備をしている琴乃を見つめる。


「琴乃様、やはり一人では危ないのでは? 私も一緒に……」

「いいえ、決めたんです。私一人で彼に会うって。日が暮れる前には帰ってくるから、心配なさらないで」


 琴乃はマサを英家において、一人汽車に乗る。一人で乗るのは記憶を亡くしてから初めてだった。流れゆく車窓を見ながら緊張する心を整えるように何度も深呼吸を繰り返す。彼女が向かっているのは帝都の中心部だ。


 待ち合わせ場所に指定されたのは、高級そうな洋風ホテル。琴乃があっけに取られて見上げていると、彼女に気付いた給仕の男性(ボーイ)が扉を開けてくれた。


「英様でいらっしゃいますね」

「え? は、はい! そうですが……」

「鷹栖様は喫茶室でお待ちです。どうぞ、こちらへ」


 給仕ボーイに先導されながら、琴乃はホテルの階段を昇り、二階にある喫茶室に向かう。その中はボロボロのロマン堂と比較するのは失礼になるほど、豪華な調度品で溢れていた。思わず尻込みしていると、喫茶室の奥の席に座る若い男と目が合った。彼はすぐさま立ち上がり、琴乃に向かって深々と礼をする。きっと彼が、琴乃の元婚約者に違いない。琴乃は給仕の男性に礼をして、その席に向かった。

 彼はまっすぐと立ち、琴乃を迎える。仕立てのいいスーツには光沢があり、ボタンのひとつとっても輝いている。ポマードを付けているのか、髪型もきっちりと七三に分かれていた。彼が上流階級の人間であることは見ただけで分かった。

その姿、見覚えがある。琴乃は「あっ」と短く声を上げた。


「もしかして、以前、ロマン堂にいらしていた方ですか?」


 男――鷹栖勇二郎は驚き、目を丸めている。


「たった一度行っただけなのに覚えているなんて。相変わらず、その聡明さには舌を巻きますよ、琴乃さん。……改めて『初めまして』ですね。鷹栖勇二郎と申します」

「英琴乃です。お時間を作っていただき、誠にありがとうございます」


 琴乃が「英」と名乗った一瞬だけ、勇二郎は唇を噛んでいた。しかし、頭を下げていた琴乃はそれには気づかなかった。


「おかけになってください。電報を貰ったときは驚きました、まさか琴乃さんから会いたいなんて言われる日が来るなんて」

「急に申し訳ございません。ただ……どうしても聞いておきたかったのです。元婚約者であるあなたの口から、私と鷹栖様の関係について」


 元婚約者、鷹栖様……琴乃は勇二郎との間にはっきりと「身内」と「他人」を区別する線を引いている。勇二郎はそれを寂しく思った。


「宮園家と鷹栖家は、あなたの父上・忠信さんが会社を興したころからの関係だと聞いています。鷹栖家は宮園紡績に出資をしていて、会社は戦争の需要もありどんどん大きくなり……その陰で鷹栖家は力を失っていきました」


 勇二郎の祖父が亡くなり父親が爵位を継いでから、その求心力は一気に弱っていったそうだ。慕われていたのは祖父であり、鷹栖の名ではなかったということだ。しかし、父はそのことに気付くことができず、名声を取り戻そうと金を遣い、気づけば鷹栖家は困窮していた。宮園家は恩を返す意味も込めて困っていた鷹栖家を支援してくれることになった。


「しかし、それは『タダ』というわけではない。それぞれの家が人質を立てた。それが、私と琴乃さんだ」

「人質……?」

「私を、宮園家の一人娘だった琴乃さんの婿として迎え入れる。宮園家は跡取りを手に入れて、鷹栖家は宮園家の資産を手に入れる。あなたがまだ幼かったときには、もう私たちが結婚することが決まっていたんですよ」


 勇二郎は天井を見て、大きく息を吐いた。知らないことばかりで、琴乃の胸が忙しなく騒めいていく。


「私はあなたとの関係は、それなりにうまくいっていると思っていた。【あの日】が来るまでは」

「それは……事件が起きた日、ですね」


 勇二郎は何も言わず、ただ深く頷く。そしてしばらく何かを考え込むように額に手を当てた。琴乃は騒ぐ胸を押さえながら彼の言葉を待つ。どれほど待ったか。それは数秒だったか数分だったか。でも琴乃にとってそれはまるで永遠に近いような時間だった。勇二郎は再びため息をつき、椅子に深く座った。まるで観念したと言わんばかりに。


「……誰にも言わなかった話があります。あなたのことに関して」

「私のこと? どのような話なのでしょうか?」

「あまりに屈辱的で誰にも言えなかったこと、親にも警察にも、英先生にも話していないことです。……事件が起きた日、あなたは私に会いに来たんです」



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