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第六章 ②


 時景のその言葉に、琴乃は恐怖を感じ身震いしていた。家族を殺し自分も襲った犯人が近くにいるかもしれない……底知れぬ恐怖が琴乃を襲う。


「マスターは私に関わったから襲われた、ということはありませんか?」


 不安に押しつぶされそうになる琴乃。彼女のそれを感じ取ったのか、時景は琴乃を強く抱きしめていた。もし彼女と関りを持ったから彼が襲われるのであれば、真っ先に狙われるのは自分だ、時景はそう考える。しかし、そんなことを言ったら彼女の不安を煽るだけ。時景はじっと口をつぐみ、ただ彼女を抱きしめていた。時景は無事で、克治だけが襲われた。もし宮園家事件との関りがあるならば、その違いに事件解決の糸口があるはずだ。

 いつもなら安らぐ彼の胸の中、でも今晩だけは琴乃の不安な気持ちは晴れないままだった。どうか克治が無事に目覚めますように、と強く祈り続ける。明日の朝、病院に行ったら平気な顔をして朝食を食べていないかしら? どうかそうであってほしい、琴乃の目尻からは祈りの涙が一筋流れていた。


 しかし、琴乃の祈りはただの「都合のいい想像」にすぎなかった。

 翌朝、病院に向かう琴乃たち。テルは『克治の宝物』だけでも持っていってあげたいと言っていたけれど、まだ警察の捜査中でロマン堂に入ることもできなかった。すっかり肩を落としているテル。その姿が琴乃の目にはとても不憫に映ってしかたがない。

 病院に向かう途中で三郎とも合流する。史弥の姿は見えない。時景が三郎に彼について尋ねるが、彼は別の仕事で忙しいようだ。しばらく来ることはできないかも、と三郎が言葉短めに話す。こんな時に役に立たない奴だ、と時景はいらだちを見せていた。


 克治の病室につくが、琴乃たちの祈りもむなしく克治はまだ昏睡状態だった。横たわる克治の姿を見て、テルはぽろぽろと涙を流す。


「どうしよう……このままオッサンが目を覚まさなかったら。ウチ、また一人になっちゃう……」


 弱音を吐露するテルの背中をマサが撫でる。琴乃もそのか細い肩に手を添えた。慰めていると大勢の足音が近づいてきた。三郎は身構え、時景は琴乃たちを庇うように前に立つ。病室に男たちが飛び込んできた。

 足音の正体は、巡査だった。


「ここにロマン堂の女給がいるな? 被害者と共に暮らしていた者だ」

「……ウチのこと?」


 テルが自分を指さす。それに気付いた巡査が、彼女の腕を掴み強引に引っ張っていこうとする。テルは叫び声をあげていた。


「痛い!」

「おやめください! なんてひどいことを!」


 琴乃も声を荒げるが、巡査たちはその抗議を一蹴してしまう。


「ひどいことだあ? この女のやったことの方がひどいだろう!」


 巡査の大声に琴乃は思わず怯んでしまう。時景は二人を病室の奥に押し込み、巡査の前に立った。


「何の話でしょうか? どうしてテルさんを連行しようとするのか、理由をお聞かせください」


 時景は整然と言い返す。巡査は大きくため息をついた。


「その女を傷害事件の容疑者として取り調べを行うこととなった」

「……ヨウギシャって、何……?」


 聞いたことのない言葉にテルは首を傾げていた。巡査はそんなテルを馬鹿にするように鼻で笑う。


「お前が犯人だということだ。……学のない娘だというのは本当だったか」

「お待ちください! 何か証拠があるのですか! テルちゃんが犯人だという証拠が!」


 琴乃はいてもたってもいられなくて、時景を押しのけて前に出て、巡査相手に声を張り上げる。時景やマサが彼女を止めようとするが、琴乃は止まらない。


「お前に不在証明アリバイがないだろう」

「この子はマスターが倒れていた時、我が家にいました! 私どもが証人です!」

「それは不在証明アリバイとは言わん! お宅に行ったのも、それを偽装するためだろう。事件を起こしてから向かった可能性の方が高い!」


 別の巡査も援護を始めるように口を挟んでくる。


「そうだ。それに、ロマン堂のマスターに対して強い動機を持つ者がおらんのだ」

「テルちゃんにもないでしょう!」

「一緒に暮らしていれば、動機の一つや二つあってもおかしくはない。詳しい聴取は警察に行ってからだ、ほら、来い!」

「嫌、やだ、助けてコトちゃん!」


 巡査がテルの腕を強く引っ張り連れて行こうとしている。琴乃はテルを引き留めようとするけれど巡査の一人が琴乃を強引に引き離し、時景のいる方向へ突き飛ばしていた。


「琴乃、大丈夫か?」


 琴乃を抱きとめた時景が彼女の身を案じる。巡査は琴乃を見て憤慨するように鼻の穴を膨らませた。


「保護者の方ですか? 婦女子が男に口答えをしない方がいいと言い聞かせておいてください」

「コトちゃん! 助けて!」

「待って、テルちゃん!」


 手を伸ばすけれど、もうテルの手はつかめなかった。廊下の向こうからテルの叫び声が聞こえる。


「ウチはやってない! どうやって大の男を殴り倒せっていうのよ、ウチ、女よ!」

「女でもあんなにバカでかい灰皿で男を殴れば簡単に昏倒させられるに決まっている!」


 遠ざかっていくテルと巡査の会話を耳にした瞬間、琴乃の脳裏に見たことのない景色がうっすらと現れた。充満する煙、豪華な調度品、何度も後ろを振り返っているのか視線が前から後ろ、後ろから前と慌ただしい。これは一体、何なのか……琴乃はその景色に潜り込もうとしたが、次の瞬間には強い頭痛に襲われる。琴乃は後頭部のあたりを抑え、その場にしゃがみ込む。時景は彼女を支えるように座り込んだ。


「お、お嬢さん?」


 三郎も琴乃に手を伸ばす。しかし、時景はその手を強くはじいた。触れるなと言わんばかりに三郎を睨んでいる。時景は琴乃を抱き寄せ、耳元で何度も「大丈夫」という言葉を繰り返す。琴乃が落ち着くまで何度も。


「今、医者を呼んでまいります」

「あぁ、頼む、テルさん」

「いえ! あの、少し頭が痛んだだけですから……先生、テルちゃんは、これからどうなるのでしょうか?」


 それは誰にも分からない。しかし、犯人さえ見つかれば、彼女はすぐに釈放されるに違いない。ただ、警察がテルのことを犯人だと決めつけている。きっと彼女はひどい尋問を受けるだろう。それを想像した時景は唇を噛む。自分には何もできないのかと思うと、歯がゆい。

 その思いは琴乃も同じだった。テルのために、克治のために、琴乃ができること……痛む頭を抑えながら琴乃は考える。そんなものは、この世に一つしかないのだ。


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