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第四章 ④


 ロマン堂に着いた二人。琴乃がドアを開けた瞬間、見知らぬ二人の女性が勢いよく琴乃に抱き着いてきた。


「きゃあ!」


 思わず悲鳴を上げてしまう琴乃。けれど二人はぎゅっと抱き着いて離れてくれる気配はない。困った琴乃が時景を見上げると、彼は「やれやれ」と呆れるように眉を下げて二人の肩をそっと突いた。


「千代さん、梅子さん。彼女が困っているから、少し離れてもらえますか?」

「ごめんなさい! 英先生。琴ちゃんに会えて感激してしまって……」

「琴ちゃん、元気そうで本当に良かった!」

 

 耳のあたりで短く髪を切りそろえて洋装を着ている女性は、まだ琴乃に抱き着いて離れてくれない。時景に千代と呼ばれた女性が「梅ちゃん」と呼びかけて、ようやっと彼女も離れてくれた。


「琴ちゃん、本当に久しぶりね」


 華麗な打掛を着ている千代が琴乃の手をぎゅっと握る。そして琴乃をロマン堂の中に誘った。


「積もる話はたくさんあるんだから、まずは座りましょう? マスター、注文はいいかしら?」

「どうぞ、お嬢さん方」


 琴乃と千代、梅子は紅茶を、時景は珈琲を頼む。お嬢さんという言葉に千代は「ふふっ」と楽しそうに笑った。


「お嬢さんと呼ばれるのは久しぶりだわ」

「千代は今、伯爵家の奥方様だもんね」

「梅ちゃんは師範学校に通っているんですもんね。琴ちゃんは……一年でだいぶ変わっちゃったわね、私たち」

「まさか英先生と一緒に、こんなに近いところで暮らしているとはね。先生から手紙が来てびっくりしちゃった。私、てっきりどこか自然の多い保養所にいるんだとばかり……」


 梅子の言葉に千代は深く頷く。


「先生もよくご存じでしたわね。私の今の住所。結婚して実家を離れましたのに」

「まあ。そこは伝手を使って」


 史弥が持ってきた事件資料の中に関係者を網羅した住所録があり、その中に二人の住所もあったのだ。彼は琴乃の友人まで調べていたらしい。さすがに彼女たちは無関係だと思うが……今回はその情報に助けられた。


「どう? 琴ちゃん、私たちに会って何か思い出せた?」


 梅子が前のめりになって聞いてくる。二人をがっかりさせるかもしれないが、琴乃は嘘をつけなかった。二人の顔を見ても全く何も思い出せないまま。素直に首を横に振る。そんな琴乃の反応を見た千代は悲しそうに顔を伏せるし、梅子は肩を落とした。その反応に罪悪感を抱いた琴乃は、二人から視線を逸らしていた。時景はすぐに琴乃が抱いている感情に気付き、彼女たちにバレないようテーブルの下で琴乃の手を握った。少しでも不安が和らぐように、と。


「そんなに簡単なものじゃないよね、記憶を取り戻すなんて。それで、英先生。お手紙に書いてあったことなのですが」


 梅子は背筋を伸ばす。三人ががっかりしている間にテルが紅茶と珈琲を持ってきてくれて、千代はやってきた女給に向かって丁寧に頭を下げていた。


「事件の前のことを教えてほしいって。私たちの女学校時代のこと、ですよね?」

「はい! 私が英先生にお願いしたんです。昔のことを知りたいから、私のことを知っている人に会ってみたい、と」


 時景ではなく琴乃が口を開く。どんな過去でも受け入れると決意した時の勇気が再び奮い立つ。琴乃のまっすぐな瞳を見て、千代と梅子は顔を見合わせて頷いた。


「……あの事件の前、琴ちゃんのことで印象的だったのは、やはり、許嫁様との関係についてでしょうか?」

「もしかして結婚のことで悩んでいるのかな? って思うことはありました」

「宮園家は紡績業を営んでいて、戦争もあって随分繁盛していたみたいだったけれど……琴ちゃんが一人娘だったから、お婿さんを取ることが小さなころから決まっていたって。鷹栖男爵の次男の方だと聞いています」

「帝大生って言ってたかな? もう卒業なさったのかしら?」

「今年の春に卒業したと聞いてますわ。とても賢くて穏やかな方だと、私の嫁ぎ先のお義父様も褒めていらっしゃいました」

「でも、お婿さんが穏やかでもねぇ……」


 何か言いたげに梅子は頷き、千代は少し言いづらいのか紅茶を口にしていた。それから先のことを知りたいのだ、琴乃は二人を見つめる。琴乃の視線に先に根負けしたのは梅子だった。いや、もしかしたら喋りたくってうずうずしていたのかもしれない。


「相手のお母様が少し難しい人だった、とは聞いているわ」

「鷹栖様は男爵家、琴ちゃんのお父様は実業家。財産は宮園家の方が多かったでしょうけれど、身分は鷹栖様の方が高いですからね。気位の高い方だと、そのような家に自分の婿を出すのは……と思う方はいると思います」

「琴ちゃん、一度愚痴を言っていたな。琴ちゃんの趣味を悪く言われたって」

「私の趣味って、もしかして読書ですか?」


 琴乃の言葉が思いがけなかったようで、二人は驚き、表情はパッと華やいでいく。


「もしかして、琴ちゃん、今も本を読むのが好きなの!?」


 穏やかに話していた千代が大きな声を出す。琴乃は驚き、口をぽかんと開けてしまう。千代は大きな声を出したことを恥じたのか自らの口元を抑える。


「は、はい、そうですけど……」

「ごめんなさい、つい大きな声を出してしまって。でも、なんかホッとしてしまって」

「記憶が無くなっても、琴ちゃんの根っこの部分は変わらないのかもね。読んでいるのは英先生の本かしら?」

「はい!」

「やっぱり。琴ちゃん、女学校の時から大好きだったからね、英先生の小説」


 梅子と千代は時景の顔を見てニヤリと笑う。


「まあ、琴ちゃんが悩んでいたのは結婚のことだけじゃないっていうのが、私たちの考えなんだけど」

「そうそう。私たち、ずっと琴ちゃんは『恋の悩み』を抱えているんじゃないかって思っていましたの」


 恋? 琴乃は首を傾げていた。二人はまだニヤニヤと笑いながら時景を見た。



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