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第四章 ②

 着任式を終えた後、時景は先に送っていた荷物を整理するために国語科研究室にいた。少しでも過ごしやすくするため箒を持って掃除をしていると、とても控えめにドアを叩く音が聞こえてきた。時景はドアに向かって呼びかける。


「どうぞ」

「し、失礼いたします!」


 緊張のあまり上擦った少女の声。ゆっくりと扉が開き、おどおどとした女生徒が入ってきた。時景は口をぽかんと開ける。そこにいたのは先ほどの少女だったのだ。まさかこんなにも早く彼女と再会することになるとは。


「私、宮園琴乃と申します。五年生です」


 五年生ということは最終学年か。宮園琴乃と名乗った少女はもじもじとつま先をすり合わせて、言葉に迷うように「えっと」「その」と繰り返していた。時景は彼女が話し出すのを待つ。


「先ほどは作家の英先生とも知らず、大変失礼な真似してしまい、申し訳ございませんでした!」


 そう言って琴乃は勢いよく頭を下げる。もじもじしているのではなく、もしかして彼女は照れているのでは? と時景は感づく。ひょっとして、自分の作品の愛好家ファンなのでは? 時景がそれを指摘すると彼女はわずかに飛び上がった。


「は、はい!」


 彼女の頬がうっすらと紅色に染まり、瞳は潤み、声は緊張のあまりさらに上擦る。


「私、先生の著書はすべて読んでおります!」


 すべて? いまいち信じがたい。それが解き怪我の顔に出ていたのか、彼女は慌てて具体的な雑誌名を出し始めた。


「婦人月報も月刊ロマン少女も、帝国少年も、先生が学生時代に短編小説を掲載なさっていた新文明という同人誌も! すべて網羅しています!」


 文芸に志した頃に掲載された同人誌も知っているなんて、時景は彼女を疑った自分を恥じる。琴乃は一気に喋って息が切れたのか肩で呼吸をしていた。


「そんなに雑誌やらあまり知られていない同人誌まで。よく集めましたね」

「父にお願いしました。母は私の趣味に良い顔をしないのですが、父は私には少し甘いので。同人誌は、こ……帝国大学に在学している知人の伝手で」


 よほど熱心な英時景の愛好家ファンとも言える。時景はあることに気付いた。


「……もしかして、宮園さんが一番好きな作品は『南洋英雄譚』ですか?」

「まあ! 何でわかったんですか?」


 南洋英雄譚はまだ大戦が終結していなかったころ、勇ましい軍記物を書いてほしいと頼まれて少年誌で連載していた話だ。若い士官が活躍し、ときに部下を助けながらお国のために邁進する物語だ。


「先ほど言っていたでしょう。好きな小説に出てくる士官に憧れている、と」


 主人公の士官が暴力的な上官から部下を助ける話も書いた。きっと先ほどの彼女はあれの真似をしていたのだ。それが時景にバレて恥ずかしいのか、琴乃は首まで真っ赤になっていた。先ほどからコロコロと表情が変わる、けれどその瞳の輝きは変わらなかった。その瞳に魅入られたのか、話している内に時景は彼女に興味を抱くようになっていた。


「宮園さんのお宅ではどの新聞を取っていますか?」

「え? 新聞ですか? 実業家の父が社会のことを常に把握しておきたいと言って、配達してもらえる新聞はすべて……」

「その中に太陽新聞は?」

「ございます」

「来週から毎週日曜日、俺の連載作品が太陽新聞に掲載されます。ぜひ読んでください、できたら感想もいただけたら」


 太陽新聞の担当者には始まるまで誰にも話してはいけないと言われていたのに、思わず口を滑らせてしまった。わずかな後悔とそれを上回る満足感。目の前の少女が目を大きく丸めて、その瞳をさらに強く輝かせる。嬉しそうに微笑む姿を見て、時景も思わず微笑んでいた。彼女が喜んでいるのを見ているだけなのに、自分も少しは嬉しいと思うなんて。


 この時はそれが「作家としての喜び」だと信じ込んでいた。



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