避雷針
霊感があるなどと抜かす奴は――すべからく敵だよ。
1.
都市開発等の⼯事の最中、⼈⾻が発掘されることはよくあるのだという。
それらは概ねヱ⼾時代から盟治時代にかけての⼈⾻で、副葬品などから庶⺠のものであると類推されることが多い。
そこがかつて墓地などであった場合、多ければ千体以上の⼈⾻が発掘されることすらあるのだという。
だが――
その⽇、ある⼯事現場で発掘された⼈⾻は、明らかにそれらとは様相が異なっていた。
胴体及び四肢の⾻は⾒当たらず、数⼗個の頭蓋⾻だけが発掘されたのだ。
鑑定の結果、それらはみなヱ⼾時代のものであり――
全て⼦供のものであることが判った。
2.
⿇婆⾖腐を⽫ごと放り投げたような名前の占い屋の扉を開けると、中には先客がいた。
予約が⼊っていない時間帯のはずだが――と急いで扉を閉めようとすると、椅⼦に座っていた男性が、こちらも慌てて⽴ち上がる。
ああ、すいません、私は客じゃないんですよ。
先輩とお約束があったのでしょう、⻑居して申し訳ありません――
そう⾔って頭を下げるスーツ姿の男性は、眼鏡にかかった前髪を払いのけた。
随分――若く⾒える。
⽊下先輩からお話は伺っています、よい――ご友⼈であると。
ああ、私は⽚桐といいまして、⽊下先輩の――
⽚桐と名乗る男がそう⾔ったところで、⽊下じゃない、天元だ――と、店主の声が聞こえた。
ついでに⾔うと後輩でも無いぞ、商売敵だ――
――状況がとっちらかっていて理解が追いつかない。
なんですか先輩、商売敵って。
僕はただのサラリーマンじゃないですかあ――
弱ったような声でそう返す⽚桐に、天元はにべもなく答えた。
霊感があるなどと抜かす奴は――すべからく敵だよ。
3.
その時の気持ちは――
今でははっきりとは思い出せません。
悲しいはず、迚も悲しかったはず――だったと思うのですが。
体の傷が塞がるように、記憶に刻まれた傷も塞がってしまうのでしょうか。
⼈は――忘れます。
忘れてはいけないと、頭では判っていても――
⺟上、上⼿く描けましたよ――
半紙に描いた絵を墨だらけの⼿で誇らしげに掲げる息⼦に微笑みかけながら――
私はこの⼦の姉の事を思い出していました。
4.
僕のは霊感じゃあないですよ。
いや、そもそも霊感なんてあるかどうかも判らないじゃないですか――
⽚桐と名乗る男は、頗る機嫌の悪そうな店主にそう弁解していた。
まあ、⽊下――否、天元は、どうしたわけか霊感だの霊能⼒者だの⼼霊だのを蛇蝎の如く嫌っている。
話の合間を縫って、私は⽚桐に声を掛けた。
⽚桐さんと仰いましたね、僕のは、ということは――何かあるんですか、その、特別な感覚が。
ああ、申し遅れました私は――
私が名乗る前に、天元が⾔った。
冷たく――感じるそうなんだ。
たとえば事故やなんかが起こった場所にいくだろ、気味が悪いなあ、嫌だなー、怖いなー、みたいな場所に⾏くだろ、すると――空気が冷えたように錯覚するんだと。
天井を向いたまま⾔うということは、天元はこの話題にまるきり興味ないということだ。
まあ、錯覚か共感覚か判りませんが――実際冷たく感じるんだからしょうがないですよ。
ここも――少し寒いですもんね。
⽚桐は――厭な事を⾔った。
そ、それで⽚桐さん、今⽇は定男――じゃなかった、天元に何かご⽤があったんじゃないですか。
私の⽅はいつでもいい話なので、よかったら続きを――
あ、そうだ⽚桐。
ルポライターにも聞いてもらえよ。
専⾨的なご意⾒が聞けるかもしれんぞ。
何だ、何の話だ。
思いっきり警戒する私と天元を⾒⽐べながら――
⽚桐は申し訳なさそうに話を始めた。
5.
あれから私は――
⼦供の泣き声が嫌いだ。
息⼦が⽣まれてからも、それは変わらない。
いや、本当は――
泣き声が――
聞こえなかったことが――忌まわしいのだ。
6.
僕は中堅の⽂房具メーカーに勤めてるんですけどね。
よく⾏く町中華があるんですよ、営業ルートの途中に。
ここのタンメンが美味くてですね。
僕ね、タンメンにそんなに存在意義感じてなかったんですよ実際。
損した気分になるじゃないですか、野菜ばっかりで。
野菜尽くしかよと、野菜のびっくり箱かよと――
お前のタンメン観はどうでもいいわ。
その町中華の店主にお伝えしろ。
⽚桐の話を天元が遮り、軌道修正を促す。
まあ、私も――タンメンは頼まんわな、とその時は呑気に聞いていた。
ああ、すいません話逸れちゃいましたね。
で、その店――清⿃軒っていうんですけど、ビル街の真ん中にあるんですよ。
清⿃軒――
私の記憶の⽷を、その店名が微かに弾いた。
で、こう、店から⾒て左側――そっちから来る時は何も感じないんですけど。
右側から来るときに――
ひどく冷たいんですと、⽚桐は⾔った。
⽇当たりだろと、天元はつまらなさそうに⾔う。
いや先輩、南向きなんすよ、その店。
それに、仮に⽇当たり悪くてもですね、真夏の炎天下で冷たいってことはないでしょう。
あんまり暑い⽇だったから、逆にタンメン⾷べようと思ったくらいで――
⽚桐はそう熱弁した。
その後、少しばかり声を低くして――
で、ずっと気にはなってたんですけど。
その店の左側にあるビルの裏――⼯事が始まったんですよ
ビルの建て替えかなんかですかね。
で、地盤が弱いのか、⼟壌改良のために地⾯を掘り返してたらしいんですが――
⼤量の頭蓋⾻が発掘されたそうなんです。
え、と思わず声が出た。
訝げにこちらを⾒る⼆⼈を交互に⾒ながら、私は⾔った。
実はな天元、私も――その話をしに来たんだ。
私の⾔葉に――⽚桐は⼾惑い、天元は眉を顰めるのだった。
7.
他に――⼿はありますまい。
祈祷を⾏っていた男はそう⾔った。
布団の上では、息⼦が⾼熱にうなされている。
しかし、そのようなこと――赦されるのか。
ご⼦息のためならば――やむを得ないかと。
同じような境遇の⼦供の話は、聞いたことがある。
関係のないことと、思っていたのだが――
⽗上――
熱による譫⾔か、息⼦はそう⾔った。
儂じゃ、ここにおるぞ――
熱を帯びた⼩さな⼿を握ってやる。
息⼦がいなくなるなど――
もう――あんな思いは――
⼩さな⼿を握ったまま。
私は決断を迫られていた。
7.
発掘された⼈⾻は――全て⼦供か、もしくは新⽣児の可能性が⾼い――らしい。
⼯事に伴う⼟壌改良時に、ヱ⼾から盟治時代の⼈⾻が出⼟するのは、ままあることだそうだ。
ただ、今回は頭蓋⾻だけで、しかも⼦供のものだからな。
ニュースでも多少話題になってたが――
私の⾔葉を継いで、天元が気怠げに⾔う。
んじゃ⽚桐、ソレだろ。
その頭蓋⾻が寒さの原因だ、もう間違いなくそれだ、解決してよかったな――
まるでやる気がない。
それが原因って、んなわけないでしょう。
ああいや、でも――経験上からすると、それが原因としか思えないのか。
参ったなあ――
思うにこの⽚桐という男、⼀般的な概念での霊感は信じていない――というより、あるかどうか判らないと思っているようだ。
それだけに――⾃分の感覚に⼾惑っているのだろう。
それを相談しに来たのかもしれないが――相談相⼿が悪いわな。
だらしなく椅⼦にずりさがって座る天元を⾒やって、私は溜息混じりに⾔った。
まあ、⽚桐さんの感じる冷たさは判らないですが――ひとつ奇妙な事があってね。
ニュースでは触れられてなかったんだが――発掘された⼦供の頭蓋⾻な。
その全てに――日付と名前が彫り込んであったそうなんだ。
むくり、と天元が⾝を起こした。
私はメモを読み上げる。
嘉栄■年 ⼗⼀⽉朔⽇ 宗吉
■栄二年 ⼗⽉⼆⼗■⽇ 進■助
■■四年 三⽉■⽇ 重吉郎
享■五年 ■⽉⼋⽇ 累
■宝⼗⼆年 六⽉■⽇ 菊
――これは、ほんの⼀部なんだがな。
⽇付と――名前、ですか。
そりゃまた――何のためなんでしょうね。
その⼦の誕⽣⽇かな。
⾃分の⼦供のしゃれこうべにそんなもん刻んでどうすんだよ。
記念品じゃねえんだぞ――⽚桐の呟きに、天元が突っ込む。
いやな天元、私も最初はそう考えたんだ。
でも――違和感あるよなあ、やっぱり。
取材の途中で知り合いの警察関係者からこの事を聞いたとき、私が最初に思いついたのも⽚桐と同じ考えだった。
その頭蓋⾻の主の誕⽣⽇、あるいは――命⽇。
命⽇だとしても、違和感はそのままですね。
スライドするだけっていうか――
⽚桐の⾔うとおり、命⽇だとしても何故そんなことをしたのか、という疑問は残ったままだ。
埋葬するときに彫り込むことは不可能だから――
埋葬後、⽩⾻化した後に掘り出して彫り込んだ事になる。
参ったな、ますます気味が悪いじゃないですか。
もう清⿃軒⾏くの⽌めようかな、でもなあ、タンメンがなあ――
そんなに美味いのかタンメン。
今度⾏って、注⽂してみようかなと思った時――
天元が⽴ち上がり書棚に向かい始めた。
どうした、何か思いついたのか、との私の問いに、ああ、とかうん、とか曖昧に答えながら、天元は一冊の本を書棚から取り出した。
背表紙は⼀瞬しか⾒えなかったが――世界の護符、という⽂字が読めた。
まあ、単なる想像なんだがな――
本の⾴を繰りながら、天元が呟く。
その誕⽣⽇だか命⽇だかと名前さ――
頭蓋⾻の主のものじゃないんじゃねえかな――
天元の⾔葉に、私も⽚桐も怪訝な顔をしたに違いない。
主じゃないって――ますます解らんぞ。
なんでまた、他⼈の情報を⾻に刻みつけるんだよ――
だから、他⼈じゃねえってことさ――天元は、本のある⾴を私達に⽰した。
仮にそうだとして――
この頭蓋⾻に施されたことが――赦されることなのか俺には判らん。
だが――込められた願いには――寄り添えなくもない、と思う。
天元の⾔葉を聞きながら、開かれた⾴を覗き込む。
載っているのは簡素な⼈形の写真だ。
男の⼦と、⼥の⼦を模したものだろうか。
写真の隣の説明⽂に⽬を移す。
――これらの⼈形は天児、または這⼦と呼ばれ、広く⺠間に流布していたようである。
⼀般に、降りかかる災いに⼈形を本⼈と誤認させ、⼦供を守るために祭られたとされ――
⼈形を本⼈と誤認させ――
私と⽚桐は、思わず顔を⾒合わせた。
8.
赦してくれ――
産声を上げること無く⼟に還るはずだった娘の頭蓋を塩で清める。
知らず、涙が溢れてきていた。
息⼦の横たわる部屋に読経が響く。
涙で滲む視界の中で。
私は愛する娘の頭蓋骨に。
病に苛れる息⼦の⽣まれ⽇と名前を刻みつけた。
嘉栄二年 ⼗⽉⼆⼗七⽇ 進之助――
9.
⼦供を災いから守るのに、他⼈の頭蓋は使えねえわな――
下⼿すりゃそいつが――災いを呼ぶかもしれないしな。
だって怒るだろ普通、勝⼿に――他⼈の天児にされたらよ。
天元の説明に、私は⼾惑いながら答える。
じゃ、じゃあその頭蓋⾻は――名前を刻まれた⼦供の―― 死産、或いは早逝したきょうだいのものだと――
だから想像だって⾔ってるだろ。
そう考えると、いろいろ腑に落ちるってだけさ。
⼈間に似せた⼈形よりは――⼈間そのもののほうが災いから守ってくれそうだろ――
⾝内なら、なおさらよお――
天元は、⼼なしか寂しそうにそう⾔った。
10.
⽇の光を浴びながら、私は庭を駆け回る進之助を⾒ておりました。
私は――悲しみを忘れてしまうことを恐れていました。
今は――如何なのでしょうか。
悲しみは、増したのでしょうか。
それとも、癒えつつあるのでしょうか。
降り注ぐ⽇の光の強さのせいか――
息子の側で笑う娘の姿を⾒た――ような気がしました。
忘れるでも、癒やすでもなく――
寄り添えればいいのか、と――
私はその時初めて、そう思えたのでした。
11.
⽚桐が営業に戻ると、店内がやけに広く感じた。
理髪店の店主に思いを馳せながら、私は椅⼦に腰を下ろす。
どうだ、ネタになりそうか。
そう訪ねる天元に、私は⾸を横に振る。
いいや、できなくもないが――気が進まないね。
何も証拠はないし――証拠があるなら尚更そっとしておくべきだろう。
そう――それがいいだろうな、と天元も呟いた。
あの――⽚桐さんか。
彼の感覚――不吉な場所で感じる冷たさは――何なんだろうな。
そう独り⾔ちると、誤配線だろう、と天元は⾔った。
どういうことだ、と⽬で問うと、天元は億劫そうに椅⼦に座り直す。
これまた、仮説に仮説を乗せて想像で煮詰めたような話になるがな――
共感覚、ってあるだろ。
そういえば、さっき⽚桐も⾔っていた。
簡単に⾔うと、脳の機能の分担が混乱している状態だ。
⾳や数字や物の形に――⾊を感じるのが代表的な例だな。
そこはお前の受け持ちじゃねえよって所に、⾊を認識する領域が被ってる――らしい。
⽚桐の場合、温度を――それも低温を感じる領域が混線してるんじゃないかな。
混線してるって――何処に。
私の疑問を察したのか、天元は軽く咳払いして続ける。
⼀⽅でよお、⼈間の脳ってのは――間違った電流を流すこともあるんだそうだ。
たとえばお前が誰かにボカっと殴られるとする――痛いわな。
痛てえ、って電流――信号がお前の脳みその中で流れるわけだ、ところが――
それを横で⾒ていた俺の脳にも、同じ信号が流れることがある。
それはつまり――他⼈の痛みを想像、いや物理的に再現してるってことか。
らしいぜ――と、天元は嘯いた。
それに加えて――ここから先は眉唾だけどな、⼈の感じる恐怖や悲しみが、その場に焼き付けられるという説がある――テープレコーダー仮説ってやつでな。
場所に刻みつけられたマイナスの感情が、テープレコーダーみたいに再⽣されるという説だ。
ずうっと同じ場所で、同じ⾏動を繰り返す幽霊なんかは、そいつ本⼈の意思があるわけじゃなく――場所に記録された情報が再⽣されているだけって訳だ。
眉唾だなと⾔うと、最初っからそう⾔ってるだろと返された。
場所に焼き付けられた電気的な痕跡が、⼈間の脳に作⽤するとする。
殴られたわけでもないのに電流が流れるようにな。
霊感があるなんていう粗忽者は、これを幽霊と勘違いするわけだ。
ところが⽚桐は――
そこに低温を感じる領域が混じってるのか。
私の⾔葉に天元は、無理⽮理に理屈を付けるとそうなるってだけだ、と答えた。
九割、いや、⼗割あいつの勘違いだ――
その勘違いのおかげで、頭蓋⾻の謎が解けたんだからいいんじゃないかと⾔ったが、 解けてねえよ、想像だよと毒づく。
しかし――
天元は私のメモを⾒ながら続ける。
⽣年⽉⽇が不明だから占うことはできんが――
この⼦供達が天児や這⼦のおかげで無事に守られた、とは――
――信じたいな。
天元の呟きに、私は珍しく――
素直に同意したのだった。