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空が白み始めた頃、丘の上に一人の男が立っていた。
その男は崖下を暫く覗き込んだ後、肩に担いでいたロープを垂らした。
俺は目の前に下りてきたロープを掴んだ。
二、三度引っ張って大丈夫だと確かめるとするすると登って丘の上に立った。
俺が丘の上に這い上がると腕組みをして立っていた男はロープの端を結わえた木からロープを外す。
「遅えよ」
俺が文句を言うと男は苦笑した。
「なあ、なんであんたは俺を助けたんだ? 俺の命を狙ってたんじゃねえのか?」
男の名前はジェラール。ついこの間まで仲間だった盗賊団の首領の右腕と言われていた男だ。こいつは滅茶苦茶強え。首領より強え。何でこいつが首領じゃねえのかわからねえ。
俺はこの盗賊団を裏切った。お宝を独り占めして逃げた。だからこいつは俺の命を狙っている筈なんだ。だけどあの戦いの最中こいつは俺に囁いた。
「崖下を見ろ。あそこの出っ張りが見えるか? 俺に切られた振りをしてあそこに飛べ」
崖の少し下にちょうど人一人乗れるくらいの張り出しがあったんだ。だから俺はそこに向かって飛び降りてジェラールが助けに来るのを待っていた。
待っている間こいつがどうしてここ、アルタウスの領地に居たのか、どうして俺を助けたのか考えたけどわからなかった。
「ロイクに頼まれたんだ、お前を助けてやれってね」
ロイクっていうのが首領の名前だ。こいつだけが首領を名前で呼ぶ。
はあ? 何でだ? 何で裏切った俺を首領が助ける? やっぱりあいつは俺に気があったのか? うう気色わりい。
「お前が考えているような理由じゃねえぞ。まあいい、俺は早く戻らなきゃならねえ。奴らは今日すぐに王都に出発すると言っていた。お前は奴らが出て言ったら屋敷に来い。裏門から入って厨房の外の辺りで待っていろ。わかっているとは思うが人目に触れるなよ」
ジェラールは言い捨てて屋敷の方に戻っていく。
「待てよ! ロージーは王都に連れて行かれるのか? その前に助け出さなきゃならねえ」
俺が追いすがって言うとジェラールは呆れた顔をした。
「お前……随分あの姫さんに入れ込んだな。だが今乗り込んでも同じことの繰り返しだぞ。屋敷にはもっとたくさんの騎士たちがいるからな。助けるにも準備が必要だ」
「待っていたらロージーはあのクソ王子と結婚させられて殺されちまうんだぞ! 騎士なんか何人いても俺が全部始末してやる」
「それであの姫さんを連れて逃げるのか? どこまで? 大勢の追手がかかるぞ。ここに来る時みたいにこっそりお前たちを始末する訳じゃない。王子の婚約者を誘拐したとして大っぴらに追跡できる。お前は大罪人だ」
「俺の罪状が少し増えたからってどうってことはねえよ。元から捕まりゃ縛り首だ」
「だから待てって。俺が言っているのは計画を立てて逃走経路も確保してあの姫さんを救い出せってことだ。いいか、俺が相談にのってやる。だからくれぐれも早まった真似はするな。いいな!」
そう言いおいてジェラールは屋敷に戻っていった。
奴は信用できるのか? だけどあいつは俺を助けた。あの時奴が俺を助けることにメリットはなかったはずだ。そう考えると信用してもいいのかもしれない。いや、甘い考えは禁物だ。
俺の心は揺れ動いた。揺れ動きながらじりじりと待った。ロージーのクソ親父の屋敷から馬車が護衛を引き連れて出ていった時には飛び出していきそうになった。
それでも飛び出さなかったのはジェラールの言葉に嘘が無いように感じられたからだ。他人を信用しても裏切られるだけだ。騙し騙されて俺は生きてきた。それでも今回は信用できると俺の勘は言っていた。
馬車が出ていってじりじりしていると厨房の入り口からジェラールの顔がのぞいた。少し辺りを見回して顔が引っ込んだので俺は辺りに人がいないのを確認して厨房のドアから中に入る。
しかしこの屋敷は人がいなさすぎじゃねえか? 昨日も今日も警戒はゆるゆるだ。
厨房の中でジェラールは待っていた。俺が中に入ると顎をしゃくったので二人で食料品の貯蔵庫に入る。
「早くロージーを助けに行こうぜ」
俺が言うとジェラールは苦笑した。
「まあ待て。姫さんは王子と結婚式を挙げた夜までは無事だろう。それまで計画を練る時間は十分ある。それに助け出してハイ終わりじゃねえ。どこに逃げるのかも考えなくちゃならねえ」
こいつは頭がいい。盗賊団の襲撃計画もほとんどこいつが立てていた。盗賊団の首領は「俺は義賊だ」なんて言う甘っちょろいおっさんだ。だけどこいつが睨みを利かせているからみんな歯向かえねえ。こいつよりちょっと若いゴーチェって奴がいて、そいつは抜け目ない奴で首領の後釜を狙ってた。「同じ盗賊を襲うより商人の馬車を狙った方が簡単にお宝が手に入るぜ」といつも陰で言っていた奴だ。そいつは俺を目の敵にしてた。
おっと脇道に逸れちまった。ジェラールが籠にあったリンゴを齧り始めたから俺も一つ手に取って齧りついた。そういや腹が減ったな。俺はその辺の生で食える野菜やチーズを腹に詰め込んだ。
ジェラールがリンゴを齧りながら言う。
「まだ時間はあるがとりあえずは王都に向かおう。それと軍資金が必要だ」
「どこかの商人を襲うのか?そんなことをしている時間はねえぞ」
俺が口いっぱいに食いもんを詰め込みながら言うとジェラールは笑った。
「どこかの商人なんかよりここにお宝が沢山あるじゃねえか」
なんてこった! 俺も焼きが回ったぜ!
それからは簡単だった。この屋敷には今ほとんど人がいない。クソ親父の妻と子供、大勢の使用人や護衛は別宅? とかいうところに行っているらしい。お貴族様は優雅だぜ。クソ親父はクソ殿下と一緒に王都に向かった。数少ない護衛を引き連れて。だからここに残っている奴はほんの少しだ。そいつらをふん縛って一部屋に纏めてぶち込んだ。それからジェラールと二人でゆっくり家探しをした。
俺が廊下の変な置物を眺めている後ろでジェラールが呆れた声を出した。
「そんなでかいもの持っていけねえぞ。狙うのは現金、金貨や銀貨。それに宝石や時計なんかだな」
「わかってらあ」
そうして袋一杯にお宝を詰め込んで俺たちは王都に向かった。
もちろん厩舎から馬を二頭分捕った。
アルタウス辺境伯領を出て十二日。俺とジェラールは王都に着いた。
ロージーとアルタウスの領地に向かった時は一か月以上かかったのでその半分以下で着いた。もっとも替え馬をしながら飛ばしに飛ばしたけどな。
クソ王子に連れられたロージーは馬車で向かっているから後一週間以上かかる筈だ。
俺たちはスラムに近い下町の安宿に泊まっている。俺はほとんど王都には来たことがない。王都はどこも人であふれかえっているから。盗賊ってのは人気の無い場所で襲うもんだ。
王都は上辺だけはお綺麗な街だ。
王都の南大門から小高い丘の上にある王宮まででっけえ石畳の道がまっすぐ伸びている。その両脇にはびっしりと色々な店が立ち並んでいる。門に近い方は主に平民向けの店、王宮がある丘の麓はお貴族様向けの店が多いそうだ。
そして大通りの東や西に住宅地がある。王宮のある丘の麓の辺りはお貴族様が住むエリアで道も広く清潔だ。ゴミなんか一つも落ちちゃいねえしどのお屋敷もでかくて庭も広い。
門に近い方は大商人や平民でも力を持っている奴らの住まいだ。ここもどの屋敷もでっけえ。そのエリアより更に西や東に行くと庶民の住む辺りになる。庶民向けの商店街もあるし屋台なんかも沢山ある。職人街があったり工場なんかが立ち並んでいるのもこの辺りだ。そこから更に東や西、王都を取り巻いている城壁の東門や西門の近くがスラムだ。そして実はスラムは東門や西門の外、つまり城壁の外にも広がっている。
この国は貧富の差が激しい。お貴族様や一部の大商人が富を独占していてそいつらは益々肥え太る。そこで働ける奴は庶民でも上等で、下町なんかで暮らせる奴はいい方だ。暮らせない奴はスラムに落ちる。そして地方で食い詰めた奴なんかが王都に集まって来てスラムが膨れ上がる。スラムは王都の城壁内に入りきらないほどでかくなっている。
俺たちみてえな盗賊になる奴も多い。だから盗賊の上前を撥ねる盗賊なんかもいる訳だ。
宿に泊まった夜、ジェラールがポツリと言った。
「俺もロイクもスラムの出なんだ」