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基本ルカ視点ですが最後だけ第三者視点になります。
ロージーは俺の少し前をスキップするように歩いていく。スキップして振り向き俺を見てふふふと笑う。
俺たちは屋敷の裏庭を歩いていたが暫くすると小さな門に出た。ここは使用人が使う門なのだろう。木の扉が閉まっていたがこんなものは簡単に開けられる。扉を開けて俺たちは外に出た。
月明りは明るく、星は今にも振ってきそうに瞬いている。そういや俺はこうしてゆっくり星なんか眺めたことがなかったな。ロージーといると俺もしたことがない経験をする。夜空を綺麗だと思ったり屋台の食いもんを食べるだけなのに楽しいと思ったり。
行く手に小高い丘が見えた。あの丘を登れば眼下にはどんな景色が待っているんだろう。ロージーと見るのならきっと楽しい。
前を歩くロージーの手を咄嗟に引いた。
「ルカ?」
「しっ! 誰かいる」
丘に続く道から外れた木立の向こうに人の気配がする。
俺たちは気配を消してそっと近づいた。木々の隙間から覗くと二人の男が見えた。
「アルタウス辺境伯、こんなところに呼び出してどういうつもりだ?」
「そうですね、こんなに月が綺麗な夜はエドゥアール殿下と星を見ながら語らうのも一興だと思いましてね」
クソ王子は鼻で笑った。ロージーと俺は顔を見合わせる。こいつはチャンスだ。上手くいけばこいつらが企んでいることを聞けるかもしれねえ。
「ねえ殿下、クラウディアを連れ帰りたいのはどうしてです?」
「もちろん結婚するためだ」
「ははは、そんな戯言を私が信じるとでも? 貴方はピーチュ侯爵令嬢を妃にしたいのでしょう? だからクラウディアを殺そうとした。今になってクラウディアに執着を見せるのはどうしてです? 国王陛下もそうだ。私はね、王都には滅多にいかないのですが王宮の様子は定期的に報告させているのですよ。陛下もクラウディアの事は疎んでいるようだ、それなのに手放そうとしない。それはどうしてです?」
「辺境伯には関係ないだろう」
「クラウディアは私の娘ですよ」
「十年以上も放っておいた娘か? 君は後妻もその子供たちも可愛がっていると聞いている。クラウディアは単なる厄介者だろう? 今更帰ってこられたら迷惑なはずだ」
ロージーはカタカタ震えだした。それでも俺が「戻るか?」と小声で聞くと首を振った。
「クラウディアは私の娘ですよ、役に立っている間は。クラウディアを引き戻したい理由を教えてくださいよ。理由によっては協力してもいいですよ。そうでないと私は婚約解消を願い出るかもしれない。親としては真っ当な事でしょう?」
「……何が望みだ?」
「そんなに大層なものは望みませんよ。ほんのちょっと領地をいただけてブリューニュ金山の権利をいただければ。それも理由を教えていただければですが」
「……欲深め。クラウディアが私と結婚しなければお前もゆくゆくは困ったことになるのだぞ」
「それはどういうことですか?」
「……教えてやろう。ただし他言無用だ。家族にも」
クソ殿下は声を潜めた。ここからじゃよく聞こえねえ。そろそろと少しづつ近づく。
「生贄!? 生贄ですと!? クラウディアを神にささげる生贄にすると言うのですか!?」
「しっ! 声が大きい!」
クソ王子が窘める声に別の方向から大きな声が重なった。
「誰だ! お前たちなにをしている!」
クソ! 見つかった! 迂闊だった。クソ王子が一人でこんな場所に出てくるわけがねえ。周囲を護衛が見張っていやがった。
「逃げるぞ!」
俺はロージーの手を掴んで走り出した。
丘に向かうのは悪手だ、そんなことはわかっている。それでもロージーの手を引いて走る俺には他に選択肢がなかった。丘の向こうに上手く身を隠せるような下り道が続いていれば……
願いも空しく丘の天辺から向こうは崖だった。それもお屋敷が建っている土地も高台にあったらしく丘の向こうはかなり高い切り立った崖だ。
俺とロージーは追い詰められた。
「こんばんはクラウディア。こんな夜更けに男と密会か?」
クソ王子が話しかけてくる。にこやかな顔が薄気味わりい。
「殿下! 生贄って何ですか? 私を連れ戻してどうなさるおつもりですか!?」
崖に追い詰められ寄り添った状態でロージーは懸命にクソ殿下に話しかけた。
「やはり聞いていたのか。君は本当は私ではなく神の花嫁となるのだよ。光栄な事だろう?」
クソ殿下は取り繕っても無駄だと悟ったらしい。あっさりと告白した。
「ざけんな!! 神の花嫁ってなんだよ! ロージーを殺す言い訳だろう!」
俺は滅茶苦茶腹が立った。こいつら頭がおかしいんじゃねえか? 神の花嫁ってなんだよ。生贄ってなんだよ!!
「うるさい小僧だな。クラウディアがっかりだよ。こんな野良犬が好みだとはな」
クソ王子の言葉をロージーが言い返す。
「ルカは貴方よりよっぽど誠実で優しい人よ! ルカを馬鹿にしないで!!」
いや、俺が誠実って、誠実が裸足で逃げ出すぜ。だけど薄気味悪い笑いを浮かべた目の前のクソ王子よりはいい男だと思っているけどな。
ロージーの言葉なんかこいつらは全然聞いちゃいねえ。こいつらはロージーをどう利用するかしか考えちゃいねえ。
「そうか、君は私に優しくされたかったのか。大丈夫だよ今度は優しくしてあげよう。結婚式の夜までだけどね。そして君は神のものになる。その代わり私たちはこれからもこの豊かな大地の恩恵を受けられるって訳だ。素晴らしいだろう? 君が神のものにならないと今そこにいる彼も困ったことになる。国中が困ったことになる。君一人の命で国中の民が今まで通り豊かな暮らしを送れるんだよ」
クソ王子の話は胸くそもんだ。何寝言言ってやがる、俺たちみたいな暮らしなんかしたこともねえくせに!
「うるせえ! 何が豊かな暮らしだ! それはお前たちお貴族様や一部の肥え太った商人たちの暮らしじゃねえか! 俺たちみてえな底辺の人間は盗賊になって人から奪うしかねえんだよ! 地方にはそんな奴らがゴロゴロいるんだ! 働いても働いても税金とかで持っていかれて食い詰めて盗賊になった奴らを嫌というほど知ってらあ!」
「……ふん、話は終わりだ」
クソ王子の言葉と同時に左右から忍び寄った騎士が切りかかってきやがった。
俺はロージーを突き飛ばして腰のナイフを引き抜いた。
「ロージー蹲ってろ! すぐに片を付けてやる」
言いながら右から来た奴めがけて足元の土を蹴り上げた。
「うわっ!!」
土が目に入ったらしく顔を抑えるそいつは放っておいて左から来た奴の股間を蹴り上げる。
「やあっ!」
正面から来た奴が気合と共に剣を振り下ろす。馬鹿かこいつら。剣術の試合じゃねえんだぞ。躱して飛び上がるとそいつの顔面に膝を思いっきり打ち付けた。鼻血を出してよろけた奴を蹴倒して土が目に入った奴の攻撃を躱した。
「お前、卑怯だぞ!」
卑怯もくそもあるか! 生き残ったもんの勝ちだ。こいつは剣、俺はナイフ一本、間合いが違う。それでも負ける気はしなかった。こいつらはお綺麗な剣術ばっかりやって実践は経験ねえんじゃねえかって言うぐらいお粗末だった。奴らの大ぶりな剣術を全て躱し三人目の股間を蹴り上げた奴を地面に静めるまで大した時間はかからなかった。
「きゃあ!!」
ロージーの悲鳴に振り向く。やっぱりダメだったか。クソ王子はポカンと俺たちの戦いを見ているだけだったがロージーの親父がロージーを羽交い絞めにしていやがる。
「お父様!! 離してください!」
ロージーが必死にもがいてもその手は緩まない。
「くそっ! ロージーを離せ!」
俺が駆け寄ろうとするとロージーとその親父の周りを五人の男が取り囲みやがった。まだあんなにいたのか。
「殿下、殿下の護衛は弱いですねえ。こんな若造一人にやられちゃうんですからね」
にんまり笑うロージーのクソ親父。確かに今度の奴らはもう少し骨がありそうだ。俺が負けるわけねえけどな。油断なく構えどうやって料理しようかと考えた時、奴らの後ろから声が上がった。
「ご領主様、こいつは俺一人で楽勝ですよ」
後ろから出てきた奴を見て俺はハッと息を呑んだ。一見優男風にも見える中年の男。こいつを俺は知っている。
「俺が一人でこいつを片付けます。その代わり昨日言った通り俺を雇っちゃくれませんかね」
ロージーの親父は頷いた。
「いいだろう、実地試験だ。そこにいる若造を見事殺したらお前を雇ってやろう」
こいつはナイフ一本じゃかなわねえ。俺はさっき倒した奴の剣を奪うと先手必勝とばかりに地を蹴った。
勢いに任せ切りかかるがやはり簡単にいなされた。そのいなした剣をその勢いのまま下からすくい上げて切り付けてくる。俺はすんでのところで躱して地面に転がった。
転がりながら起き上がり奴の剣を受ける。畜生!やっぱり強え。
俺たちは何合か打ち合い俺はいつしか崖の縁まで追い詰められていた。
奴が振り下ろした剣を受け止める。刃を合わせたままじりじりと押される。俺の後ろは崖だ。
奴が俺に囁いた。俺は下を見る。
「うわああーー!!」
俺は渾身の力で奴の剣を弾き返した。
ロージーは固唾をのんで二人の戦いを見ていた。
今度の相手は強い。ルカが押されているように見えてロージーは必死に両手を握り合わせて祈っていた。
「なかなかやるな」
エドゥアールがにんまり笑って言うとアルタウス辺境伯が応える。
「先日傭兵として雇ってくれと訊ねてきたのですよ。奴は採用しても良さそうですな。まああの若造を確実に仕留めたらですが」
二人が話している間にルカは崖に追い詰められていた。
「うわああーー!!」
ルカが剣を弾き返した。
しかしその直後……中年の男が振り下ろした剣がルカを切ったように見えた。
「ルカーーー!!」
ロージーはたまらず飛び出そうとする。でもそれは叶わなかった。
「ルカ! ルカ!」
もがいても辺境伯の手は緩んでくれない。
ルカは二三歩よろよろと歩いた。そうして――ルカの身体は崖の向こうに消えた。
「落ちやがった。これじゃあもう助からねえな」
ルカを切った中年の男の声が聞こえた。
その途端、ロージーは意識を手放した。