6
胸くそ王家
千年近い歴史を持つその王国は他国を侵略したこともされたこともなく豊かな大地と鉱石を輩出する山々を持ち人々は平和に暮らしている……筈だった。
そしてその王家にはこの地に国を創った初代の王から受け継がれているある秘密があった。
エドゥアールは報告にやって来た側近の横っ面を張り飛ばした。
もう時間が無いのだ。明後日には父である国王が王宮に帰ってくる。イライラと立ったり座ったりを繰り返すがいい案は浮かばない。
「殿下、落ち着いてくださいませ。大丈夫ですわ、国王陛下はわたくしの能力を評価してくださっています。王妃様にも可愛がっていただいておりますもの、きっと許してくださいますわ」
ユーリアがそっとエドゥアールに寄り添う。
その身を掻き抱いて首筋に顔を埋めエドゥアールは「そうだな、そうであればどんなにいいか」と力なく呟いた。
エドゥアールは婚約者だったクラウディアが嫌いだった。
いつから嫌いだったのかわからない。初めて顔を合わせた時、金色の豊かな髪に金の瞳を持つ彼女はとてもとても愛らしかった。こんな可愛い子が僕のお嫁さんになるんだと嬉しかった記憶がある。でもいつしかエドゥアールは彼女のことを嫌いになっていた。彼女の酷い噂もたくさん聞いた。勉強が嫌いで王子妃教育が全く進まない、外面はいいが部屋では酷い癇癪持ちで彼女のメイドは長続きしない、男好きで平民の男でも顔が気に入れば部屋に連れ込む、等々。噂を聞いたから嫌いになったのか嫌いになった後に噂が聞こえてきたのか。
国王も王妃も彼女を嫌っているようだった。いや、無関心なのか、エドゥアールの前でさえ彼女の話題が出たことはほとんどない。
最初は嫌々行っていた婚約者としての交流もだんだん間遠になっていった。会っても仏頂面で話をすることは無かった。この婚約は解消になるだろうと思っていたのだ。
成長するにつれ公務に二人で出なければいけない機会が増えた。この頃エドゥアールは国王に一度婚約の解消を願い出た。答えは否だった。
公務に出るようになるとエドゥアールの不満はますます募った。クラウディアの所作はあまり優雅ではない。もちろん貴族の令嬢としては文句ないが彼女は王子の妃になるのだ、その威厳と言うものが感じられなかった。彼女を取り巻く令息たちの下卑た視線も気になった。そして令嬢たちは彼女に近づこうとしなかった。第一王子の妃となればゆくゆくは王太子妃になる。社交界に於いて令嬢たちを纏められないばかりか嫌われているなど王子妃として失格である。エドゥアールは再度国王に婚約の解消を求めた。
この時も答えは否だった。
社交界の華と言われている令嬢がいる。ピーチュ侯爵家のユーリアだ。容姿端麗で物腰は優雅、令嬢たちの人気も高い。エドゥアールはあるパーティーを切っ掛けに彼女と親しくなった。機知に富んだ会話、たおやかな仕草、私の妃になるのはこの令嬢しかいないと思った。王妃も彼女を気に入ってよくお茶会に呼んでいた。エドゥアールは三度婚約解消を願い出た。それでも国王は頷かなかった。仕方なくエドゥアールはユーリアを王子の補佐をする文官として召し上げた。ユーリアはエドゥアールの仕事も手伝うようになり、公務以外でのパーティーのパートナーは全てユーリアになった。
国王が王妃と共に外遊に出かけることになった。期間は四か月。
出立直前にエドゥアールは国王に告げられた。
「帰ってきたらクラウディア・ローザ・アルタウス辺境伯令嬢との結婚式を行う」
準備はもう始まっていた。エドゥアールは最後の願いとして国王にユーリアと結婚したい、クラウディアとは婚約解消して欲しいと願い出た。
「ならん。クラウディアとは結婚してもらう。王家の為だ。ピーチュ侯爵令嬢の事は悪いようにはせん」
そう言いおいて国王は外遊に出かけてしまった。
もう時間は無かった。婚約を解消できないならクラウディアがいなくなってしまえばいい。追い詰められたエドゥアールはクラウディアを殺すことにした。
しかし王宮で殺してしまっては犯人だとバレなくても王家の落ち度になる。離れた場所でクラウディアの過失という形で死んで欲しかった。だがクラウディアは王宮を出ない。五歳の時に王宮に来て以来ただの一度も王宮の外に出たことが無いのだ。クラウディアを外に出すにはどうしたらいいか……それが婚約解消だった。
クラウディアは婚約を解消されれば領地に帰ることになる。これなら疑いもなく馬車に乗るだろう。御者は金に困っている騎士団の下っ端にやらせた。下級貴族でうだつの上がらない奴らだ。王都から離れた山中で盗賊に襲われたように見せかけて殺せと命じた。
クラウディアが王都を出るとエドゥアールはクラウディアが王宮を出ていってしまったと騒ぎ立てた。普段の素行を咎めたら婚約解消を突き付けて南の離宮に行ってしまったと。クラウディア付きのメイドたちは嬉々として口裏を合わせた。
数日後に御者二人の死体が発見された。離れた場所で馬車も発見され、中の金品が盗まれていた。その馬車の近くで盗賊が何名か捕えられたらしい。なんとクラウディアが乗った馬車は本当に盗賊に襲われたのだ。クラウディアの遺体は発見されなかったがおそらく生きてはいないだろう。もし生きていたとしても盗賊どもに凌辱され奴隷として売り払われているだろう。
これであんな女との結婚は無くなった。国王が帰ってきたらユーリアとの結婚を願い出よう。エドゥアールは自身の企みが上手くいったとほくそ笑んだ。
そしてまた数日後、せっかく邪魔者がいなくなりユーリアとの甘い時間を過ごしていたエドゥアールに面会の申し込みがあった。ある伯爵家の次男だ。不機嫌な顔で彼に会うとそいつは人払いをして欲しいと言った。伯爵家の次男は今から話す事に価値があると思ったら自分を側近にして欲しいと言った。きっと殿下の為になりますと下卑た笑いをこぼしながらそいつは話し始めた。
話の内容にエドゥアールは真っ青になった。クラウディアが生きている。そいつが会った場所を考えるとアルタウス辺境伯領を目指しているに違いない。それに平民の恰好をして人目を忍んでいたようだ。不味い、絶対に不味い。クラウディアは俺が殺そうとしたことを知っている。御者たちがばらしたのだ。知らなければクラウディアは官吏なりその土地の貴族に保護を求めるはずだ。クラウディアは父親である辺境伯に保護を求め俺に殺されそうになったというだろう。婚約解消を持ち掛けたのが俺からであることも知られてしまう。——殺さなければ。なんとしても辺境伯領にたどり着く前に。
三度送った刺客は全員失敗した。人数もどんどん増やしたというのに。無能者たちめ! クラウディアには平民らしい若造が一人ついているだけだと言うではないか!
それ以上策を講じることも出来ず国王の帰還の日を迎えてしまった。
「お前は何ということをしたのだ!!」
部屋に入るなりエドゥアールは罵倒された。国王は王宮に帰るなりエドゥアールを呼び出したのだ。
部屋には他に人がおらず二人っきりの王の居間でエドゥアールは王が手にした杖で打ち据えられた。
「父上! 父上、私は何もしておりません! クラウディアが勝手に出ていったのです! 勝手に出ていって盗賊に襲われてしまったのです!」
「そんな戯言をわしが信じると思うか!」
鋭い目で睨みつけられてエドゥアールは竦み上がった。こんな目で睨まれたことなどない。エドゥアールは父にも母にも愛されていると確信していた。
父には母のほかに妃はおらず、エドゥアールも弟も妹も王妃の子だ。兄弟仲もいい。
「お前はアリアーヌが可愛くないのか……この国がどうなってもいいのか……」
国王はがっくりと項垂れる。
エドゥアールは意味がわからない。アリアーヌは妹だ。プラチナブロンドの髪に黄金の瞳を持つ愛らしい妹だ。色味だけはクラウディアに似ているが天真爛漫で無邪気な妹は表情も仕草も何もかもが違う。まだ十四歳だがあと数年で王宮中の男を虜にするかもしれない。
その妹はクラウディアとは無関係だ。交流もなかったはずだ。ましてやこの国の行く末など今回の事にどうかかわってくるのかわからない。
はあ……吐息を吐いて国王は言った。
「今回の事は立太子するまではとお前に教えていなかったわしの落ち度でもある。お前が余計な情でも抱かぬように、お前の気持ちを守ろうとしたわしの甘さでもあるな」
「父上何を仰っているのですか?」
訝しむエドゥアールに向かって国王は話し始めた。何百年も隠され続けている王家の秘密を。
初代の王がこの地に国を創った時この地は貧しい荒れ地だった。
人々が必死に開墾しても得られる作物は少なく人々は貧しかった。王はこの土地の神に祈った。「この地を実りある豊かな大地にして欲しい」と。
すると驚いたことに王の前に神が現れた。
「よかろう。この地を豊かにしよう。その代わりいずれ生まれるお前の娘が成人したら我の妃に差しだせ。金の瞳の娘だ」
この時王は妻を娶ったばかりだった。数年後、二男三女をもうけた王は断腸の思いで末娘の金の瞳の王女を神に差し出した。
この時交わした神との約束には続きがあった。
百年ごとに王家の金の瞳の姫を神にささげるという約束である。そうすればこの土地は豊かな大地でいることが出来る。
数百年後の節目の時、王家には金の瞳の姫がいなかった。王家の子供は王子ばかりだったのである。苦肉の策で時の国王は侯爵の娘を王家の養女とした。その娘を神にささげた。王国は豊かなままだった。
この時から王家は自らの子供を神にささげることは止めた。金の瞳は珍しい。滅多に生まれるものではないが皆無という訳でもない。王家や高位貴族に偶に現れる色だ。高位貴族にも婚姻等で王家の血が流れているからだろう。
そしてこのことは王家の秘匿事項とされた。代々国王に受け継がれる王家の闇。節目の国王は甘言を用いて金の瞳の娘を養女にし、神にささげた。養女になった姫は流行り病、事故など様々な理由で死んだことになった。
そして百年前、今から五代前の王も公爵家の娘を養女にしようとした。娘の父親の公爵は歴史に造詣が深かった。公爵は養女の話を断った。そして過去数百年、王家の養女になった姫はもれなく早死にしていることを調べ上げ公表した。神との約束は知られなかったがこれによって王家の養女になる令嬢はいなくなった。
その当時は公爵家の令嬢の他にもう一人金の瞳の令嬢がいたのだがそちらにも断られた。焦った王はそれなら王子との婚姻はどうだと持ち掛けた。養女の話から数年経ち娘も年頃になっていた。王家の娘でなくても神との約束を果たしたことになるのかは疑問だったが、養女でもいままで契約は続行されていた。婚姻で王族の籍に入り初夜の前の生娘ならいいだろうと無理矢理こじつけた。国王のあの手この手の説得で結局公爵は婚姻に同意した。養女の話を断った負い目が彼にもあった。しかし王子に嫁いだ令嬢は嫁いで程なく死亡したと王家から発表があった。伝染病で死亡したため誰にも会わせることが出来ないと言われ公爵は娘の遺体と最後の別れも出来なかった。
公爵は激怒した。嫁いで早々娘を死なせるとは何事か! と。伝染病が流行っている兆候も見られなかった。また、娘には本当は想い合う相手がいた。王家の縁組だからと泣く泣く諦めた相手が。
国は揉めに揉めた。あわやクーデターかと思われたが、結局王が退き娘の婚姻相手の第一王子ではなく第二王子が即位することで落ち着いた。王国の大地は豊かなままだった。